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おせちと母

私がおせちモンスターになってしまった大きな原因は母の愛にあると思う。

私の母が嫁いだ年の冬、姑から「うちの家ではおせちを作るから」と言われたそうだ。料理嫌いの母は、急いで料理本を買いに書店へ走った。

ところが、あと一週間で新年を迎えるころになると、姑は急に「私はおせち作りに参加しないから」と言い放った。それを聞いた母は絶望しながらも一人でおせちを作りあげたそうだ。それから年末になると母はおせちを作ることを強いられた。
当時はまだお取り寄せなんてものはなかったし、おせちは家族総出で作って当たり前の時代。料理嫌いな母の苦労は計り知れない。

私たち姉妹が固形食が食べれるようになると「どうせなら子どもたちが喜ぶものを」と思い立って母が作ったおせちが、私の原点だ。

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鶏団子、肉巻き、卵焼き。重厚な黒塗りのお重に子どもの好きな好きなメニューが詰まったおせちは、私の心にまんまと突き刺さった。
私は「好きな食べものは?」と聞かれて「おせち」と答える子どもになり、「あんなの大人の食べものじゃん!」と呆れられると、なぜあんなに美味しい箱を否定されるのか不思議で仕方なかった。当時はまだ家庭によって重箱の中身が違うことを知らなかったのだ。

今思うと、うちのお重には三の重に子ども用のおせちが詰まっており、かなりイレギュラーなものだった。(五段重の五段目には「家族の好きなものを詰める」という場合もあり、あながち間違ってもいない。)

やがて両親は離婚したが、年末になると母は「今年はおせちどうする?」と聞いてくる。その言葉の裏には「大変だし面倒だから作らなくてもいいかな?」という意味が含まれているが、私は決まって「絶対作って!」と答えるので、母はおせちの呪縛から解き放たれることはない。
しかしそれから数年経って私もすっかり大人になり、はたと思い立った。もし母がおせちを作らなくなったら、私の大好きなおせちは絶滅してしまうのか。なんとしても絶滅だけはさせてはならない。私は母におせち作りを教わりたいと志願した。

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一年目はメモを取り、二年目はメモを見ながら手伝った。しかしこの間には一年の空白期間がある。
さらに去年のメモには「しょうゆをサーッといれる」と書き込んである。実際どれぐらい調味料が入っていたか思い出せない。母も私も料理のときに計量をしない人種なので、結局体に覚えさせるしかなかった。

ようやく三年目にまともに手伝えるようになり、四年目は母に手伝ってもらって一人でおせちを作れるようになった。そしてついに五年目、私は一人でおせちを作れるようになった。やった、ついにやったぞ。もうおせちは絶滅しない。

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私は死ぬまで一生おせちを食べれる。そして母にあの一言をやっと言ってあげられる。
「もう、おせち作らなくていいよ。」

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