「茶の湯の美学」から感じる利休の狂気と人間味。
最近、Sake&Teaバー「POTSUNTO」のオープンに向けて、抹茶を点てる練習をしています。
抹茶を"たてる"の漢字は点てる。
"立てる"でもなく、"建てる"でもなく、点てる。
なぜ点てるなのかというと
ということらしいです。
めっちゃ意外!!中国の点心が由来とは!
そして、"小腹を満たす"ことを
空腹に点を打つと言うんだ。
言葉って面白い。
抹茶を点てる練習をしてると言いながらも、
茶道を習っているわけではありません。
詳しい人に聞いたりはしてますが、我流です。
我流だけど、知識はインプットしたいので、
昨日から始まる「茶の湯の美学」@三井記念美術館に、行ってきました。
千利休から古田織部、そして小堀遠州へと続く流れを堪能できます。茶の湯の基本の流れをザクッと理解できる展示でした。
利休は「わびさびの美」
織部は「破壊の美」
遠州は「綺麗さび」
と例えられているらしいのですが、
利休が「どやっ!これが美しいだろ!」
織部が「いやっ!そんなもん壊したるっ!」
そして、遠州が綺麗にまとめに入る。
というように僕は捉えました。
利休から織部の流れは、人の欲望の強さがあるけど、その二人の価値が浸透した世界にいると、どうしてもゼロイチというより、改良の流れに向かうのかなとも。
初めた者と、その世界から始める者。
どの世界にもある、流れを感じられる展示になっていて、興味深かったです。
そんな中でも、利休の本質を知る意味で、
しばし立ち止まってしまった掛け軸。
利休が自刃する三日前に詠んだとされる句と
利休の孫の千宗旦が描いたとされる利休の後ろ姿が描かれています。
句は
「人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺」
→
"人生70年。クソッ!ウリャア!
先祖も仏もこの宝の剣で殺しまくってやる!"
こんな句を読みながらも、
孫の描いた後姿は、とても寂しい姿。
「茶の湯」という新しい価値。
今で言う「茶の湯ブランディング」を強欲に推し進めただけはある、利休の強烈なコトバ。
そして孫だけが見てしまった、コトバにはできなかった悔しさと悲しみの後姿。
人間だもの。
というフレーズが頭を駆け巡ります。
茶の湯の美学―利休・織部・遠州の茶道具―
の概要はこちらです。
明日からの週末に、茶の湯ブランディングの足跡をたどってみてください!
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