見出し画像

人類が目指すべき指針とは 【『論語』に学ぶ】

子曰く、
きょうにして礼無ければ則ち労す。
しんにして礼無ければ則ちおそる。
ゆうにして礼無ければ則ちみだす。
ちょくにして礼無ければ則ちせまし。

【現代語訳】
孔子が言われた。
人に対してうやうやしいのはけっこうだが、それが礼にかなった丁寧さでないと、骨折損でかえって人にあなどられる。
事に当って慎しみ深いのはけっこうだが、礼から出た謹慎さでないと、臆病者の形になる。
勇気のあるのはけっこうだが、礼で調節しないと乱暴になる。
卒直なのはけっこうだが、礼のかざりがないと冷酷になる。

『論語』泰伯第八篇

子路曰く、君子は勇をたっとぶか。
子曰く、
君子は義以てじょうと為す。
君子勇有りて義無ければ乱を為す。
小人しょうじん勇有ありて義無なければとうを為す。

【現代語訳】
子路が、「君子は勇をたっとぶものでしょうか。」とたずねた。
孔子が言われた。
君子は勇をたっとぶが、勇よりもさらに義をたっとぶ。
すなわち為すべきところと為すべからざるところの判別に重きをおく。
上に立つ者に勇があって義がないと反乱を起し、下に居る者に勇があって義がないと盗みをするぞ。

『論語』陽貨第十七篇

子曰く、
ゆうや、なんじ六言りくげん六蔽りくへいを聞きけるか。
こたえて曰く、いまだし。
れ、われなんじに語らん。
仁を好みて学を好まざれば、其のへい
知を好みて学を好まざれば、其の蔽やとう
信を好みて学を好まざれば、其の蔽やぞく
直を好みて学を好まざれば、其の蔽やこう
勇を好みて学を好まざれば、其の蔽やらん
ごうを好みて学を好まざれば、其の蔽やきょうなり。

【現代語訳】
孔子が子路に向かって言われた。
ゆうよ、お前は『六言りくげん六蔽りくへい』すなわち仁・知・信・直・勇・剛の六つの言葉であらわされた美徳に、六つのおおわれる所、いわば暗黒の部分がある、ということを聞いたか。
子路が起立して、「いえ、まだ聞いたことがありません。」と答えた。
そこで孔子が言われた。
まあ座りなさい。話してやろう。
いかなる美徳も学問をして義理をわきまえ本末軽重の見境みさかいがつかぬと、せっかくの美徳がおおわれて脱線し堕落する。これを『へい』という。
仁を好んで学を好まぬと、蔽われてばか正直になる。
知を好んで学を好まぬと、蔽われて誇大妄想になる。
信を好んで学を好まぬと、蔽われて過信・軽信・迷信になり、人を利せんとしてかえって人をそこなう。
直を好んで学を好まぬと、蔽われて苛酷・非人情じ・杓子定規になる。
勇を好んで学を好まぬと、蔽われて乱暴狼藉になる。
剛を好んで学を好まぬと、蔽われて狂気のさたになる。
(これが『六言の六蔽』である。)

『論語』陽貨第十七篇

子貢曰く、君子も亦たにくむこと有るか。
子曰く、悪むこと有り。
人の悪を称する者を悪む。
下流に居てかみそしる者を悪む。
勇にして礼無なき者を悪む。
果敢にしてふさがる者を悪む。

【現代語訳】
子貢が、「先生のような君子にもきらいな人がいますか。」と質問した。
孔子が言われた。
それはあるとも。
他人の悪事を言い立てる者がきらいである。
下位に在って上位の者を悪様あしざまにそしる者がきらいである。
勇のみあって礼のない者がきらいである。
思い切りはよいが道理のわからぬ者がきらいである。

『論語』陽貨第十七篇

孔子は、中国春秋時代の人です。
それは絶え間なく内乱や国同士の戦争が行われていた時代でした。
それもあってか、孔子は「蛮勇を好む礼無き者」を相当嫌悪していたようです。
冒頭で紹介した彼の言葉を見れば、それは容易に判断できるでしょう。

翻って現代を見渡せば、孔子の時代と大差ない状況であることがわかります。
と言うより、この地球上で何かしらの内乱や戦争が無かった平和な時代というものを人類は未だかつて享受したことがありません。
そのような意味では、人類は孔子の時代から、ほとんど進歩していないのかもしれません。
自らの欲求を実現し、自らを表現する手段として、武力や暴力、権力といった「パワーを誇示する」という手段しか持ち合わせていない人たちが、どの時代、どの国にも厳然として実在し続けたことが要因と言えるでしょう。

孔子の言葉は、戦争や争いが絶えない時代にあっても、決して諦めたり迎合したりすることなく、「まさしき道はこれだ」と示しているからこそ、どの時代であっても、多くの人々の心や魂に響くのです。
それ故、『論語』は学ぶべき名著として、今日まで世界中で読み継がれてきました。
学問の道を歩む者として、孔子が説いている「理想の社会」を実現するために、何か出来ることはないかということは、常に念頭に置いておくべきでしょう。
人類が持ち合わせている生物としての闘争本能や攻撃本能は、スポーツとして昇華することで、わずかばかりでも解放されるようになりました。
また、過去2回の世界規模の大戦を経たことで、次の世界大戦では、人類としての存続は難しくなるという共通認識のもと、国際連合をはじめ、様々な地球規模のシステムや機関によって、戦争にならないための方策がとられるようになってきています。
それでも、国同士の争いが止む気配はありません。

「人として礼を尽くす」という簡単なことさえ、まだ人類は為し得ていません。
悲しいかな「人としての尊厳」「人間らしさ」というものがないがしろにされているというのが実情です。
このような状況にある現代の我々にとって、全人類的な規模で目標とすべきことを孔子はしっかりと示してくれています。

顔淵がんえん仁を問う。
子曰く、
おのれちて礼にかえるを仁と為す。
一日いちじつ己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰せん。
仁を為すは己に由る。
しこうして人に由らんや。
顔淵曰く、其のもくを請い問う。
子曰く、
礼にあらざればることかれ、
礼にあらざれば聴くこと勿かれ、
礼にあらざれば言うこと勿かれ、
礼にあらざれば動くこと勿かれ。

【現代語訳】
顔淵が仁とは何かと質問した。
孔子が言われた。
己の中にある私心に打ち克って、礼の大法則に立ち帰るのがすなわち仁である。
いったん『己に克ちて礼に復る』ことができれば、天下がその仁徳に帰服することだろう。
しかして仁を為すか為さぬかは、克己復礼をするかせぬかという自分次第のことである。
それは決して他人事ではない。
そこで顔淵がさらに、
「どうぞ、その細目をお示しください。」と質問した。
孔子は言われた。
礼にかなわぬことを視るな。
礼にかなわぬことを聴くな。
礼にかなわぬことを言うな。
礼にかなわぬことで動くな。

『論語』顔淵第十二篇

この記事が参加している募集

わたしの本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?