見出し画像

己の『トラウマ』について考えてみるはなし

どうも!私です!!

最近めっちゃ闇気味でホントどうにかなっちゃいそうなところギリギリ踏ん張って生きてますけど、みなさんはどんな感じですか?

そんな中改めて自分の『トラウマ』について考えることがあったので、ここは一つ纏めてみようかな?とかいう感じで書いていきたいと思いますよ!
無理矢理元気良く!いって!!みましょうか!!!(ウザイ)

じゃあ実際どんな『トラウマ』があるのよ自分?

て話なんですけど。
私、自分以外の人が大声を上げたり怒鳴ったり、不機嫌な態度をあからさまに取るのが嫌です。
嫌ですというか、怖いです。
恐怖です。

勿論誰もがそんなん嫌だは!と言うようなことなので、何言ってんだ当たり前だろう?と思われるかもしれないですけど、自分に対してだけではなく全くの赤の他人に対して怒鳴ってたり不機嫌になってたりするのを見たり聞いたりしても怖いんですよね。
身体がグッと強張ってしまうし、動悸は滅茶苦茶するし、酷いときは身体が震えてきますし涙も出ます。
ホントに苦手通り越して恐怖でしかありません。
人に言うときは「苦手なの〜」とマイルド表現で話しますが、そんなマイルドなもんではなく恐怖で3歳位老けるのでマジやめてほしい、そんな感じなんですよ。

そんななのに何故かうちの夫は良く、ホントに良く大声出すんですよ…怒鳴るんです。
勿論喧嘩したときとかもなんですけど、何かしら自分が失敗した、上手くいかなかったなど自分や物に対しても怒鳴るんです。
そして不機嫌を隠さないし自分の機嫌は人に取ってもらおうとする人です。
なので私が非常に消耗します。
後でも記述を詳しくしますが、基本的に『自分が我慢すれば事が丸く収まる』と思って生きてきた人なので我慢してしまいます。
流石に怒鳴り声は身体症状が出るので「怖いから止めてね」は何度もお願いしてるんですけど一向に改善はされません。
じゃあ俺のストレスはどうすんの?俺にストレス貯めろって訳!?みたいな感じです…お話になりません。
そんな人なのでそりゃ自分の機嫌を自分で取ることなんてできる訳がありません。
私に『自分は不機嫌です!』とあからさまな態度を取ってきます。
その時私も何か不満があっても、「自分が我慢すれば事が収まるんだから自分は後回しにしよう」と彼の不機嫌の元を取り除くようにします。
例えば私が身体がツラくて休みたいとしても、彼は本を今買いに行きたい。
優先すべきはどちらかではなく、優先すべきは自分の気持ちなので私が休みたいのは許せません。
なので不機嫌になります。
私はとても身体がキツいです、歩くのがやっとです。
でも彼は不機嫌で自分の要望が通らなければこのまま身体を休めても不機嫌オーラで私のストレスが凄くなるし、プラスして身体症状も酷くなるかもしれません。
そこを差し引きして考えて「じゃあ無理しても彼の願望を叶えたほうがいいか、自分が我慢すればいいや」となります。

そうやって甘やかしてきた私も相当悪いですけど、彼も年齢に対して全く成熟していないし幼稚…人に話すと大体そう言われてしまうし、実際そうなんですよね。
私は貴方のママではないんですが?と思うんですけど長年それで通っちゃったから今更変わるとかは難しい訳です。

なんで離婚しないの?と聞かれそうですが、その訳を次にお話しましょう。

そんな奴とは離れちゃえばいいじゃん?そう思うよね、でもそんな簡単なはなしじゃないの

みんなまずこういう話すると『離婚』という言葉が出てきます。
勿論母からも言われます『あんたどうしてそんな辛抱強くそこにいるの?離婚したらいいじゃない』と

私から言わせてもらえば
『え?貴方がそれ言います?私離婚しても帰る家もないしなんなら今働き口もなく病気療養中ですけどね』

ここでトラウマの話に繋がって行くのですが、以前のnoteでも書きましたが、我が実家は少しばかり特殊な家族であります。

今回はその時よりも詳細に記しますが、父と母が出会い恋に落ちいざ結婚!となったときに、母は自分がとある宗教の信者であることを父に告白しました。
しかし父は無類の宗教嫌い。
結婚するにあたって母に『その宗教は辞めること』を条件に出しました。
結婚はしたい、でも宗教二世の母は幼少期大変生活に苦労しその宗教を支えに生きてきた人だったので、好きな人との結婚であっても簡単にその宗教を捨てることはできませんでした。
そこで母は浅はかにも考えたのです。
『父には辞めると言いながら隠れて信仰を続けよう』と。

ひと悶着あった結婚ですが、結婚式も終えなんとか二人の生活が始まりました。
母の隠れて信仰を続ける生活も始まりました。
一方の父は隠れて信仰を続けている母のことはわかっていたし、自分が関わらない、見えないところでやるのならば黙認しよう、そういう感じだったそうです。(これは父に後に聞いた話です)

暫くして私が産まれました。
幼少期から大人しく自己主張の少ない子供だったようで、寝てなさいと言われれば良いよと言われるまで寝ている、お絵描きしてなさいと言われれば大人しくひとりでお絵描きし続ける、そんな子供でした。
たまに外で遊んできたら?と出されることもあったのですが、ぼんやり残っている記憶が私にはあって『外で遊ぶとはなんぞや?』と思っていました。
なんかそこら辺にいた近所の子供たちに混ぜてもらって遊ぶ?みたいなことになったんですが、どうしていいかもわからないし、誰かと一緒に遊ぶということが全く理解できず楽しくもないし、ものの10分もしないうちに家に帰ってお絵描きし始めた…そんな記憶があるくらい、コミュ症だったのかなにかの特性たったのか、この頃から対人関係難ありだったんですよねw

そんな子供でも嫌でも幼稚園、小学校と団体の中に入っていかなくてはならなくてホントに苦労しました…あまりにも嫌すぎて幼稚園もまあまあないけど、小中学校の記憶が殆どありません。
所々おぼえていることもない訳ではないけど、大枠記憶がなくて、遠足とか旅行系の行事とか運動会文化祭…等々何一つまともな思い出、記憶がないです。
私全部休んだっけ?くらい何も覚えてない。

では、また話の本筋に戻りますね。
先に書きましたがうちは特殊な家庭環境だったのですが、私が自分の頭で考えることと言葉を発しだしたときに母から呪いの言葉を言われたんですよ

『いい?この集会(宗教の集まり)に行ったことはお父さんには言っては駄目、それにこの宗教をやっていることも話しては駄目だからね』

私は所謂『宗教三世』です。
産まれた瞬間から母が信者だったために意思のない赤子だった私は文句一つ言えぬまま信者登録されてしまいました。
私は母の所有物かなんかなのか?
母からしたらこんな素晴らしい宗教なんだから私の子供は入らないなんて選択肢はない!入会させてあげられるのは私だけ!なんて素晴らしい行いなんでしょう!みたいな感じだったんでしょうか。
非常に迷惑な話です。

集まりがあれば当然子供なのでひとりで家に置いていけないので連れて行かれます。
所謂洗脳に近い行為ですね。
でも私に関してはこの洗脳は無効でした。
何故なら母から『呪いの言葉』をもらったからです。

集まりに行けば色々な大人が目を輝かせて、信仰していてこんな素晴らしい体験をした!こんな幸せなことがあった!と話をし、みんなでこの宗教がどんなに素晴らしいものか語り合い勉強し、最後は頑張って信仰していきましょう!みたいに終わるんですけど、そんな素晴らしいものなのに父にはどんなに素晴らしいものか話してはいけないんです。
素晴らしい宗教なのに信仰していることを隠さなくてはいけないんです。
こんなの子供であってもおかしいぞ?て気付きますよ…ああ、この宗教て外から見たら異様に感じるのだな、と。

私は子供時代ホントに大人しい…と言うか感情を表にあまり出さないタイプで、今もですけど自分の負の気持ちは自分の中に押し込めてしまうんです。
このときも『話してはいけない』プレッシャーを自分の中に押し込め、父とどう接したら良いかわからなくなり、同年代の子供に対しても『話してはいけない』ことをやっている後ろめたさや恥ずかしさで自己開示が全くできず、友達を作ることができませんでした。
なので人をコントロールしたい系の子供のターゲットとなり対人関係にはこの頃からクソな思い出しかありません…産まれた瞬間から私の人生ひん曲がってしまいましたよ!愉快ですね!!(笑えない)

暫くして兄弟が誕生するのですが、それがまた私と正反対な子供らしい子供が誕生しました。
ひとりじゃいられないし誰かと遊びたいし外にも行きたいし、我儘は言うし母の『呪いの言葉』も真に受けず父に「言っちゃいけないって言われたんだけどね〜」て話す…私からしたら歩く核爆弾みたいなものですよ。
私が滅茶苦茶気を配りながら細心の注意を払いながら息を潜めて内緒にすることに全力を傾けてきたのに、この子それを全部無にするの!?怖いて!!

そうなってくると父の目の前に『信仰』というものがリアルに見えてくる訳です。
しかも自分になんの断りもなく大嫌いな宗教に子供を入会させてたんですから一大事です。
結果、喧嘩が増えました。
毎日喧嘩するという訳ではないけれど、何かしら宗教の影が見えたときなど年に数回ですが大喧嘩することが。
私だけしか子供がいなかったときはなかったんですよ…歩く核爆弾…あなたホントにギルティよ!!

父は普段本当に温厚で、怒ることは殆どないし声を荒らげられるのは何か事故が起こりそうな危ないときの注意喚起くらいで、ホントに乱暴なことをする人ではありませんでした。普段は。

でも宗教絡みの喧嘩のときは違いました。
母から嘘を吐かれているのもそうなんでしょうが、子供まで巻き込んでいるのが父としては一番許せないことだったとは思うんです。
喧嘩は本当に大喧嘩と呼ぶに相応しく、取っ組み合いの怒鳴り合いの本気の喧嘩です。
私はその頃もう小学生とかでまあまあ分別もあったので、喧嘩はいけないことだし止めなければならないと思っていたので、小学生ながらなに考え喧嘩の仲裁に入るなどしてました。
じゃないと流石に母が大怪我負うんじゃないかくらいの喧嘩だったし警察沙汰も大袈裟じゃなくありそうだったので必死です。
でもね、こんな子供が仲裁に入ったとことでなんもできんのですよ、ただとばつちり食らってなんも悪くない私が怒鳴られ手を挙げられ…鬼の形相の父、物凄く怖かったです。
書きながら涙が出る程未だに怖くて怖くてトラウマです。
あんな温厚な人が鬼のようになるんですよ、トラウマにならないほうがおかしい。

だから、大きな声や怒鳴り声、不機嫌な態度を取る人は本当に怖いんです。
でも全くの他人に対しては止めてとは言えない。
もし自分がその対象になっていたとしても、止めてと言えば怒りに油を注いで燃やすだけ。
いくら怖いことを話しても、自分に対してだったら逃げられないけど、自分に対してじゃないければ関係ないんだから無視すればいいんだよーて言われて終わり。

そうじゃない、トラウマは自分事他人事問わずその事象が起きれば反応が出てしまう。

でもそれは中々人には伝わらないし、それぞれみな対処しているんだからと切り捨てられるようなこと。
自分でなんとかするしかない、自分が我慢すればその場は収まる、そうするしかない。

こんなトラウマがあることは両親には話していません。
父はボケちゃったので今話しても仕方ないので話しません。
昔ボケる前に話せばよかったのでは?と思われるかもしれませんが、私は別に父に謝ってほしいとかは思っていませんし、父も被害者です。
怒りたくて怒った訳ではない、家族から裏切られるって相当きついですよ、しかも自分以外の人間はその宗教の人間なんです、孤独じゃないですか。
だから父は責められません。
トラウマにはなったけれど父のやるせない気持ちはわかるから。
母にも話す気はありません。
母は宗教=人生の全ての人なので、その宗教で私が傷付きトラウマを背負っているなんて知ったら死にかねないので…母も高齢だし、そのまま宗教を支えに幸せに人生を全うしてもらえたらいいなと思っているので話しません。
私は滅茶苦茶辛いけど、いいんです、私が我慢すれば丸く収まるから…

そしてそこから『離婚』の話なんですど、今更トラウマの原因となっている物の近くで暮らすのは地獄です、実家へは帰れません。
特に今は父もボケてるし妹夫婦は同居していて私のいるところはないし、どっちにしろ一時的にでも私の帰る場所としては実家はありえないのです。
そして、昔から心身共に不調が多い私は経済的な自立が難しく、ひとりで暮らしていくのが難しいです。
特に今は厄介な病気にかかっていて治療費も相当かかるので、ひとりでどうにかするのは現実的ではない。
離婚して生活保護、なんて選択肢もない訳ではないけれど、私としてはそれは本当に最後の最後の手段だし、今私よりも必要としている人に渡るべきものだと思うので使いたくはありません。
なので色々加味すると『離婚』ていうのは私にとってベターな選択とは言えないんです。
我慢とか頑張るのが一番いけない、とは病院で言われてるんですけど、生きていかなければいけないのならば一番いけなくてもそうするしかない。
トラウマの克服もできそうにはないけれど、なんとか自分なりに回避していくしかない…生きるってホントに面倒だしダルいは…

私のトラウマはこんな感じで、なんだろ?同情されるようなものなのかもわからないし、悲惨なことあって…みたいなのでもないし実に微妙な感じのトラウマなんですよね。
きっと話聞いた方もあー大変だねー…みたいな微妙な反応するしかないやつだろうな?と思います。

まあ誰しも大小違いはあれ、トラウマはあるものだと思うし、この人はこういうトラウマ抱えてんのか〜くらいの軽い気持ちで捉えてもらえればいいかなと思います。
もし身近な人に深刻なトラウマを抱えた人がいたら助けになってあげてほしいし、カウンセリングや病院なと勧めてあげてください。
自分がどう思うかとか、どう対処しているかはそのトラウマを抱えている人からすればなんの役にも立たないものなので(ごめんだけどこれはホントに)、ただ隣で寄り添うとか背中擦ってあげるとか、話をただただ聞いて肯定してあげるとか、カウンセリングや病院を勧めるとか、そういう方向で支えてあげてください。

どうかひとりでも多くのトラウマを抱えて生きる人が幸せに暮らせる世界になることを願いつつ、今日はここで締めさせていただきますね。

ではまた次のnoteでお会いできれば!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?