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耕平君との帰り道

子供と大人の違いって何だろう。

体が大きくなること?
でも、小柄な大人はいるし、大人顔負けの体格の子供もいる。

精神的に成熟すること?
でも、幼稚な大人はいるし、立派な考えを持った子供だってたくさんいる。


異論もあるだろうけれども、子供と大人の違いのひとつの答えは
「大人は自分がやってしまったことに、責任を負わなければならない」
ということではないだろうか。

子供は何か失敗をしてしまっても、まわりの大人たちが対処してくれる。
子供は悪いことをしてしまっても、刑事責任は問われない。


でも、責任を負わぬことと責任を感じないことは別だ。

子供だって責任は感じるし、その責任が心の棘となって長いこと忘れられないことだってある。

僕の心に今でも引っかかっている心の棘がある。



耕平君は小学2年生の時に僕らのクラスに転校してきた。
耕平君をひと言で言いあらわすならば、ピッグペンだ。

ピッグペンというのは、スヌーピーで有名な「ピーナッツ」という漫画に出てくるキャラクター。
いつも薄汚れた顔と服装で、道を歩けば埃が舞い上がるのだが、誇りも高い男の子という設定だ。

耕平君は服装も持ち物も傷だらけで、少し汚れていた。
よほど使いつぶしているか、ぞんざいに扱っているかのどちらかだ。

でも、本人はそんなことを気にするでもなく、我が道を貫き通している。そんな男の子だった。



耕平君とは帰り道が一緒だったので、よく一緒に遊びながら下校したものだ。石蹴りサッカーをしたり、グリコをしたりしながら。

その日は、他の友達と数人で鬼ごっこをしながら帰っていたのだが、各自が自分の家に到着する度に少しずつ人数が減っていった。

最終的には、学校から一番遠い僕と耕平君ふたりで鬼ごっこの続きをしていた。

僕が鬼になり、ただひたすら追いかけるが、なかなかに耕平君もすばしっこい。
田んぼの畔道に逃げ込まれたり、電信柱をくるっと一周されて煙に巻かれたりして、捕まえるのに苦労していた。

そして、ふたりが別れなければならない路地まできた。
次の角が僕と耕平君の家との分岐点だった。


僕は焦っていた。鬼で終わるのは絶対嫌だ。
今から考えるとあまり意味のないことだが、当時はとても切迫感があった。

リスのようにするすると動く耕平君に対して、僕はフェイントをかけた。
右に行くと見せかけて、ダッシュで左に走った。

すると、耕平君の動きが一瞬遅れた。
すかさず僕は手を伸ばす。しかし、わずかに彼の体には届かずランドセルを引っ張った。
耕平君はそのまま走り抜ける。

その時聞こえた、ブチっという不吉な音に彼は気づかなかったようだ。


分かれ道の角を曲がり終えると、彼は得意げに言った。
「よし俺の勝ちだな。体にタッチしなければ鬼を交代できないからな」

僕は何も言えなかった。
鬼のままで終わったからではない。
あることに気づいていたからだ。


耕平君のランドセルを引っ張った時に、ランドセルを覆うカバーの部分を引っ張った。
その時、カバーと留め金をつなぐベロの部分がちぎれたのだ。

僕が何も言わないのを、タッチできなくて悔しいからだと思っているのだろう。
「よしっ、また明日テツが鬼でスタートだからな。じぁあな」
とおどけながら家まで走っていく。


走り去ってしまった彼を見送った後、僕はとぼとぼと帰路に着いた。

どうしようか。絶対僕が切ったって気づくよな。
そしたら、弁償させられるかな。
お母さんにも連絡がいくよな。絶対怒られる…。

そう考えると足は重くなり、なかなか前に進まない。


でも、もしかしたら、バレないかもしれない。
耕平君は普段から持ち物が傷だらけだし、無頓着だから気づかないかも…。

そんな考えが心に浮かぶが、その可能性が低いことは自分でも気づいている。


家に帰っても無口な僕を、母は熱でもあるのではないかと心配した。
僕は頭が痛いと言って、その日は夕飯も食べずに早く寝た。

でも眠れるわけがない。
布団にくるまりながら、今にも電話がかかってくるのではないか気が気でなかった。


翌日、学校を休もうかとも思ったが、そんなことをしたら勘のいい母は学校で何かあったのだと気づいてしまうだろう。

僕は観念して、学校に行った。

重い足取りでクラスに入ると、思いのほか明るい表情の耕平君の姿があった。


耕平君はただひと言、僕にこう言った。
「テツ、どんだけ力があるんだよ。
ランドセルを引きちぎるなんて。すげーなぁ」

そんな風に言われて、僕は小さな声で謝るのが精いっぱいだった。

「ごめんょ。切るつもりは本当になかったんだ」

「気にするなよ。俺は持ち物にそれほど気を使わないからさ」


何だか僕の気持ちを見透かされたようで、心の奥底を刺された気がした。


それ以来、耕平君が歩くたびにランドセルのベロが揺れるのを僕は見続けることになる。

ベロが揺れるたびに、僕の心は少しずつ削られ、小さくなってしまうように感じられた。


結局6年間、耕平君はそのランドセルで通い続けた。

「そのランドセルどうしたんだよ?」と聞かれても、彼は「自然に切れちゃったんだ」と言うだけだった。



高校になってから、一度だけ自転車に乗っている耕平君とすれ違ったことがある。
彼はこちらに気づかなかったようだが、耕平君の面影はすぐに分かった。

いつの間にか背はすらりと伸び、髪は整えられて小綺麗なシャツとパンツをまとっていた。自転車に乗っている彼は颯爽とした青年だった。

もはや誰も彼のことをピッグペンと呼ぶことはないだろう…。




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