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幸福の小鳥たち

「わたしは幸せになりたい。」
そういうと、なんだか身体の芯が凍えた気がして。
『幸福の小鳥たち』を皆殺しにしたい。その思いはいや増して抱える猟銃にも力がこもる。
 こんなことを言うのはわたしだけだろうか。世間によれば答えは既に準備してあって、疑問を挟むと妻は逃げだしていくという。現にわたしの妻は昨晩逃げだした。小鳥たちと同じように。「あなたといるとズルいことが出来なくなるの。」そういって、結婚指輪は最後の味噌汁の底に沈んでいた。ようやく出会えた妻でさえもあなたがわからないと言って、幸せのほうがいいのと言って、曖昧なのは嫌いなのと言って、この愛の巣を旅立っていった。

 巷で噂になっていた『幸福の小鳥たち』わたしの妻もどこで聞きつけたのか「わたしも探しに行きたい」と言いだした。
 新聞の訃報欄を眺めていたわたしの目に飛び込んできたのは、わたしをいじめぬいて大出世した男の名前だった。誤字のせいで一瞬別人かとも思ったが、名前からふてぶてしさが溢れだしていたから間違えようがなかった。

「なにを探しに行くの?それよりほら、こいつ死んだって。去年偶然スーパーで会ったけど買い物カートに自分の子供詰めこんで、大声で小林旭の『昔の名前で出ています』歌っててさ、子供は親に似てぶっさいくだし、あんな奴がなんで幸せそうに生きていられるのか、わかんないや」

「ねぇ、人の話、聞いてる?」

「聞いてるよ。」

「あぁやって、好き放題やってる連中が名を馳せていくのはなんでなのよ。ひとりで歯食いしばって、地の底這って生きている人間はたいてい、野垂れ死に。無様だよな。いつかは報われると思い込んで、意地張って、自分の正しさのなかに生きることに拘りつづける。」

「あなたはどっちなの?」

「俺は両者だよ。どっちでもないよ。」

「そうよ。だからダメなの。あなたには物語がない。」

 話の内容はさして気にしていなかった。会話は流れていくものだ。重要な話をするときにはピースサインをして二回指を曲げる様式を採用すべきだったのかも。「空揚げ定食が食べたい」のあとに二回指を折れば、なんとしてでも空揚げ定食を食べなきゃならない日だとわかる。ベッドへの誘い方も様式を決めるべきだったのだろう。わたしたちはお互い指を折ることを知らず、サインを送ることを知らず、気持ちよくなれなかった。

 真新しい猟銃は高度な文明の匂いがした。これで小鳥たちを撃ち抜いていけば、今まで難しいと思っていたことも簡単になるだろう。わざわざ幸せを探し求める人々もいなくなる。わたしは味噌汁を啜って銃を磨いた。それからその日は眠ることにした。

 次の日、朝も味噌汁を啜って、紺色のつなぎに迷彩柄のハンティングブーツを履き、猟銃を小脇に抱え表へ出た。雲一つない晴天で木立の間から木漏れ日が差し込む。山腹を削って整地された一帯にわたしの家は建っている。木造平屋で小さな家だったが困るようなことはひとつもなかった。石段を降っていると隣家の爺がこちらに向かってくるのが見えた。

「おはようございます。」

爺は手で庇をつくり、目元に影をつくると太陽の方角を確認してから

「あぁ、おはようさん。今日はどこへ狩りに行くんだい」

「爺さん、知っているかどうか分かりませんが最近『幸せの小鳥たち』って呼ばれている野鳥がいるらしいんです。僕も詳しくは知らないんですけどね、僕の嫁も小鳥を探しに行くって出てったきり、帰ってこないんですよ。困ったもんです。」

「ああ、その鳥なら、山越えた谷間にある池にいるらしくてな。うちの娘婿も寄り合いのときに噂を聞いてから、娘ひきつれてもう一週間はたつんじゃなかろうか。それっきり帰ってこんのよ。どこをほっつき歩いてんじゃか。」

爺は口元をもぐもぐさせ入れ歯を取ると、朝日にかざして沢庵のカスを小指で取り除いている。

「爺さんは気になりませんか」

「小鳥じゃろ。小鳥じゃなにも出来やせんわい。」

「と言うと」

「幸せの青い鳥やったかの、童謡か童話か、よう覚えちゃおらんが、あれが流行ったのは青かったからじゃ。青い鳥じゃったからみんな夢を見れたようなもんでな、ただの小鳥じゃ空も飛べぬわ。若い連中は直ぐ騙されよる。」

「そんなものが流行ったんですか」

「ありゃ、何年前かのぉ・・。なんであれ、流行りものに幸せなんぞありゃせんわい」

「幸せはありますか」

「どうかの。なんでも言葉にせにゃ人は落ち着かんからの。モヤモヤするから名前つけて安心したいのやろ。」

 そういうと爺は屁をひとこきして猿股のまま、前庭にある山水を引いた桶で顔を洗い始めた。わたしは石段を降る。重心が左右に移動するたびに猟銃がカタカタと音を立てている。後ろから爺の声が聞こえる。朝日に向かって何かを叫んでいるようだった。徐々に爺の声が小さくなっていき、車に乗り込むころには村全体が静まりかえっていた。

 巨人に蹴とばされたような跡がフロントバンパーについている4WDのハンドルを回すわたしの腕は、軽快だった。カーブに差し掛かると磁石に吸い寄せられるように腕が、右に、左に、自在に動く。ハンドルから触手が伸びて、わたしの腕に繋がっているような一体感。
 そういえば、妻とのあいだに、このような一体感を感じたことはついぞなかった。男と女のあいだに横たわっている溝か、谷か、奈落か、ビルか、その距離を測る方法を誰か編みだしておかないと、いずれ男と女がこの星の地形を変えてしまうだろう。

 窓を半分ぐらい開けて、風の匂いを嗅ぎながらわたしは山の腹を突き抜けていった。耳を澄ましてみると、ときおり、ピロピロピロと小鳥の鳴く声が聞こえる。山に住む獣たちの声に狩る者を恐れる気配は感じない。こういうとき猟犬がいれば、その気配をまっ先に嗅ぎとりわたしに教えてくれるのに。わたしは長年猟を共にしていた愛犬のタンコに襲われてから、一人で狩りをするようになった。なにをやるにもひとりだった。不思議なほどに、わたしの周囲には誰もいない毎日だった。

 針葉樹の一帯を抜けると平野が広がる。畑では百姓が案山子と戯れている。あれは十三君だろう。最近いい女ができたと言っていたが、あの様子だと、案山子に色気を見出したのか、赤や黄色のモンペを並べ、どちらが案山子に似合うのか比べている。それを遠巻きにみている子供たち。実に平和な光景だ。なぜこの村に幸せが必要なのかわたしにはわからない。

 小鳥たちのいるという池までもう少しだ。山裾の麓に伸びる農道をひた走る。その道に沿うように長く続くビニールハウスは蛇の腹部のようだ。どこまで行っても均等で乱れがなく、しっかりとその役目を果たしていた。わたしの4WDも満足げだ。ビニールハウスが切れたところで車を停め、道の外れにある川にかかった手製の橋を渡る。獣道とまではいかないものの、叢が生い茂る小道をわたしはひとりで歩き始めた。ここらで池といったらこの先にある、小さい溜池のような場所しかない。原生林に囲まれた小道を20分ほど進むと開けた場所に出た。

 池の中央には大きな木が生えていた、立っていた。岸には女性がひとり、子供がふたり、木の枝に向かって石を投げている。そして木を囲むように男女が数人、踊っているのか、懇願しているのか、両手を天に掲げている。
 岸にいる石を投げている女と子供は怒っているようで「チキショー」やら「腐れ外道‼」やら「大馬鹿野郎」といった罵詈雑言、呪詛の類を放っている。その顔には見覚えがあった。
 先日亡くなった、いちおう、もと、いじめっ子の妻と子供だった。子供の投げる石は勢いがなく、枝まで届かず木の根元に落ちている。そのいくつかは両手を天に掲げる男女の頭に当たっていた。恍惚とした表情で涎と涙を流してゆらゆらと揺れている人々のなかにわたしの妻と、爺の娘と旦那、他にもこの村の若人が集まり、輪になって、腰まで水につかり、なにかを欲しているように見えた。
 いじめっ子の妻は木の枝に向かって勢いよく石を投げる。がさがさと葉が揺れるあいだから黄色い小鳥たちがピロピロと鳴きながら、軽く羽ばたき、枝伝いに移動しているのが見えた。そのたびに羽から黄色い粉が舞い落ち、幹を囲む人々はその粉をどうやら待ち受けているようだった。

 わたしは妻に声をかけてみた。反応がない。おそらく声は届いていないのだろう。だったら、と思い、猟銃を空に掲げ空砲を撃とうとしたとき両手の自由が効かなくなった。岸から石を投げていた子供が両腕にしがみついていた。そのまま銃を奪われ、未亡人が銃口をわたしに向けて構える。

「いったいどういうつもりなのさ」と未亡人

「どうって、空砲を撃って妻の気が戻らないかと思って。」

「無粋な事するんじゃないよ。小鳥たちが逃げたらどうするんだい。」

「あなた方もあの小鳥になにか恨みがあって石を投げていたんじゃないんですか。」

「いや、そんなものはないね。」

「だったら、どうして止めるんです。」

「あたしの旦那は亡くなった。あたしのたった一人の男が死んだんだよ。かわいい子供と妻を残して自殺しやがったのさ。いったいなにがあったか・・・あいつは何も言わずに逝っちまったよ。悔しいやら、悲しいやら、とにかく苦しくてさ、そのときあの小鳥の話を思い出したんだよ。葬儀そっちのけでここまで来たら、あそこにいる女とちょうど鉢合わせて、身の上話をしたら、一緒に幸せになりましょう、って言うじゃないか。聞けば女は旦那がいて、家があって、なんの不自由もなく暮らしている。だのに、幸せになりたいだなんて、ふざけんなって話だよ。だからあたしは言ってやったのさ、あんたひとりで行きなって。あたしはそんな安っぽい幸せで自分を忘れるぐらいなら、一生旦那のことを思って苦しんでいるほうがましさってね。」

「それで、石を投げていたんですか。」

「あんな連中一生惚けていりゃいいんだよ。苦しいこと、悲しいこと、不甲斐ないこと、不自由なこと、退屈なこと、古いこと、変わらないこと、やめられないこと、始められないこと、そういった全てに背をそむけて、一生自分は幸せだって思い込んでいるのがお似合いさ。そのままなにもできないままくたばっちまえばいいんだ。」

「石を投げていたのはそれが理由ですか。鳥の粉を落とすために。」

「まあ、そうさね」
蟠っていた気持ちを発散して肩の荷が降りたのか、未亡人は銃を下ろした。

 両脇でわたしの腕を掴んでいた子供たちも手を放すと、再び石を拾って小鳥たちに投げ始めた。未亡人は銃身に片手をつき杖のようにして小鳥たちと腑抜けた人々に視線をおくる。

「さぁ、もう気は済んだしあたしは帰るよ。後はあんたの好きにしな。」

 そういうと未亡人は子供たちの手を引いて、振り返りもせずに帰っていった。「今日の晩ごはん何が食べたい?」遠くからそんな母親の声が聞こえた。

 ゆらゆらと揺れる幹を囲う人々のなかに妻がいるとは思えなかった。わたしは彼女の笑顔が好きだった。その顔を見るだけであとのことはどうでもよくなってしまうていどには、愛していた。

 小鳥たちは各々、好き勝手に枝から枝へ、遊ぶように飛びまわっている。わたしは猟銃に弾をこめて、一匹の小鳥を狙って、撃った。鳥たちは一斉に飛び立ち、大量の粉が降り注いだ。一匹の鳥が落下し、しばらくの静寂のあと、飛び立った鳥たちが再び木の枝に降り立つ。

 粉は麻薬のようなものだった。幸せの小鳥たちだかなんだか知らないが、大麻や覚せい剤と同じような感覚を与えるのだろう。なんらかの感覚で満たされ、欠乏しているものを忘れることができる。足りないものを欲することは自然なことだ。満たされることが幸福であるならば、今、わたしの眼前で虚ろになっている人々も幸福だということだろう。現実に引き戻されなければ、そのまま、幸せなまま死に絶えることができる。社会の中で麻薬が間断なく手に入り、なんら煩わされることなく魔術の中で酔い痴れることができるのなら、誰しも同じように手を出すのだろうか。そのために必要な金銭や時間や体裁や労力を振り返る必要がないなら、誰しも同じように、すべてを忘れることを望むのだろうか。少なくともいまここにはその麻薬がある。小鳥たちはこの場を離れず、木漏れ日のなかで鳴いている。間違いのない幸福がここにはあった。

 きっとこれでいいのだろうと、わたしは思う。浅ましく愚かな人間は、立派であり、そう振舞うことを好む。そんな自尊心を捨て去って小鳥たちに溺れることを許した彼女たちは、偉大じゃないか。愛や魂や慈悲や慈しみや美しさを信じる人は己を苦しめ引き裂くだけだ。簡単に手に入るものを見下し、忍耐が必要なものを敬い、それらを美徳と称え、そのような幻想に取り憑かれ、人としての矜持を胸に抱くことが傲慢だとつゆとも思っていない。

 きっとこれでいいのだ。だが、わたしは小鳥たちを撃ち殺したい衝動に駆られている。わたしは愚か者だ。幸せになることを恐れている。わたしは解放されたい。幸や不幸から。

 すべての小鳥を撃ち落とせば問題は過ぎ去るだろう。そのためにわたしは何発の弾を込めて、何匹の小鳥を撃ち落とすことになるのだろうか。すべてが終わったあとに、わたしは裁かれるだろうか。考えたって仕方がないことだ。終わらせるしかなかった。わたしは再び弾を込めて、引き金をひいた。

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