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金柑を見るたびに


もう一度会いたい人がいる。


忘れようと思っても

冬の寒さが厳しくなる頃

スーパーで金柑(きんかん)が出回るようになると

その人はどうしても私の脳裏に現れる。

ずっと見ないようにしてきたそれを

今年初めて買い物かごに入れて

一人でそっと、その味を確かめてみた。

そう。すごく甘くて、少し苦い。



私はこの味を、まだヨチヨチと歩いていた頃に知った。

ハイハイし始めたばかりの私を、母が仕事の間預かってくれた親戚のうちがあった。

まるで祖父母の家かのように、母はその親戚を頼っていた。

その家には、私のおじ、おばにあたる人たちが兄妹3人で暮らしていた。

みな結婚していなかったから、私が行ってどんなに大切にしてもらったかは
覚えていなくても想像ができる。

その家は昔ながらの家屋で、小さな庭があった。

その庭には、ところ狭しと木や植物が生い茂っていて、
玄関の入り口の脇に、金柑の木が生えていた。

あの記憶は何歳頃のものなのだろう。
小さなオレンジ色の金柑がいつもこんもり実っていて
背伸びして一生懸命届いたその実を
その場でもぎ取り、かじって食べるのが好きだった。

「ゆうちゃんが来ると金柑全部無くなっちゃうわ」
おばさんたちはいつも優しく見守ってくれていた。

私がどんなことをしても、
怒らずに笑っていてくれたような
優しい記憶が残っている。


やがて私が6歳の頃、
違う街へ引っ越したのをきっかけに
その家にはなかなか行かなくなった。

覚えているのは、
七五三と二十歳の成人式の時に、
写真を持ってお邪魔した記憶がある。

私はさらに大人になってから

このおばさん家族がその後

生活保護を受けて暮らしていることを知った。



月日は流れて

30歳の時に私は男の子を産んで
1歳のその子を大きなベビーカーに乗せて
いつものように買い物を済ませ帰ろうとしていた時のことだった。

子どもがベビーカーで寝ているからと
1つ用事を思い出して私は
いつもと違う路地へ入り、
いそいそと小走りでベビーカーを押していた。

その路地は、ビルに挟まれた暗く寂しい路地だった。

その道の先に、1人の女性がこちらへ向かって歩いていた。

距離が近づくにつれ、女性が私を見ていることに気がついた。

ハッとした。

その人は、あの金柑のある家の、おばさんだった。

だけど私はそのままベビーカーを押した。

振り返るか迷ったけれど、
私の足は止まれなかった。


あの時、あの路地で、私が立ち止まっていたらーーー 。

そう後悔したのは、それからわずか数ヶ月後だった。

そのおばさんが病気で亡くなったことを突然知らされたのである。

「ごめんなさい」

知らせを聞いて最初に出たのはその言葉だった。


「恥ずかしかったから」だけじゃなかった。

おばちゃんに、なんて言われるか、怖かった。

私、今、この街でマンションなんか買って、
子どもにも恵まれて、主婦になってる。
なんならその時向かっていたのは、
デパートのコスメカウンターだった。

うしろめたかったの。ほんとうは。

おばちゃんたちが、もしかしたら
すごく欲しかったものを、
私が今全部持っていたとしたら

どんな気持ち?

背伸びをして金柑ばっかり食べてたあの娘が
そんな風に現れたら どんな気持ち?


私はこの脳内で行われていた自分の会話に
ずっとふたをしてきた。
自分が嫌になりそうだから。

だって ひどいじゃない。


だけど

金柑の食べた時にその味を思い出した私は思った。

そうじゃないかも。

あの時、おばちゃん

私を見て嬉しかったと思う。

大きくなって立派に子育てしていて

すごく嬉しかったと思う。

私は立ち止まらなかったけど、

きっと私の後ろ姿を、
あの後もずっと見ていてくれたと思う。

「ゆうちゃん、頑張って」って笑ってくれてたと思う。


おばちゃん、私は今でも未熟で、立派にもなってない。

庭でコソコソ金柑を盗み食いしていた私と

なんら変わってないけど

おかげで今、幸せに生きているよ。

私今幸せだよって、あの時直接伝えたかった。

すごく甘くて、少し苦い。

おばちゃんとの記憶は、そんな金柑の味。

小さな私と過ごしてくれて、ありがとう。


おわり

エッセイ「本音はいつだって温かい」
本音って、まるで子どもみたい。純粋で、弱くて、まっすぐで。でも、何より温かい。言おうとすると、目の奥が熱くなるもの。恥ずかしくなるもの。そんな本音にたどりつけた日の、私の話をお届けします。

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