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人生を作るのは「行動」か「思考」か

真の祈りにはそれなりの効用があることは事実です。しかし、いかなる精神的行為も、身をもって果たさねばならない地上的労力の代用とはなり得ません。 近藤千雄訳編:「シルバーバーチ 今日の言葉」より

あなたは衝動的に行動する人ですか?

私は、衝動的です。しかし、間髪入れないほどの衝動さではないと最近気が付きました。

特に欲しい物があるときはそうですが、「あ、これ欲しい」と思ってアマゾン覗いて、ポチッとするその瞬間、空想しているんです。その商品を使って快適に、笑顔で楽しんでいる風景が浮かんでいる。妄想のアクセルを踏み込んでいる。

思考は人によってシステムが違う

私の場合は、いわゆる「視覚優位」という感じ。なんでもかんでもまず頭の中でイメージが湧いてくる。そして、それが得たいと思う情景だと、アマゾンでポチッと行くし、書類もそれを文章化するし、雨でも熱くても、出掛けてしまう。

これとは違って、「聴覚優位」つまり、言葉が先行する思考システムの人も多くいます。

「まず、言葉ありき」。

言葉がどんどん湧いてくる。聞こえてくる感じと言ってもいい。その言葉が行動するときに自己説得になったり、ロジカルシンキングになったりする。

この聴覚優位思考システムの人の特徴は、喋りながら書いたりするとスムーズな感じがするところ。

また、「体感覚優位思考システム」の人もいる。気持ちとかフィーリングとかが思考の中に幅を利かせるタイプ。

この人の特徴は、実際に活動してみると、色々とデータ収集できたり、考えがまとまったりするところ。

このように、思考システムは千差万別。

だから多様性を受容できる探検家のメンタリティーが大切

ナショナルジオグラフィックなどを見たことが有るだろうか?

多くの探検家が、あらゆる秘境に入り込んでいき、様々な動植物に触れていく。泥水を進み、カラカラの砂漠を歩き、凍てつく海に潜り、むせ返るジャングルで眠る。

だが、彼らはそれを楽しんでいる。多様性のど真ん中で、自分ルールを押し付けたり、WIFIとどかない!などといって苛つくことなどありえない。

彼らは知っているわけだ。自然界は多様性こそが基本ルールで、個人的ルールが通用する範囲が極めて身の回りだけであると。

ここは名古屋、日本の大都市の1つなんて言われているが、250キロも北へ行けば、穂高連峰の只中だ。

名古屋にはウン十万人が暮らしている。そう、ウン十万通りの思考システムがひしめき合う「多様性」の街なのだ。

そんな多くの多様性を無視して自分ルール上等って意識で活動したり、SNSで他の種を批評したり批判したり好き勝手やっていると、周囲が無意識的に縁という名の「リンク」を切りすてていく。

そして気がつくとジャングルで「孤立」、砂漠で「孤立」、南極で「孤立」という入ってはならない秘境に入り込んでしまう。

相手を理解する「思考」を働かせ「主体」で動く

霊的指導の任務を負い、現世で生きる「肉体を携えた霊的存在」である我々をサポートし続けるスピリット、シルバーバーチは、どの霊言集の中でも「動機が重要だ」という。

「動機」=「動く」+「機=タイミング、チャンス」

つまり、「なぜ、あなたはそうしうようと思ったのか?」という部分が常に問われるという。

ここから蟻の凡夫が推察するに、まずもって「思考」ありきで行動することが私自身の魂の向上に必要なことだよ。ということだろう。

「思考しているだけ」は、何もしていないのと同じ。

「漠然とした行動」は、考えていない(結果や影響)のと同じ。

目の前の老人をどうサポートするか

たとえば、目の前に砂利道を杖をついて歩く後期高齢者がいるとしよう。心のなかで「大変だな。気をつけてね、ご老人。」と願ったところで、事実には変化が見られない。

あいかわらず、目の前の後期高齢者は、砂利に足をすくわれて転倒する可能性が高いままだ。

しかし、ここで、先ほどのように「願う」にプラス「手助け」という行動を付け加えると事実が変化する。高齢者は「ありがとう、大丈夫です」というかもしれない。この接触で、高齢者が「気をつけよう」と意識する可能性は高くなるかもしれない。なんなら、手を引いて、危険がないところまで支援することもできる。

すべてが不確定だが、あなたが些細な「主体性」を発揮して「行動」した影響は「事実」となって世の中に姿を表す。

おそらく、シルバーバーチは、この些細な主体的行動による「善」の行使が、平々凡々と生きている凡夫の私には、実は難しいものだという含みも込めて

身をもって果たさねばならない地上的労力

と表現しているように伺える。

蟻の凡夫である私も、外で困っているキリギリスを助ける地上的労力の発揮が必要なんだろうと思う。

ちなみに

「あなたの笑顔に救われた」なんて話はよく耳にする。「あの時言われた一言で救われた」などもそうだ。我々が多様性のこの現世の中で、「身をもって果たさねばならない地上的労力」のリストの中に「微笑む」「挨拶する」「気遣う」「ねぎらう」「背中を押す」「肩を抱く」「握手する」「慰める」「勇気づける」「同情する」「傾聴する」「受容する」「理解する」「承認する」「あるがままを受け入れる」等は必ず入っていると思われる。

あなたはどう考えるだろうか?



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