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アメリカのあちこちに「反マスク法」という法律がある件(1)

▼新聞を読んでいると、世の中、自分の知らないことだらけだということがよくわかるが、思わず声をあげてしまった記事があった。2020年5月10日付の読売新聞から。中島健太郎アメリカ総局長のコラム。

〈マスクで浮かぶ差別の影〉

〈そもそも、米国の多くの州では理由なしに公共の場でマスクをつけること自体が違法だ。少なくとも18州に「反マスク法」と呼ばれる法律がある。その多くは覆面での白人至上主義団体の活動を制限するため、20世紀半ばに制定された。〉

▼そういえば、KKKの覆面が禁止されている、という話は何かで読んだことがあったが、それはたしかに「反マスク法」になる。

▼話はここから深刻な黒人差別に進む。

〈米国にはマスクをめぐる別の固定観念もある。「犯罪者がマスクやバンダナなどで身元を隠す」というものだ。ロサンゼルス市警のホームページはギャング団を見分ける方法に「バンダナの色」を挙げている。この固定観念は根強く、人種差別にも結びつく。〉

▼ここでいう「犯罪者」とは、「白人にとっての犯罪者」ということだ。

中島氏は、今年の3月、イリノイ州のスーパーマーケットで黒人の男性が、白人の警察官によって、マスクを着けるのをとがめられた例を挙げた後、次のコメントを紹介している。

〈全米アフリカ系市長会会長のジョージア州オーガスタ市のハーディー・デービス市長はワシントン・ポスト紙の取材に対し、「根深い偏見が現実にある。白人がマスクをして店に入るのと、黒人が入るのでは全く意味が違う」と訴えた。〉

▼つまり、白人がマスクをしても問題ないが、黒人がマスクをすると犯罪者扱いされる、ということだ。なんという深刻な差別だろう。

▼筆者はこのコメントを読んで、エマニュエル・トッド氏の『移民の運命』を思い起こし、暗然(あんぜん)とした。

▼トッド氏は人類学のメスによって、人間の集団を「普遍主義」と「差異主義」の二つに分ける。その分かれ目は、その人が所属する「家族システム」の違いによる。

たとえば、フランスや中国は普遍主義、アメリカや日本は差異主義に分けられる。それは、それぞれの家族の仕組みの違いから説明できるわけだ。

具体的には、家族のなかで、兄弟がどのように扱われるか。

兄弟を平等なものと考えるところでは、人は人間と諸国民の同等性を先験的に信じるのであり、

兄弟が差異あるものと考えるところでは、人間は多様で区別があるという見方から人は逃れることができない。〉(『移民の運命』34頁、藤原書店)

▼前者が「普遍主義」の由来であり、後者が「差異主義」の由来である。

この二つの違いは「先験的」だから、後で、学校教育や社会経験によって変えることはできない。

ズバリ一言でいうと、〈普遍主義ならびに差異主義の起源は家族内教育の中にある〉(61頁)。

▼「家族」の中で教育され、つくりあげられたものは強い。トッド氏は、これを「先験的な形而上学的確信」(58頁)と呼ぶ。

日常生活では絶対に使わない難しい言葉だが、いわば、「何があっても変わらない人生観、世界観」だ。

「家族システム」が「人類学的システム」に発展しても、この「何があっても変わらない人生観、世界観」は、やはり変わらない。

▼システム、とか、先験的、とか、形而上学的確信、とか、言葉だけを見ていると難しそうだが、トッド氏が磨いた、この人類学という道具は、恐るべき精度でアメリカの謎を説明する。つまり、「なぜ、黒人は差別され続けるのか」という謎を説き明かす。その分析は、納得せざるをえない鋭さを備えているのだ。

そして、トッド氏の分析は、アメリカと同じ「差異主義」の国である日本にとって、他人事ではない。だから、ちょっとメモしておく。

(この稿つづく)

(2020年5月19日)


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