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慈悲の瞑想について②

先日も慈悲の瞑想について書いてみましたが、今回はクラスの中でご質問をいただいたので、ちょっと別の視点から書いてみます

慈悲の瞑想は
私の幸せを願い
私の好きな人の幸せを願い
私の嫌いな人の幸せを願い
生きとし生けるものの幸せを願います
クラスでのご質問は、これって執着にはならないの?ということでした
その通りです
が、ちょっと違うと思います
ヨガの八支則の中のニヤマの一番目「サウチャ」
綺麗にする、とか浄化するという教え
これは自分自身の身体や身の回りを整えるということの他に
言動・行動・思考も整える(浄化する)という意味があります
瞑想とサウチャ とても似ていると思います
瞑想の目的は思考や感情の浄化でもあります
ということは、嫌いな人の幸せを願うことも、生きとし生けるものの幸せを願うことも浄化につながるのではないでしょうか?
前回も書きましたが、会った瞬間から嫌いな人っていないですよね?
何かが積み重なった結果嫌いになる
イヤなことをされたのか言われたのか、の結果嫌いという感情が湧いてくる
しかし、その人が嫌なことをするのは何か原因があるからではないでしょうか?
その原因が取り除かれたらどうなるでしょう?嫌なことをしなくなったら?
この嫌いという感情が浄化されたらどうでしょう?
そう思うと嫌いな人の幸せも願えるのではないでしょうか?

私の体験ですが、とても嫌な人との関係が終わったあと、瞑想を続けた結果その人との良い思い出しか思い出さなくなりました
いろいろな記憶はもちろん残っていますが、イライラした感情や苦しい感情は出てこなくなりました
代わりに楽しかった思い出は出てきます
これが浄化されたということかな?と思っています
(かと言って、その方には会いたくありませんが)
思考や感情が浄化されると自分自身が楽になります
この道筋を教えてくれているのが慈悲の瞑想だと思います
好き嫌いを手放しなさい、ジャッジしないであるがままを見なさい
そう言われているような気がします

私も少しずつですが、その道筋が見えてきたように思います
また、皆さんにこの道筋をお伝えしていきますね

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