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エロ・エロティシズム

『ファウスト』だったけか、とある映画の冒頭、死体の皮を剥ぐというシーンを思い出した。

恐らくこの映画を観たのは3、4年前だと思うが、その生々しいグロに、虫の湧いたような胸糞悪さと、そして同時にエロティシズムを感じたのを覚えている。

敢えて、不確実な茫洋の記憶を曖昧なままに記そうと思うのだが、
そのシーンは、仄暗いのっぺりとした小屋に中年の博士がナイフを手に、吊るされた男性の屍体の解剖の為に人皮を剥いでゆくというものだった。
確か、この博士は魂の在り処を探して解剖したのだと記憶する。

このシーンにエロい要素はない。
強いて言えば、裸体があるが、局部が移されていたということもないし、寧ろ、小屋の暗さの為に、それは人身というより、人型の塊と見えるに等しかった。

私自身、性的興奮を覚えたというのではない。
ただ、これにエロティシズムを見たのである。

主人公(=中年男性)は、探究心の為に解剖を行った。
したがって、彼の興味の対象は、個体としての身体ではなく、普遍的な人間としての身体にあった。

つまり、この個体と普遍との間にエロとエロティシズムの境界があるのではないかと感じたのである。

人が自らの肉欲を満たす為の対象として、人の身体を見るならば、それは必ず個体である。
こうして働く性欲は、時に人間的穢れや不貞として表され、社会の目からは隠されるべきものである。

しかしまた、人という種の生存の為には生殖活動は不可欠であり、人間は普遍的に悉く肉欲を持つことも事実である。
快楽は志向すべきものとして人間の機構に収められている。

ここで、この自という個体の興味の対象が、他個体の性に向かう時、エロが成立し、性そのもの−性の普遍性−に向かう時、エロティシズムが成立するのではないか。

プラトンの論説を借りれば、
人間界の性へ向うエロースが「エロ」であり、
性のイデアへ向うエロースが「エロティシズム」ではないか。

映画で博士が追求したものは、人間の身体にある普遍的な真実である。
したがって、私が彼のその行為に対して見たエロティシズムとは、人間の身体の纏う真・善・美への探究心に他ならない。

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