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海外ではSNSを殺人の道具として活用している件

▼1週間ほど前、「ショー・マスト【ノット】ゴー・オン:日本の「リアリティー・ショー」はタレントを守らない件」と題して、テレビ局はタレントを守らない件をメモした。

▼SNSの誹謗中傷を止める方策は必要だが、誹謗中傷が無くなることはない。取締りをどれだけ厳しくしても、決して無くならない。

そんななかで、「商品」を誹謗中傷の矢面に立たせる、日本のテレビ局の「危機意識の周回遅れ」に疑問を呈する内容だった。

▼今日は、そのメモを書くにあたって「認識の基礎」になっているエピソードを紹介しておこうと思った。

すでにメモした話なのだが、読んでいる人も少ないので再掲。ちょうど1年ほど前、〈『「いいね!」戦争』を読む〉と題して、一冊の本を紹介した。19回続けて、まだ途中。

▼その5回目、〈「クラウド」の闇は深い件〉から。

「クラウドソーシング」という言葉を聞いたことがある人は多いと思うが、その海外での実例について。適宜改行、太字。

念のため、人によっては、極めて不愉快な内容だろうから、「もしかして、私、不愉快になるかも」と思う人には、読むのをオススメしない。悪(あ)しからず。

〈……目を背けたくなるクラウドソーシングの実例も紹介されている。気の弱い人は、下記の部分は読まずに、今号はここで読み終えることをオススメする。

〈徹底的な情報開示とクラウドソーシングの融合は、おぞましい結果につながりかねない。

2016年、イラクの強硬な民兵組織がインスタグラムで、ISIS戦闘員と思われる男を拘束したと吹聴した。その組織はオンラインの支持者7万5000人に、この男を殺すべきか釈放すべきか、投票を呼びかけた。

暴力的なコメントが世界中から殺到し、アメリカからのものも数多く含まれていた。2時間後、民兵組織のメンバーが結果を知らせる自撮り画像を投稿した。

メンバーの背後の血だまりに男の遺体が転がっていた。画像には「投票に感謝する」というキャプションが添えられていた。

米陸軍の退役軍人でブロガーのアダム・リネハンによれば、これは戦争における新奇な進化の象徴だった。

ネブラスカ州オマハのトイレにいる男が、トイレから出るときには手を18歳のシリア人の血に染めていてもおかしくない」〉(110-111頁)

▼これを読んだ人は、同工異曲がすぐ思い浮かぶだろう。たとえばトイレの中で、スマホ越しに会ったこともない誰かを罵倒し、相手を社会的な死や、自殺に追いやった場合。

肝心なことは、そのあと相手がどうなったか、自分が自殺に追いやったのかどうか、スマホ越しで罵倒した本人は必ずしも知っているとは限らないし、すました顔をしてトイレを出た後は、もはや関心すら消えている場合がある、ということだ。

クラウドソーシングを使って人格攻撃をした場合、攻撃を加えた本人の責任は、分散して限りなくゼロに近いかのように錯覚してしまう。

『「いいね!」戦争』を読むと、「倫理」とか「道徳」とかが、大きく変質している最中だということが実感できる。(2019年6月28日)〉

▼この、イラクでの投票殺人の話は、極論だが、空想ではない。現実である。しかも、この本が執筆された時点での極論であり、もしかしたらこの極論は、すでにさらなる極論に更新されているかもしれない。

▼「スマホ」の中の世界は、「日進月歩」である。いわゆる「リアリティ・ショー」に夢中になっている人たちは、自分でも知らない間に、人殺しに加担している場合がある。木村花氏の事件が、そうだった。

自殺は、自殺ではなく、他殺である。

しかも、SNSを使う場合、たくさんの人が人殺しに加担しているから、自分の責任は「分散して限りなくゼロに近いかのように錯覚してしまう」

フェイスブックができたのは2004年。

ツイッターができたのは2006年。

2000年代中盤から、2025年あたりまでの20年間は、「スマホ地獄」の幕が開けた20年として歴史に刻まれるかもしれない。

近い将来、あなたのスマホに、会ったこともない人殺しから「投票に感謝する」と添えられた画像が届くかもしれない。そうならないために、どう用心したらいいか、スマホで探してもなかなか見つからない。

(2020年6月3日)


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