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お父さんのカレー。

カレーは、美味しい!

(完)

終わっちゃったー!戻ってきてー!

って、事で改めて。

僕の時代でカレーと言えば、キレンジャーである。

大岩大太が食べるカレーが美味しそうでねー。

カレーを好んで食べていました。

ちなみに僕は、ゴレンジャーの自転車に乗っていた。

補助輪付きで。

補助輪を外した時、お父さんが一緒になって、僕が何度も転けながらも一生懸命に付き合ってくれました。

そして、西城秀樹さん!

「ヒデキ、カンゲキ!」は子供時代に流行りました。

カレーが好きでした。

でも、お母さんが作るカレーだから、多分でしょうけどカレールーを使って作っていたんだと思います。

ドテドテカレー。

ただ、姉ちゃんが一度作ってくれた事があるんです。

トマトとチョコレートを入れるんです。

そんなの知らない時代ですから、ハラハラしてたんですが、めちゃくちゃ美味しくて。

(カレーってこんなにコクがあるんだ!)って衝撃でした。

それを、お父さんに話したんですよ。

「めちゃくちゃ美味しかってん!」って。

そしたら、お父さんも「よし、ワシも作ったる!」って。

負けず嫌い。

お父さんは、料理なんか作った事ないんですよ。

お母さんは、なんでいなかったんだろう?

思い出せない。

でも、下手な包丁さばきながらも、ジャガイモとか切っていって。

作ってくれたんです、カレーを。

・・・。

見た目は美味しいそうなんですけど、変な匂いがする。

それこそ「ナンジャラホイ?」である。

食べてみてわかった。

「これ、お酒入ってない?」

「そや!日本酒入れたら美味しいんやぞ!」

そんな訳ないやろ!!

もう、それからトラウマで。

カレーじゃなくて、お酒がダメになりました。

でも、一生懸命に作ってくれたカレーだから残さず食べました。

で、すぐに酔っ払ったんですよね。

お父さん、お母さんに怒られていたなぁ。

でも、お父さんといえば、すぐにカレーを思い出すんです。

お酒も大好きで、仕事から帰ってきたら、いつもビールを美味しそうに飲んでいた。

自分の工場で一生懸命働いていた、お父さん。

当時40キロのセメント袋を軽く担いで、捏ねて、左官していた。

鉄筋を持ち、溶接もして。

一緒にお風呂入ったら、手がゴツゴツしていた。

岩のように硬いんです。

北島三郎の『与作』をお父さんが歌ったら「ヘイヘイホー!」と合いの手入れたら喜んでくれた。

バブルが崩壊して、仕事が無くなり、僕はアルバイトのかけ持ちをして、殆どを家に入れていた。

お父さんが作った借金を返すために。

だから、プロレスが僕にとっての癒しであり、元気が出るモチベーションだった。

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プロレスに救われた。

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結婚を機に、淡路島に行く事になった。

お父さんは賛成してくれたが、本当は寂しかったんだと思う。

たまに大阪に帰るたびに、やせ細んでいく。

お父さんが脳梗塞で倒れた時、もう寝たきりだった。

『強いお父さん』だったのに。

あんなに硬かった手が、柔らかくシワシワになっていた。

僕が見舞いに行くたびに「奥さんを大事にしろ」と言っていた。

何故か、その日は車椅子にムリから乗って、帰る僕を見送ってくれた。

動かないはずの手で、バイバイしてくれた。

数日後、お父さんが亡くなったと 報を受ける。

慌てて帰った時、お父さんは安らがな顔をしていた。

涙は出なかった。

(やっと楽になれたな)と思ったから。

借金で悩み、苦労ばかりの人生だった。

僕が知ってる限り。

葬儀が終わって、電車で帰るホームで妻は言った。

「お父さん、幸せやったと思うよ」

涙が出た。

駅のホームで入道雲を見た時、思った。

(生きよう)と。

夏がきた。

お父さんが亡くなった時も、暑い日だった。

今日は、カレーを食べよう。

美味しいカレーを。

羨ましいだろ、お父さん。

僕は、頑張って生きています。

あなたの息子ですから。

それが僕の自慢です。

ありがとう。


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