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春、始めたこととやめたこと

仲間と集まって、桜の下にシートを広げて、料理やお酒を並べて。そんな花見は今年もできなかった。
感染症は、わたしたちから季節感というものを奪っていったようだ。

それでも娘の入学式の直前、桜が散ってしまう前に、家族だけでささやかに花見散歩をした。

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桜の花は年々白っぽくなるという。
たしかに、花に接近すると意外な白さを知る。
けれど遠目にはやっぱりピンクの靄のように見えるから、大丈夫なのだと思う。思いたい。思おう。

毎晩寝かしつけの際、わたしと夫とで、娘と息子それぞれに絵本の読み聞かせをしてきた。
けれど、娘が小学生になるにあたり「今夜で絵本を読むのを最後にするよ」と宣言してみた。
「これからは、必要なら自分で好きな本を読んで」と。
娘は意外にすんなり受け入れてくれた。
次に何か読み聞かせるとしたら、きっと性教育の本だ。

それから。
娘と息子のために、思いきってツインデスクと学習椅子を用意した。
代わりに、わたしの上京当時から使っており今や子どもたちの落書きだらけのローテーブルと、食事やお絵かきに使ってきた小さな子ども椅子を処分することにした。
子ども部屋はがらりと様変わりした。

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イスが小さくなったのか
きみが大きくなったのか
ぼくは小さくなれない
イスは大きくなれないよ
/「グローイングアップップ」

Eテレのサブカル番組、もとい子ども向け番組「みいつけた!」のあの名曲が蘇る。
食事用の子ども椅子が成長によりきゅうくつになってきたためさよならするという、宮藤官九郎×星野源によるお別れソングだ。

この椅子たちが我が家にやってきた日のことを思いだし、目の前が霞んだ。
二脚重ねて、さよなら、と燃えないごみ置き場に置いた。

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曇り空の下、娘の入学と息子の進級を見守ったら、どっと疲れた。
ひとりは学校と学童、ひとりは保育園という2年間が始まったのだ。
小学校と関わる日々でいえば、通算8年間の始まりだ。
なんだかくらくらしてくる。

健康で心豊かに育ってもらうため力を尽くしつつ、ただ消耗して終わらないように、わたしはわたしでひとつ新しいことを始めるつもりだ。
不惑を過ぎても、小学生のママになっても、表現者としての自分を諦めきれなくて困ったものである。

私には私の分の春が来て遅刻覚悟の桜見物/柴田瞳

生きているうちに第二歌集を出すために使わせていただきます。