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「なんでもいいが1番困る!」から自由を考える【小レポート】

母「今日の晩御飯なにがいい?」

自分「うーん。なんでもいいや。」

母「なんでもいい、が一番困るの!」



おそらく、誰もが経験したことのあるシーンである。

これを「自由」を軸にして書きかえてみよう。:



母「今日の晩御飯を、世にある食べ物の中から自由に1つ選んで。」

自分「うーん。なにか食べられるもの。」

母「そのなにかを聞いているの!」



といったようになろうか。

さて、この例を見てわかるように、「自由に選ぶ」ことは、実は、難しいし面倒くさい。人間は、「自由」という条件の下、つまり、「選択肢が無数にある」条件の下では、むしろ、行動を選択することが難しくなるのである。



では、「自由」=「選択肢」を制限してみる。:



母「今日、卵残っているから、晩御飯は卵料理にしようと思うけど、なにがいい?」

自分「うーん。オムライスとか、親子丼とか、天津飯とか、、」

母「あ!天津飯いいわね!」



と、かなり恣意的に書き換えてしまったが、無数にある料理の中から、卵料理に「選択肢」を制限すると、少なからずその例を考えやすくなるはずである。「自由に選ぶ」=「無数の選択肢から選ぶ」よりも、「制限された選択肢から選ぶ」という「適度に不自由」な状態のほうが、むしろ、人間の意思はのびのびとはたらくことができるのではないか。

このように、意思は、完全に「自由」な状態においては、むしろ、活発にはたらきにくい。適度に制限がかかっていたときのほうが、十全にはたらく。

リベットスタイルの研究(※1)は、何かを行おうと意識する前に、脳が活動をはじめていることを実験から明らかにした。

意識に先行する脳の活動の開始は、この意思の制限を行っている可能性はないだろうか。脳が意識に先だって活動をはじめることで、意思を適度に制限し、意思が自由にはたらくのを、むしろ、助けているのではないだろうか。


【課題】
What is the role of psychology and neuroscience in the debate on free will and responsibility? How can psychologists and neuroscientists contribute to the debate?

自由意志や責任の議論における、心理学や神経科学の役割は何か?
心理学や神経科学はどのようにこの議論に貢献しうるか?

【補足】
※1 リベットスタイルの研究

人が何か行動を起こすとき、その行動を取ろうと意識するより前に、脳が活動を始めていることを証明する神経学的研究。
随伴現象説(意識は行動を起こすものではなく、行動に伴って出てくるものだとする考え方)や、自由意志の否定の論拠として用いられることがある。

リベットの実験

方法
被験者は自分の好きなタイミングでボタンを押す。
ボタンを押すと時計が止まる。
そのときの脳波を測定する。

結果
被験者が「ボタンを押そう」という意識が生じるよりも前に、脳が0.5秒早く活動を始めていることがわかった。




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