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映画「風立ちぬ」 あらすじと感想(※若干ネタバレあり)

久しぶりに風立ちぬを視聴したので、感想をつらつらと

あらすじ

飛行機に憧れる少年、堀越二郎は夢の中で飛行機の設計家、カプローニ伯爵に出会い、飛行機の設計を志す。激動の1900年代、関東大震災、恐慌、戦争・・・
二郎は震災に見舞われる電車の中で、里見菜穂子という女性に出会う

二郎は三菱重工に入社、設計の英才となっていた二郎は、戦闘機の設計を任される
三菱重工の中には二郎の友でありライバル、本庄もいる

二郎が設計した飛行機は試験飛行で速度に耐えられず空中霧散
会社から休養を告げられた二郎は、避暑地のホテルで羽を伸ばすことにする
避暑地のホテルで菜穂子と再会する二郎

仕事、夢、戦争、女性。
あらゆるものが嵐のように吹き荒れる時代の中に生きる、堀越二郎の物語

Le vent se lève, il faut tenter de vivre

電車の中、二郎の吹き飛んだ帽子をキャッチした菜穂子は、二郎に
「Le vent se lève」と問いかける
それに対し二郎は
「il faut tenter de vivre」と答える

これはとある詩の1フレーズで
Le vent se lève, il faut tenter de vivre(風立ちぬ、生きようと試みなければならない)というような意味で、つまりは風立ちぬの元ネタである

上の句に対し下の句で返すというやりとりはさながら平安ロマンス、現実世界であれば相当の教養がなければまず実現不可ですが、こういうロマンチックがあるのが物語のいいところ。
この詩句はタイトルになっているだけあって、苦難に揉まれる二郎に対して常に投げかけられているメッセージのようにも受け取れる
このやりとりの後、関東大震災が二人を襲うのです

仕事


「耳をすませば」に出てくる天沢聖司を大人にしたようなクールガイ、本庄
彼は二郎にとって良き友であり、ライバルである
二郎は戦争、時代、ライバル、上司、多くのものに関わりながら夢を追いかけることになる
二郎にとって飛行機の設計は自分の夢であり、天職に打ち込む二郎の集中っぷりは見もの、出世欲や金銭に囚われず夢を追い求める様はまじでかっこいい

本庄も本当にいい奴で、彼はドイツの戦闘機にインスピレーションを受けたゴツくてかっこいい戦闘機を作る

また、二郎の上司には黒川という、いかにも癖の強そうな上司が出てくるのですが、彼もまたいい人
二郎が「500ノット(=時速約500キロ)をこの飛行機は出せる、機関銃を降ろせばね」という旨の発言をした時、ガチで悔しそうな顔をするいい人

女性


二郎は休養先のホテルで菜穂子と偶然の再会を果たす。
震災で二郎に助けられた時から、菜穂子はずっと密かに心の中で二郎を思い続けていた

菜穂子は二郎のことを「白馬の王子様」とすら形容している

そんな人と避暑地のホテルで偶然の再会、うーんロマンチック

二郎と菜穂子は心を通わせ、結婚を決める
しかし菜穂子の身体には結核という病魔が襲っていた
菜穂子は結核が完治してから結婚させてくださいと申し出る・・・

「往きて帰りしものなし、飛行機は美しくも呪われた夢だ」


菜穂子は高山の療養施設で治療に励むが、二郎からの手紙を機に、寂しさに耐えられず下山。二郎は菜穂子に一緒に生活することを申し出る

一見愚かな選択であるかもしれないが、結核に対しまともな治療法が確立されていない時代。
見込みのない治療を選び、共にいられる時間をすり減らすか
終わりを受け入れ、貴重な日々を共有することを選ぶか
終末医療の道徳的な判断、その答えの選び方は実に人それぞれである。

二郎の「零」の完成がいよいよ佳境に入り、激務に追われる二郎
二郎にとっては飛行機、菜穂子、どちらも大切であるには違いなかった

菜穂子は帰りの遅い二郎を甲斐甲斐しく見守る。二郎は少しでも長い時間を菜穂子と過ごそうと、彼女の寝床の隣で仕事をする

互いに激しい境遇の中、歩み寄り、安寧の空間を作り出す。
感涙ものです

二郎が完成機の試験飛行に立ち会うため、家を発つ
菜穂子もまた、迫り来る死。自分の死に様を次郎に見せまいと、ひっそりと、家を出て行くのであった


美しく空を舞う零戦を眺める二郎。そこに吹く一陣の風
二郎はその風の中に、とある予感を感じ取る

再び夢の中
二郎は伯爵に対し
「僕の機体は一機も戻ってこなかった」という旨を述べる
カプローニ伯爵の言葉
「往きて帰りしものなし、飛行機は美しくも呪われた夢だ」
飛行機は、人を乗せ、大空を舞う、文明の、人類の、素晴らしい夢であるはずだ
それでも戦争という悪魔からは逃れられない、あらゆる夢も、技術も、戦いの道具でしかないのだ

二郎は夢の中で菜穂子に出会う。

ーー風立ちぬ、いざ生きめやも

どんな激動が、苦痛が襲うことがあっても、生きるということを諦めてはならない、そんなことを思わせてくれるラスト

感想


何から述べたらいいか・・・
まずは「貧富」というところでしょうか
二郎は恵まれた家庭に住んでいます。故に教養が与えられ、学校に行く余裕が与えられる
設計士を志すことができる
菜穂子の問いに答え、その菜穂子は二等席の中に消えていく

この映画の中には、明らかにみすぼらしい身なりをした男や、線路沿いに歩く人々、銀行にたかる人々がしっかりと描写されている

二郎は、駄菓子屋で買ったシベリアを、ひもじそうな子供たちに渡そうとします
シベリアは受け取られずに、子供たちは走り去ってしまう
そのことを本庄に話すと「それはエゴだ」と一蹴されてしまいます

こういう、割とどうしようもない貧富の差というか、生々しい部分がしっかりと描写されています

なぜ描写されているのか、宮崎駿の性格が悪いという考え方もできるが、むしろこういうリアリズム的な描写が作品全体に現実性を持たせ、時代背景の描写を怠らないことが我々の感情移入をもたらす。そういう演出のように感じられる。

また、本庄の振る舞いは少々野蛮であるのに対し、二郎は終始紳士的な態度である。そういうところから感じられる本庄の背景や主人公とのコントラストは、本作にとって良いフレーバーになっている


仕事と女性。「私と仕事どっちが大切なのよ!」というお話。男性側からすればどちらもすごく大事なのだが。
結核を患う菜穂子を労り、仕事も愛する二郎
二郎も必ず仕事を優先するというわけではなく、菜穂子が喀血に倒れた時は仕事と己の危険を顧みず(二郎は作中秘密警察に狙われる)に菜穂子の元に駆け出していたり、菜穂子のことを大事に思っている描写はこれでもかとある
そんな二郎を理解し、努めて二郎の前で明るく、優しく振る舞う菜穂子
お互いの境遇を理解し、歩み寄ろうとする両者は、本作の中では限りなく美しく描写されている

カプローニ伯爵
夢の中で登場する彼は、文字通り二郎に夢を語り、飛行機について、人生について語る
見果てぬ夢、大空を舞う飛行機の組み合わせは、人類の限りない歩み、その原動力は夢であるということを説いてくれる

「創造的人生の持ち時間は10年だ」

カプローニ伯爵の印象的な言葉
君たちは限られた時間をどのように使うのか?という疑問を、二郎だけでなく、我々にも言い聞かせているような気がする

激動の時代。いついかなる時代であろうとも、その時代を生きている人は皆、自分こそは苦しい世界を生きているという意識を抱いていると、僕は思う

僕は二人の障がい者の間に次男として生まれ、物心ついた頃には母はおらず、小学の頃に東日本大震災を経験し、大学時代に元号が変わり、コロナウイルスを経験した
その時代にはその時代の苦しみがあり、歓びがある。それだけのこと。

長く生きれば多くのことを経験するものだ、あらゆることの起こりは「風が立つ」ようであり、風が立てば大地を踏み締め、生きているということを実感する。
あらゆることに揉まれ、一喜一憂する、それは素晴らしいこと、悪いことというより、その山と谷、上下する波そのものが総体として人生である。何を為したか、何を為せなかったか、ではなく、生きるということこそが前進であり、そこに意味がある

そんなことを語っている映画だと思いました。


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