見出し画像

◆読書日記.《津野香奈美『パワハラ上司を科学する』》

<2023年3月28日>

 津野香奈美『パワハラ上司を科学する』読了。

津野香奈美『パワハラ上司を科学する』(ちくま新書)

 何をパワハラとし、何がパワハラでないのか。これは個別のケースで判断しなければならない部分もあって難しい。

 パワハラの定義は大枠では決まっているが(例えば本書にも紹介されている通り「改正労働施策総合推進法」などにも規定されている)、当人らがそれを「パワハラ」だと認識していないケースもあるので、けっきょく被害にあった人が退職に追いやられたりメンタル不調を訴えたりという事実上「手遅れ」の状態になってやっとそれが「パワハラ」だと認知されたりするものであったりする。

 本書にも書かれているが、パワハラを行っている加害者は自分がパワハラを行っている事に驚くほど無自覚な事が多い。

 パワハラ行為者に関する研究は、まだまだ少ないのが現状です。しかも、そのほとんどが被害者から報告された行為者の特徴についてまとめたものであり、行為者に直接アプローチした研究は限りなく少数です。
 その理由は、単純に、妥当性のある情報を本人から取得することが難しいためです。パワハラ行為者側に話を聞いたり、パワハラの事実確認調査をしたことのある人であれば経験があるかと思いますが、「加害者」とされている人に話を聞くと、驚くほどに、パワハラをしていること、あるいは誰かを傷つけたり職場環境を悪化させたりしていることを自覚していまません。
 それどころか、自分のことを非常に面倒見のいい上司であると認識していたり、むしろ部下にないがしろにされていたりする被害者であると認識している場合もあります。そのため、パワハラをしているかどうかを行為者本人に聞いても、客観的に見て妥当性のある情報を取得することができないのです。

本書.42より引用

 加害者側が自覚がないだけではなく、被害者側にもパワハラ被害にあっているという自覚がないケースもままある。

 パワハラ加害者はたいてい「これはお前のために厳しくしているんだ」という大義名分を持って罵声をあびせたり人格否定的な言い方をしたり、という事をしているので被害者側も「自分が悪いのだから耐えなければ」という意識になって「被害を受けている」という意識がないという事もある。

 昨今のニュースにもしばしば目にするように、社員がパワハラによって自殺した、パワハラによって訴えられたという事例は尽きない。

 パワハラ被害者の「その後」は、わりと不幸になる事は多い。

 パワハラによっていちど鬱病や不眠症、適応障害などの精神病を患うと、その人の人生を狂わせてしまうほどの長期間の療養が必要になってしまう。風邪や怪我のように数か月で完治する事などはほぼなく、数年~数十年を費やして少しずつ寛解させていかなければならない事のほうが多い。
 そこまでの被害でなくとも、計画的に退職した訳ではないので、退職後の転職活動も厳しいものとなってしまう。

 しかし、パワハラ加害者側の自覚はたいがい薄い。人間ひとりの人生を確実に狂わせてしまうだけの事を行っているというのに、だ。

 会社で人事や労務関連の仕事をしていると、現場から社員が退職するという報告が上がってくる。
 パワハラ関連で社員が退職した、となると現場担当の管理職からヒアリングをするのだが、加害者となった社員については、反省した風の人もいるが、激怒しながら文句を言う人などもいたりするのである。

 ぼくが直接聞いたケースだと「仕事ができないんで説教してやったら逆ギレみたいに退職するとか言いだしやがった!もっとまともな社員を現場によこせないのか?」とか「せっかく来てもらったのに一週間もしないうちに退職すると言い出した。早く次の求人を出してくれ。もう少し辛抱強い人にしてほしい」とか「あいつはアルバイト感覚で仕事をしていたんで、社会人としての仕事の仕方を教えるために少し厳しくしてやったら、すぐ音を上げて辞めると言い出した。人事部はもっとちゃんとした人を採用できないのか?」等というのがあった。
 これらはだいたい被害者のほうの話を聞くと加害者側は明らかにパワハラ行為をしているし、被害者のほうは実際にメンタル不調を訴える程度のダメージを負っているのである。

 因みに、本書にも書かれているパワハラの定義をいちおう引用しておこう。

「改正労働施策総合推進法」において、パワハラは「職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題」と表現され、「職場において行われる①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を越えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの要素を全て満たすもの」と定義されました。

本書.17より引用

 上の「優越的な関係」というのは、何も上司のみに限定されるものではない。著者によれば「例えば、勤続年数が長いこと、組織のトップや上層部と仲が良いこと、最新の知識があること、人数が多いこと等も、パワハラの背景となる「優越的な関係」になりえます(本書P.18より引用)」と書いている。

 以前の記事で紹介した坂倉昇平『大人のいじめ』でも、最近は先輩や同僚、後輩なども含めて広義の同僚らが行っているイジメというものも増えていると報告されていた。そういったものも「優越的な関係」というものの内に入る事となる。

 勿論これだけが判断の全てではないので、詳しく知りたければ本書の内容を直接チェックするべきであろう。

 この状況は改善されないのか?という事は、ぼくもしばしば仕事の上司からさんざんパワハラを受けてきた経験がある身として、以前から興味を持っており、以前からパワハラ関連の本は何冊も読んできた。
 しかし、残念ながら、今のところ「これだ」と思えるような実効性のありそうな内容の本には出会っていない。

 と言う事で科学的エビデンスを踏まえて「パワハラ」に関して10年以上にわたって研究して来たという著者の書かれた本書の内容と言うのは非常に興味のある所であった。

 本書にかけるぼくの期待のひとつは、何よりも「科学する」の部分である。

 著者も「おわりに」で「私はずっと、日本のハラスメント対策に科学的な視点がないことに危機感を持ってきました。(P.260)」と指摘しているように、特に一般社会人が読む書籍の中に「科学的根拠」を以てして対策方法を解説する方法が少ないという事はぼくも気になっていた所であった。

 この際「科学的である事」というのは、バカにならない重要なポイントだと思っている。

 何故か?「科学的根拠」でもなかったら、会社に動いてもらうよう上層部に説得するだけの材料になりにくいからだ。

 残念ながら「社員の健康を守るために」という大義名分があるにも関わらず、その手の感情に訴えかけるだけの説得では、会社を動かす事はなかなかできないのだ。

 何かしら「パワハラ対策」を会社で行うと言う事は、何かしら他部署の活動を一つ増やす事になる。
 だから「うちの部署の仕事を増やすのか?」「この不況で忙しいのにか?」「それに効果が無かったら責任を取るつもりはあるのか?」等といった反発は当然予想される。
 この手の提案に対して社内の部署が理解を示しており、更に協力する姿勢も持っている事が前提となる。

 それに、パワハラがその会社内で「危急に対策が必要なほど差し迫った問題である」という認識がなければ、「それで利益が上がるのか?」という理由で優先順位が下げられてしまうという事も起こりうる(パワハラで何かしら問題を起こして「対策が必要だ」という感じで現実的に目に見える問題にならなければ、なかなか会社は動いてくれないものだ)。

 しかし、パワハラであったり社内のイジメであったりという事が横行していると、会社のパワーというものはジワジワと衰退していく事となる。

 ぼくは、会社にとって「人材」というのは、戦争で例えれば兵站と似たような要素があると思っている。
 欠乏していても、しばらくは頑張れるので「派手な戦果」に目を囚われている上層部からしてみれば、優先度を下げられてしまうという事が往々にしてある。

 しかし、パワハラの被害にあっている社員のパフォーマンスは下がって行くし、最悪その社員は辞めてしまう。

 見えにくい部分ではあるものの「人材」というのは、タダではないのである。

 人事部が採用するのには広告費も人件費もかかる。社員と言うものは、放っておけば入社希望者がぞろぞろ集まってくるというものではないのだ。それなりのスキルを持った社員を募集しようと思ったら、それなりのコストがかかるのである。
 金をかけて採用した人材がその会社の仕事を覚えて慣れて戦力になるには、多かれ少なかれ時間がかかり、その分「教育コスト」もかかる。

 社員一人が退職するという事は、今までそれだけのコストをかけて育ててきた「社内のやり方にマッチするようカスタマイズされ、その仕事に必要なノウハウを蓄積した人材」が突然いなくなるという事を意味する。

 欠落したポジションを埋めるために新人社員を入社させると言う事は、その人物にかけてきた採用-教育コストを全て捨て去って、コストを最初から投入し直さなければならないという事なのである。
 本来ならば長期間かけて社内に蓄積されて行くものを、みすみすリセットさせてしまうのだ。

 これは人事部の人間であれば当然意識している事なのだが、そういった認識が社内に共有されていないと、平気で部下を消耗品のような扱いにしてしまうような管理職が現れてしまう事となる。

 例えば、短期間で実績をあげさせるためにムリヤリ圧力をかけて過重労働を強要し、社員が潰れたら次の社員を人事部に要求する……というサイクルでやっていると、様々な所にしわ寄せが押し寄せてくる事となる。

 気が付けば中間管理職になれるだけの人材がほとんど育っていない。
 社内全体の技術力がなかなか向上しない。
 年がら年中採用しているにも関わらず社員数がほとんど増えない(採用-教育コストのみが毎年地味に詰みあがっているが、気付かれる事はない)。
 何年たってもチームのパフォーマンスが上がらない。チームの雰囲気も悪い。
 どこの部署も常に未熟練社員を抱えている。
 社員のモチベーションが低い。
 求人を出しても業界内にろくな人材がいない。人材も集まって来ない。
 などなど。

「人材は戦争で例えれば兵站と似たような要素がある」と言ったように、これらは「しばらくは我慢できる」ものだからこそ、目に見える数値としては表しにくい。
 近視眼的な考え方しか持っていないとこういったジワジワと押し寄せてくる問題に気付かない事も多い。

 大日本帝国が兵站を軽視したために、けっきょくアジア太平洋戦争における日本兵の死因の過半数が餓死という状態になっていた……というのと同じように「大きな問題ではない」と思っていた地味な損害が詰みあがって、誰も巨大な損失になっている事に気付かないという事は往々にしてあるのだ。

 ……と、ついつい長くなってしまったが、とにかく本格的にパワハラ対策を会社に実行してもらうには、とにかく「説得」が必要であり、それにはあやふやな感情論ではなく「科学的なエビデンス」があったほうが役立つし、対策の方法についても精神論でなくしっかりとした科学的裏付けのある方法であるほうが安心感もある。

 だからこそ、ぼくはパワハラに関わる様々なトピックに科学的根拠を示し、一般社員にも読めるような内容にした本書に期待しているというわけである。

◆◆◆

 著者は現在、神奈川県立保健福祉大学大学院ヘルスイノベーション研究家で社会疫学、行動科学、産業保健学を教えている準教授である。

 本書は5章構成で成り立っている。

第1章:パワハラとは何か」では、法律上のパワハラの定義や厚生労働省によるパワハラの行為類型、ハラスメント実態調査などによって、実態のつかみにくい「パワハラ」というものの輪郭をハッキリと浮かび上がらせている。

 上にも書いたように、パワハラは加害者側も被害者側も、パワハラが発生しているという自覚が薄い場合がありうる。だからとかく、パワハラを行っている人が悪意を持っていたかどうかというのはほとんど関係がないのである。
 パワハラは当事者の意図した事と関係なく「結果的にその言動が相手を傷つけるものであるか、職場環境や就業意欲を害するものであるかを重視して判断を行う必要が(本書P.28)」あるのである。
 当人らが気付かなければ、周囲が「行為」を目撃した際にそれを指摘する事であり、それを指摘するのは当然だという社風を作り上げる事も必要になるであろう。だから社内全体でパワハラに対する理解は広まっているほうが望ましい。

 パワハラは判断が難しいからと言って「じゃあ、もう部下とあまり積極的に関りをもたないほうがいいのではないか。そうしたらパワハラになりようがないだろう」という意見もあろうが、著者は「いいえ、逆です。実は、部下と積極的に関わらない、放任型の上司がいる職場では、パワハラが発生しやすいことがわかっています」と指摘する。
 この情報はぼく的には初耳だったので目から鱗が落ちる思いであった。斯様に、パワハラは思い込みだけで考えないほうが良いという事でもある。

第2章:誰がパワハラをしているのか」では、パワハラ行為者の属性・職位・性格などの傾向を統計から見る内容になっている。

 ここに書かれている事はあくまで「傾向」を示したものだから、これに当てはまるからダメだという事ではないし、これに当てはまらないから安心だと言う事でもない。
 パワハラをする傾向に当てはまる人がいたからといってパワハラを防げないという事はなくて、本書には著者なりに、そういう「パワハラを起こしやすい人」やそういった個人に着目したパワハラ対策も提示している。

第3章:パワハラを引き起こす上司の三大リーダーシップ形態」では、様々な研究の中から、リーダーシップ形態の分類の中から、パワハラを引き起こす上司のタイプを紹介している。

 本書では特に「脱線型の上司」「専制型の上司」「放任型の上司」の3タイプを紹介している。

 この中で最も分かりやすいのは「専制型の上司」で(ぼくが最も良く絡まれた管理職というのがこのタイプだった/笑)、このタイプは上司と言う自分のポジションを用いて自らの仕事のやり方や考え方を押しつけ、自分の思い通りにさせようとする。
 例えば「自分の期待の成果に達しない部下に対して「なぜこんな事もできないんだ!?」等と馬鹿にする」「第三者から見て非合理的な罰を与える(腕立て伏せをさせたり朝礼で前に出て社員全員に謝罪させたりする等)」「すぐカッとなって怒鳴るなど、感情のコントロールが苦手である」等々の特徴があって、ある程度の規模の会社なら社内に何人かはいそうなタイプだ。

 で、注意が必要なのは、この手のリーダーシップをとる社員と言うのは、しばしば部下を疲弊させてチームのモチベーションを下げる一方、成績が良く仕事ができて組織内でも評価が高い事もあり、いざ問題が起こっても社内では「いや、そうは言ってもあいつは実績をあげているから、少し厳しい所もあるが、あいつなりのやり方で部下を良く指導しているのだろう」という認識で問題意識を持たれないというケースもあると言う事である。
 だから、この手の管理職と言うのは、社員が疲弊しパワハラが横行していたとしても、会社から歓迎される事もしばしばあるので、ますます自分の行為を正統化してしまうという事にもなってしまう。

 このように会社がパワハラやイジメを放任してしまっていたり、会社のトップ自体がパワハラ体質の人物であったりすると、そのような行為が社風となって是とされてしまっていたり、パワハラがもはや個人ではなく組織的に行われていると言った状況にも発展する場合があるという。
 このような場合は組織ぐるみで構造改革や意識改革が行われなければならないので非常に厄介な問題になってくる。

第4章:なぜパワハラは起こるのか――パワハラが発生するメカニズム」ではパワハラが発生するメカニズムを個人的な要因で引き起こされる「個人的パワハラ」と組織的な要因で引き起こされる「構造的パワハラ」に分けて説明している。

 この中で面白い指摘だと思ったのは、教育学の加野芳正の説から「全制的施設(total institution)」という考え方を紹介し、日本の職場がパワハラを生み出しやすい制度になっているという事を紹介している点だった。

「全制的施設」というのは「米国の社会学者であるゴッフマンによって提唱されたもので、社会から相当期間にわたって隔絶された閉鎖的空間において、個人が官吏された日常生活を送るような施設(本書.174より引用)」の事をいう。
 全社員、就業時間と就業時間が一緒で昼休みの時間も同じ時間帯でとり、特定の場所に集められて長時間拘束されるという、社員すべてが規則によって統制され「集団行動」が求められるという、日本の多くの職場が「全制的施設」の特徴に当てはまり、それが構造的にパワハラの原因になる場合があるというのだ。

 厳しい規則が社風となっていると、そこからはみ出す人間や馴染めない人間を排除するエネルギーとなり、それがパワハラやイジメという形となって顕現するのである。
 全ての企業がそうなるわけではないが、このような日本型のルールがあてはまる職場と言うのは、パワハラの起こり易いという事を認識しておくべきではあるだろう。

第5章:パワハラ上司にならないためにはどうすればいいのか」では、以上を踏まえて、では自分がパワハラを行わないためにはどうすればいいのかという実戦的な方法を紹介する。

 この章で紹介されているノウハウは実践的なものではあるのだが、ぼくが常々問題だと思っているのは、この手のノウハウはけっきょく「自分はパワハラをしたくない」と気を付けている人しか、真剣に取り組んでくれないという所である。

 パワハラに近い指導の仕方をしている管理職などは、自分のやり方を否定されると思って警戒してあまり真剣に取り組んでくれなかったり、自分の考えに反するノウハウだけを無視したり解釈を自分のいいように捻じ曲げてしまったりする。
 特に、上に紹介した「専制型リーダーシップ」を採っている人などは、自分のやり方で成功を収めてきたからこそ、自分のやり方を否定される事に酷く反発する。
 パワハラ対策をする場合は、まずこういった人々の説得から始めなければならないというのが厄介でもある。

 さらに厄介なのは、会社の上層部が軒並みパワハラに近い事をしていて(誰も見ていない会議室(もしくは社長室など)に呼び出して胸ぐらをつかむ、壁に押しつけて凄む、など傷跡の残らない程度の暴力行為を行う会社幹部がいるというのもわりと聞く話だ)、そのためにパワハラ的な指導を社風として是としてしまっているような組織である。

 本書でも著者が「体育会系職場」として、これと近いケースを紹介している。

 相撲業界には「かわいがり」という言葉があります。これによって死者が出た二〇〇七年の時津風部屋力士暴行死事件では、新弟子として在籍していた序ノ口力士・時太山(当時一七歳)が部屋を脱走したことに時津風親方が腹を立て、弟子に「かわいがり」を指示しました。その結果、他の弟子からの集団暴行(通常五分のぶつかり稽古を三〇分、金属バットで殴打等)を受けるに至ったものです。
 日本の企業でも、体育会系企業において、「しごく」「試す」名目でパワハラが行われることがありますし、某有名商社では、新入社員の通過儀礼として「焼きそばハイボールイッキ飲み」や「上司の靴に入れた酒を飲ませる」等の行為が横行していたことが報告されています(後者に関しては、実際に体験した人を知っています)。

本書.188より引用

 この手の組織となると、既に構造上パワハラやイジメが文化として定着してしまっているので、著者が言うように「組織改革・構造改革」が必要になる。……となると、一社員が気を付けても焼け石に水である。

 ぼくがこの手の本を読んで、最終的にどこか満足しきれない無力感のようなものを抱くのは、こういった組織ぐるみのパワハラ体質を持っている企業と言うものが、日本ではさほど珍しいものではないのではないかと思っているからだ。そして、そういう企業からパワハラを撲滅するというのが最も難しい。

 本書は広く社会人に読まれてほしい内容だが、特にパワハラ対策を行わなければならない人事・労務部門、教育部門、コンプライアンス対策部門などの担当者にお勧めしたい。
 それだけ根拠となる資料提示が丁寧で、会社を説得するための材料が豊富にある。資料的な利用をするにも適しているのである。

 ぼくのこの記事を読んで参考になったと思った方は、是非ともぼくのこの記事だけで満足せずに本書を通読すべきだろう。ぼくが上に書いてきた内容など本書に比べれば大した内容ではない。

 繰り返すが、パワハラとは人ひとりの人生をメチャクチャにして狂わせてしまう明確な加害行為だ。
 人の人生がかかっている。だから、たかだか自分の仕事のやり方だとか、会社の業績の良し悪しだとか、そんなものと比べられるようなものではないのである。
 が、しばしば会社ではそういった仕事や成績のほうの価値を重く見てしまうという逆転現象が起こっているのが現状なのである。

 パワハラ行為とはそれだけの重みのある「事件」なのだ、という意識変革を起こす事が最も重要であると同時に、最も困難な課題になってしまっているのではないか、とぼくはそう思うのである。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?