僕も、ゆっくりと生きたい。

菊池とおこさんのコチラのエントリが、あまりにも Spot On! だったので、感想がてらエントリを。

常々、色んな所で言っているのだけれど

ただ「生きる」程度のことのハードルが、なんでこんなに上がってんだろ?

ということを、毎日……とまで言うと嘘だけど、わりと頻繁に思っています。

180日分の雇用保険の受給が、来月で終了します。
今ある余剰が尽きれば、高確率でもうすぐ生活保護、という瀬戸際の身として、こちらのエントリは、非常にタイムリーでした。
もいっちょタイムリーにTwitterのTLでは、この話題が。

総ての業種・業態・勤務先においてそうであるわけではないとは思いますが、日本の中小企業の平均的な賃金は、他の国の人からみて、既に魅力的なものではなくなっているよなー、とは、結構前から感じていました。
『Huaweiの初任給が40万円/月』って話題は、去年のGW後くらいのお話だったと思うし、海外に生産拠点を置いていた製造業の工場が、日本に戻ってきてるという話題は、もう2〜3年前の話題だったはず。

これってとどのつまり、日本人の労働者の『価格』が下がって、他のアジアの国とフラットになった、あるいは、『割安になった』ということです。
ていうか、それでもまだ日本の労働力って高くて、多分もっと下がるんじゃないかなー、と踏んでます。
グローバル化ってそういうことだよね、というエントリを、少し前に書きました↓。

僕たち日本人が、ベトナムやフィリピンといった、東南アジアの国へ『出稼ぎ』、あるいは『移住』を考えるような時代が、僕が思っていたより10〜15年ばかり早く到来しそうです。

あんまりネガティブなお話はしたくないのだけれど、いろーんな事を俯瞰してみてみると、「国」っていうレベルでは、わりと詰んでる方向にいってるのかなー、と、思わざるを得ない状況だったりします。
あ、ちなみに景気はいいみたいです。というか、いいということになっています。

日経平均も高値安定だし、年金の運用益もプラスだし、最高ですね、アベノミクス(棒)。

全日本国民のうち、社会情勢や財政や経済について考える人が20%(2400万人)くらいいたとして、ほぼ全員がおんなじことを考えてると思うのですが、多分、いろんなものの終わりの始まりが、『東京オリンピック後』でしょうね。

まぁ、そういう主語のでっかい話はさておき、自分たちの足元の生活をどうすんべなー、と視点を変えてみるのですが、これまたノー・フューチャーな風味しかなく……。
そこいらへんの『あ゛ー……』っていう感覚に、今回の菊池とおこさんのエントリがブッ刺さったという感じです。

>事業とは(おそらく特に小規模な事業は)、ただお金を回しているだけなのだ。
>事業で入ってきたお金は、事業のために出ていくお金。大きな額のお金が動いて
>いるように見えても、それはいつも流れて入って出ていくもので、その量が大き
>ければ大きいほど、どこかに一旦綻びが出ると、あれよあれよという間に崩壊す
>るのだ。

コレ、『困窮してみたシリーズ』のキーパーソンである、後輩のKくん(今月3人目のお子さんが生まれた)の副業がまさにそんな状態で、30〜40万/月のお金が、回ってはいるけど、結局商品の買い付けやらなんやらで、収支はどうにかプラス、という感じ。

小規模の個人事業なんて、大層な理念があるのではなく、『日々喰う』ための手段。
『起業』『開業』ってのをものすごくえらいことのように考える人もいるけれど、『どうにかカネが回ってる状態をキープする』、ただただ『続ける』ということが、小さな事業の主目的になってしまうんだと思う。

>わたしたちは基本インフラに関わるお金や通信費、移動にかかるお金、社会に出
>ていく体裁を整えるお金を削ったら、その月は生きていける、その意味では生存
>にダイレクトにかかるお金ではないけど、その次を稼ぐことができなくなる、次
>の仕事を失ってしまう、次で詰むんだよ。わたしたちは、お金に困った当月じゃ
>なくて、次月に終わる。

このへんの『それな感』が、個人的にホントすごくて、「今食えない」で詰むことって、現代の本邦では割と少ない。『喰う』に関しては、こういうサービスもあったりする。

諸々の支払不能により、当月ではなく次月以降に詰む、というのは、雇用保険切れ寸前就業チキンレース中の、今の僕自身リアルな感覚としてあるし、僕が子どもの頃の日常だった

電気やらガスやら水道やらが止まる

どうにか払うけど、遅延分しか払えない

2〜3ヶ月分くらいの未納を常時溜め込んでいるから、またすぐ止まる

繰り返し

というのも、まさにこの感覚。
もう既に詰んでるのに、それを隠してひっそりとカネを借りて、無理くり回した結果が、ウチの親父殿のパターンだったけど、なんにしても、何かがキッカケで回らなくなったら、翌月詰む。当月じゃないんだよ。

>破綻の規模の大きさやそれを招いた原因の話じゃなくて、わたしたちは誰でも勤
>めている人でも事業をしている人でも、「次の月の収入を失う可能性があるが、
>それでも支出は続く」という状況にあるのだ。それを避けるために回し続け、回
>転が狂ったら飛ぶ。

ほんとそれな、なのである。

>日本を出たら80点の暮らしになるだろう、って言ってんじゃないんだ。わたしは
>世界のどこだとしても、40~60点くらいで暮らしたいの。稼ぐお金も、出てい
>くお金も、時間の余裕も、暮らしの余裕も、40~60点くらいで、ゆっくりと、
>ほどほどに、その日を楽しみつつ、満足して、暮らしたいの。

〜中略〜

>なんで「成功しさえすれば安泰に暮らせる」みたいな社会になってんの?なんで
>「苦しいのは成功してないからだ」みたいな社会になってんの?

この感覚、すごく共感するのですよ。
別にね、「成功」とかしなくていいんですよ。
贅沢ったって、たまーに『いきなりステーキ』とか『美登利寿司』程度で十分。
その程度の贅沢は、前々職の給与水準(300万ボーダー)でさえできたし、ないならないで、それでもいい。

子どもがいたりすると、状況は全く変わってくるので、おいそれとは言えない本音だけれど、子どもがおらず、身の丈不相応な贅沢に興味のないOZZY夫妻に関して言えば、

自分が表現したり、本を読んだりしてインプットするために使える時間>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>金

くらいの気持ちだったりして、生活するのに必要だから欲しい、という程度の消極的なものなのだ。

いやごめん、ちょっとウソ。
カネはほしいよ。
だけど、それを得るために、なんでこんな思いまでせにゃならんの? ということが、随分重なりすぎてしまった。

こんな風に思うに至ったのは、ちょうどこの頃。

およめさまと一緒に、社会福祉士協議会に相談にいったり、区の福祉事務所に相談にいったりして、生活保護を受給した場合の想定額を算出してもらった時。
後期高齢者の母と、障害者の妻のいる3人世帯での算出を行った場合で弾き出された金額は、僕の前々職の給与と、ほぼ変わらなかった。

医療費の免除や都営交通の無料パス、某放送公団の受信料の免除等、諸々の免除される金額を計算すると、可処分所得は仕事をするよりも多かった。
今月から減額になったので、もう少し少なくなるとは思うけれど、ヤられまくってた精神状態で、その現実を目の当たりにした時、僕の心に去来したのは

「やってらんねー」

だった。
意に染まぬ仕事だったけれど、それなりに一所懸命にこなしてた。
離職直前は、毎週ほぼ6連勤・9:00〜26:00みたいな状態だった。

そんな風に働いて、精神ぶっ壊し(され)て、それなのにナマポのほうが実入りがいいなんて……。

今も職安に足繁く通い、職を見繕ってはエントリーしているけれど、「なんでもいいから働かせてください」というモードには、どうしても入らない。

OZZYの性向として

①.大量生産大量消費のノリがそもそも嫌い
②.激しく「欲しい」と思うものが、今は殆ど無い
③.上記のように、「時間>>>カネ」という価値観

というのがあるので、自分が価値を感じないものを売るのも、必要性の薄いサービスを提供するのも、忌避感があるし、多くのブラックな労働環境の職場で働くことも、社会悪の助長にしか繋がらないと考えてしまうのだ。

いい歳ぶっこいた、既婚者のヲッサンが言うことではないのかもしれないけれど。

一つだけ、とおこさんと意見を異にする部分がここだ。

>仕事を辞めて次の仕事の収入が低くても、どんなに少しだけでも稼いだら、失業
>給付はもらえない。生活保護も同じ、スローに働くことを助けるのではなくまっ
>たく働いてはいけないように設計されている。

これはそのとおりで、雇用保険も生活保護も、「積み上げ」ができず、受給状態になると、「はたらかない」という選択になってしまうのは、今まさに経験している。
ちなみにこの経験は、過去に数回しているけれど、期間の長さと詰んでる感は、今回がダントツだ。

一方で、積み上げはできないけれど、最低限の生活費は担保されている、という考え方もできる。
雇用保険の場合、積み上げはできないものの、申請した分の給付は、次の期間にズラすことができる。
生活保護もまた、収入があった分については申請の必要があり、その分は減額されてしまうけれど、トータルでの金額は担保される(給付の打切の可能性はあるけれど)。

これは、考え方を変えて、事業立ち上げ時の生活資金と考えることはできないだろうか?
生活保護課の担当者に確認したが、個人事業主が生活保護を受けることは、問題はないそうだ。

「絶対に『就労』というかたちを目指さなければならないのか?」

と確認したところ、そのような回答が得られた。
もちろん、一担当者が口頭で言っていただけのことなので、自治体や窓口担当者によって、言うことはバラバラかもしれないけれど、僕が得られた一次情報としては、そういうものが得られた。

とおこさん同様、起業や自営、個人事業での生活が、サラリーマンと違ってバラ色だなんて、露程も思っていない。
僕のような、会社員としての適正に欠ける人間が、就労先も見つからないし、就労したとしても継続がわりとしんどそうな状況で、仕方なく糊口をしのぐ手段として、『商い』を考えるしか無い、というスタンスだ。

全額給付ではなく、部分給付になって、「積み上げ」は不可能であったとしても、少なくとも意に染まぬ場で使われることや、意義を見いだせない仕事に疲弊することを避けつつ、なにがしかの『価値』を、世界に残せるのではないだろうか?

勿論、事業がうまく回って、自身も富むシナリオが最高だけれど、それができなかったとしても、『生きて、価値のある(と自分が思える)ものを残せる』のではないか? そのほうが、社会への貢献度も高いのではないか? と、ほんのり思っていたりする。

『仕事=賃労働』である必要って、まったくないと思うし、ただでさえ就労先の椅子はたりなくて、それさえもブラックで、脱落したり病んで死んじゃったりということを繰り返すより、いくらかマシなんじゃないだろうか?

少なくとも、不惑を何年も超えたヲッサンが、恥も外聞もなくこんな本音をさらけだしたことは、多少の意義があると、僕は思いながらこのエントリを書いてみた。

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