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つっ…強すぎるよ、ばあちゃん

ばあちゃんは、アクティブだ。

うちの父のお母さんだけど、
父は大好きなのだが、怒られるからかどうも苦手らしい。

ばあちゃんは最強で、
きちんとしてて、
自分の時間で動くのに、
聞く耳のある人である。


現在、父が手術で入院中。
わたしの耳に針を刺した実の父である。

わたしも弟も仕事で行けず(大阪、東京から、北海道だからね)
離婚してる母だけが北海道にいるものの、
我が家の離婚は、円満離婚、卒業タイプではないのである。
だからこそ、
友達に戻れるわけでなく、
だからと言って憎み合うわけでもなく、
それなりに大人な関係を保ってる。
そのため、母さんは、父さんの病院には行かないのだ。



「手術のこと,心配かけるからばあちゃんには言うな」

父は言っていたが、
本当はかまってほしい父である。
「ばあちゃんと聖子(わたし)のことは大好きだけど、怖い」と
わたしの娘にぼやくくらいだ。
どんだけ好きなんだ!( ゚д゚)
そして孫にぼやくな。


だからこそ、
そんな父の発言は無視して
本音を読み取り、
近況を全部横流しするのがわたしの役目である。
弟じゃダメだけど、わたしがするなら許される、という、我が家の謎な掟なのだ。

「ばあちゃん、ばあちゃん、
 父さんさ、何日から何日まで入院らしいよ!」
「○日に手術日だって!」

と、
マルっと全て横流しだ。



御年88歳のばあちゃん。

朝早くからバスと電車で片道2時間半かけて
父の病院にいき、
手術前の父に会い、
そのままホテルをとって、近場で過ごすそうだ。


強いよ、強すぎるよ、ばあちゃん。

ばあちゃんが当日の朝に行くなんて、わたしも聞いてないよ。
ばあちゃんは時々身勝手で、
その身勝手さは人を幸せにするから、
いい身勝手なんだと思うのだ。


こんなばあちゃんである。
ばあちゃん列伝は、あまりにも多くて、
この母にして、うちの父あり、と思ってしまう。

「駅の構内で一晩明かしたこともあるから、大丈夫よ! 全然大丈夫!
 こんなおばあちゃんを襲う人なんていないんだから」
と、
カラッと笑う。
あのときは60代だった気がする。


「ばあちゃんがいない!」
と、
じいちゃんから電話が来たとき。
わたしは、まだ小学生だった。

ばあちゃんは、札幌に車で行っていたのだ。
じいちゃんに黙って……。
片道6時間の運転である。
強いよ,ほんと強いよ……
でも、わたしも身に覚えがあるから、ばあちゃんのことは何も言わないし、言えないな。


みんなで泊まりがけで遊びに行っていたとき、
朝からばあちゃんが見当たらない。
探しても、どこにもいない。
仕方ないから、ばあちゃんだけ置いて、花見に出かけたのだ。

「見て!!」

と、いとこの声がして、
舞台を見ると、
ばあちゃんが、花見会場の舞台で
舞を披露していた。

ばあちゃん……言ってから行ってよ。

「だって、興味ないでしょ?」

我関せずのばあちゃんである。


定年退職してから、
家の一部を改装して
衛生許可をとり、
食品加工会社を始めたばあちゃん。
一時期,いい感じに売り上げて、かなり忙しそうにしてた。
ばあちゃんは、本当に顔が広くて人脈がすごいのだ。


定年退職後、東京には、ふらっと行く。
札幌には車でビューンと5.6時間かけて行く。
友達と旅行もするし、
歌舞伎も観に行っていた。


80を超えてから、
なぜか裁縫教室をひらくことになったのもばあちゃんだ。

コロナの間、
暇だからと着物をほどいて、ワンピースに作り替えていた。
そして、
コロナが明けて、それを着て歩いたら
「ハイカラね!」
「いいわね!」
「どこで売ってるの?」と聞かれて
「作ったの」と答えると、
「教えてー!」とたくさんの人に言われて、
まさかの教室を開くことになったのだ。

ばあちゃんの面白いのは、
「わたしが型紙を考えたわけじゃないし。無料で教えるわよ」

たくさんの人に教えたのだ。
そしたら、玄関の前には
お礼と称して
野菜が届き、昆布が届き、漬物が届き……。
結局、いろんなものが届いているのである。


あの時代、
じいちゃんが漁師だったから、
公務員として、家族を支えたばあちゃん。
ひいじいちゃんの介護も葬式も取り仕切り
ひいばあちゃんの介護もやり遂げ、見送り、
じぃちゃんも見送ったばあちゃん。


武家の血筋は並じゃない。


ばあちゃんにしか受け継がれてない「武家の帝王学」があるのだ。


「実はね、ばあちゃんのばあちゃんは、
 〇〇藩の藩主の娘だったのよ。 
 だから廃藩置県のときに北海道に逃げて,名前も変えて暮らしてたのよ」


と、
教えてくれていた。

わたしは、
カレンダーの裏に家系図を書くのが好きだったから、
描き始めると、必ずそばに来て、この話をしてくれた。

小さいときは信じた。
高校になって、そんなわけないじゃん、と思った。
20歳になって、ばあちゃんがそう思い込んでるならそれでいっか、と思った。

そして今、
ネットで調べたら
ちゃんとその聞いた苗字があるではないか!!

これは……行ってみたい。
ばあちゃんが言っていた場所に、行ってみたい。
今は旅程を作ってる最中だ。
本当ならもっと簡単に飛ぶんだけど、
流石に、飛行場から4時間のレンタカーはつらい。知らない土地で1人でレンタカーとか、怖すぎる。
それに、今のタイムスケジュールだと厳しいから、財布と時間の根回しをしている。


ばあちゃんのばあちゃんはどこで育ったんだろう?
江戸幕末期、権力の移行があったからこそ、
苦渋も苦悩もあったと思う。

それでも
ばあちゃんに残っている「帝王学」があると思うのだ。
人を憎まず、時代を憎まず、自分ができることをただひたすらにする。
逃げた先でも、それなりの役職でいたのは、人徳か……はたまた、基礎能力か。


品があり、
早寝早起きが基本。
朝起きて、部屋の雑巾かけから始める人だ。
よく働き、よく学ぶばあちゃんなのだ。
趣味は読書、手芸、旅行。
部屋の片付けも好きな人だ。
80を超えてから、パソコンも覚え、
今でもLINEでやり取りしてくれる。

早寝早起き、自助努力、と育ったのだと思う。


退職してもなお、
生活習慣は変わらず、
よく働く祖母なのだ。


さて、怖がりの父の話に戻ろう。

手術のあと、
ばあちゃんが報告のLINEをくれた。

術後の父にも無事会えて、元気だったとのこと。
何よりである。

そして、
最後のひとこと…

「お前のお父さんの彼女が、送迎してくれて、ばあちゃんもさすがに戸惑ってます」


最強のばあちゃんを困らせる父は、
ある意味、最強かもしれない……。

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