【コロナで脱資本主義】あとがきに代えて ~ゼロサムゲーム、そして……、イマジン~

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あとがきに代えて 
~ゼロサムゲーム、そして……、イマジン~


 資本主義は「ゼロサムゲーム」です。ご存じない方のために補足させてください。

 ゼロサムゲームとは、別名「有限和」ともいわれ、限られたパイを相互に奪い合う状況、そして、結果的に全体の損得を合算するとゼロになる事象のことです。

 経済行為とはいえませんが、一番わかりやすいのが麻雀です。麻雀は、四人全員が二万五千点ずつ、合計十万点でスタートし、ゲームの過程で各自の得点が増えたり減ったりしますが、単に負けた人の点が勝った人に渡っているに過ぎません。

 したがって、ゲームが終わったときに全員の持ち点の合算が十万点を超えていて、参加者全員が得をした、なんてことはありえないのです(もしありえるのなら、大学の四年間で私は大金持ちになっているでしょう)。

 誰かがプラス一万点でトップになったのなら、必ず、残り三人の点数の合算はマイナス一万点になっています。

 ちなみに、株式市場をゼロサムゲームと勘違いしている人は少なくありません。株も、麻雀同様にギャンブルの一面があるからでしょうか。

 確かに、負けた人のお金が勝った人に流れることはままありますし、株式市場がゼロサムゲームの様相を呈する場合もあります(たとえば、一日の取引で株価が上下しても始値と終値が同じなら、単に誰かの損が誰かの得に変わっているだけのゼロサムゲームです)。

 しかし、ある株式の時価総額が増えれば、その前にその株式を買った人は全員得をしますし、その逆で全員が損をするケースも当然あります。ですから、株式市場をゼロサムゲームというのは厳密には間違いです。

 それよりも、多喜二とエリカが議論しているように、経済世界には飽和状態が存在する以上、長期的、全社会的に見たら、あらゆる経済行為は基本的に有限和の世界でのパイの奪い合い、すなわちゼロサムゲームといえるでしょう。

 外食産業を例にとれば、人間が一日に食べる量は有限なので、その総和の中で、各企業が凌ぎを削っているわけです。これは、今この瞬間も発生しているゼロサムゲームではないでしょうか。

 なお、個人的なつたない予測で恐縮ですが、確かに人類はまだ「経済の飽和状態」を経験してはいませんが、私個人としてはこの五十年以内(もしくは三十年以内)に経済は飽和すると考えています。

 その論拠を提示すると長くなるのでここでは差し控えますが、私なんかよりはるかに優秀な学者の中でもそう考える人は少なくありません。

 最近巷を賑わす「ポスト資本主義」という学説は、「壮大なネズミ講である資本主義はすでに終焉に近づいている」という論拠を基にしたものだと私は解釈しています。

 また、日本の内需という観点で分析すれば、2008年の夏のリーマン・ショックより17年ほども昔の1991年頃から、すでに「飽和状態の兆候」ははじまっていると私は考えています。

 実際に、自動車の国内販売台数は1990年の597万台をピークに、その後はずっと減少傾向(前年比で微増の年もあります)にあり、北米を中心とした外需頼みの状況が続いたことはみなさまもご存じのとおりです。

 そして、その北米の経済がおぼつかなくなったために、今、私たちは深刻な不況にあえいでいるのではないでしょうか。

 もちろん、自動車だけで内需を観察するのには限界がありますが、パンパンに膨らんでいた風船が日増しにしぼんでいくように見えるのは、はたして私だけでしょうか?

 ジョン・レノンの名曲『イマジン』ではありませんが、今、私たちは国境を越えてブロック経済からの脱却を図り、グローバルに経済を発展させ、世界中の民族でその富を分け合う。そんな世界の実現に向けての重大な転換期に差しかかっていると私は強く思います。

 そして、本文中では言及しませんでしたが、この思いを訴えたいという強い願いが私にこの連載を執筆させたともいえます。すなわち、これが本連載の「裏テーマ」なのです。

 私は、連載に「あとがき」は不要だと考えています。理由は、あとがきで補足しなければテーマが伝わらないのでは、なんのための本文なのか、という思いがあるからです。

 ただ、この連載に限っては、このあとがきの場を借りて、私の「もう一つの思い」を述べさせていただきました。

 本文のみならず、このあとがきにまでお付き合いくださったすべてのみなさまに、この場を借りて心より御礼を申し上げます。

 また、せっかくあとがきを用意しましたので、再度ここで「本連載はあくまでもフィクションである」ことを強調させていただきます。


Imagine there's no countries.
国境のない世界を想像してごらん?

『イマジン』 ジョン・レノン


追伸
 エンターテイメントや情報産業は「消費者の時間の奪い合い」といわれますが、一日が最大でも二十四時間しかない以上、その中での各企業の凌ぎ合いもやはりゼロサムゲームです。

 そして、媒体や趣味の多様化により、その限られた時間はネットやスマホ、ゲームなどに配分され、明らかに本の需要は落ち込んでいます。

 しかし、それでも私は自分の仕事を愛して止みません。

 物書きだから貧乏ですが、なにか?

 大村あつし


参考文献

『資本論1~9』(カール・マルクス著、フリードリヒ・エンゲルス編纂、向坂逸郎翻訳、岩波書店、1969年1月~1970年3月発行)
『経済学批判』(カール・マルクス著、武田隆夫翻訳、岩波書店、1956年1月発行)
『賃労働と資本』(カール・マルクス著、長谷部文雄翻訳、岩波書店、1927年10月発行)
『経済学・哲学草稿』(カール・マルクス著、城塚登翻訳、田中吉六翻訳、岩波書店、1964年1月発行)
『賃銀・価格および利潤』(カール・マルクス著、長谷部文雄翻訳、岩波書店、1981年1月発行)
『マルクス・エンゲルス 共産党宣言』(カール・マルクス著、フリードリヒ・エンゲルス著、大内兵衛翻訳、向坂逸郎翻訳、岩波書店、改版版、1971年1月発行)
『国富論1~4』(アダム・スミス著、水田洋翻訳、杉山忠平翻訳、岩波書店、2000年5月~2001年10月発行)
『雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉〈下〉』(ケインズ著、間宮陽介翻訳、岩波書店、2008年1月、2008年3月発行)
『クルーグマン ミクロ経済学』(ポール・クルーグマン著、ロビン・ウェルス著、大山道広翻訳、石橋孝次翻訳、塩澤修平翻訳、白井義昌翻訳、大東一郎翻訳、東洋経済新報社、2007年9月発行)
『マンキュー入門経済学』(グレゴリー・マンキュー著、足立英之翻訳、柳川隆翻訳、石川城太翻訳、小川英治翻訳、地主敏樹翻訳、中馬宏之翻訳、東洋経済新報社、2008年3月発行)
『限界効用理論の歴史(1979年)』(エミール・カウダー著、斧田好雄翻訳、嵯峨野書院、1979年11月発行)
『ネクスト・ソサエティ~歴史が見たことのない未来がはじまる~』(P・F・ドラッカー著、上田惇生翻訳、ダイヤモンド社、2002年5月発行)
『お金は銀行に預けるな~金融リテラシーの基本と実践~』(勝間和代著、光文社、2007年11月発行)
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)
社団法人日本自動車販売協会連合会(http://www.jada.or.jp/)


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エピソード4までは無料でお読みいただけます。 これから私たちは、1929年の世界大恐慌に匹敵する誰もが経験したことのない経済不況に見舞われます。 新型コロナウィルスは単なるきっかけに過ぎません。企業の連鎖倒産、不動産バブルの崩壊などで、「その日、食べられれば御の字」というレベルの生活を強いられる可能性すらあります。 そうでなくとも、サラリーマンの給料は生活費と一致する、すなわち、生活費に消えてしまうように創られた経済制度が「資本主義」なのです。 この仕組みをぜひとも学んでください。

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