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「母のおから」

「一番好きな食べ物は?」という世界一の難問には、「そのとき食べているもの」と答えることにしている。

そのくらい、日本中の食べ物は甲乙つけ難いくらいなんでも美味しい。
苦手な食べ物はわかっているから口にしないし、花粉を食べない限りアレルギーもない。


そんな私の今日の好物は、母のおからである。


曲がりなりにも「一番」と選んだものに「母の」がついているのは、おふくろの味補正がかかりまくっているからではないかと思われるかもしれない。
…痛いところである。
いやだがしかし、それなりに理由もあるのだ。言い訳がましいがちょっと聞いていってほしい。


忙しい毎日にぽっこりと休日が空いたとき、母はここぞとばかりに料理をする。
そんな休日に、おからの入手が重なったのが今日である。

1カ月に一度前髪を切りに行く、少し遠めの美容室の近く。
最近めっきり減った古き良きお豆腐屋さんの、冷蔵ケースの一番隅にそれを見つけた瞬間、心の中でガッツポーズが炸裂した。

350g、60円の、おから。

お豆腐屋さんにとっては副産物にすぎない故に、信じられない低価格で売られているそれ。
でも主産物の方がそこまで好きではない私からすると、お目当てはいつもそれ一本だ。
あることもあるし、ないこともある。副産物はなかなかに人気者なのである。

冷蔵ケース内のラスト一個を睨みながら、大急ぎで母に連絡する。
「買っていっていいですか」
60円にして購入許可を仰ぐのは、「今日これ炊いてもらえますか」の意を含むからである。
「買ってよし」
含意を汲んだ母の迅速な返信をもって、無事おからは確保された。

母のおからにレシピはない。
大概の世のお母さんの例に漏れず、すべてが究極の目分量である。
材料はいつも有り合わせ。できる量だって違うのだから、レシピなんてできようはずもない。
ネギがないとぶつぶつ呟きながら、あれよあれよという間におからが出来上がっていく。
…そう言って見ている間は少なくとも、私に再現することは不可能だろう。

かくして、直径28センチ、深くて大きい我が家常用のフライパンに、おからが炊き上がった。
…ちんまりしたビニール袋で買ってきたときのおからの量とはだいぶ違う気がするのは気のせいだろうか。
部屋全体に出汁と、ごま油の香りが充満している。ずっとこの空気だったらいいのに、と思う。

取っておく分はちゃんと取り分けておこう

色はおそらく、一般的なものより茶色めだろう。具は野菜庫で忘れ去られていた人参と自家製の干し椎茸、あと鰹節。唯一の希望だったネギを切らしていたせいで、色味はお世辞にも良いとは言えない。でも何の困ることがあろうか。大体茶色いものは美味しいと相場が決まっているのである。

おからといえば、一般的には副菜として小皿で食べるものかもしれない。
だがしかし、出来たてをフライパンから山盛り盛って食べるおいしさは格別である。放っておくと食べ尽くしてしまうから、取っておく分をあらかじめ取り分けておくのは必須だ。

そそくさとお箸を持ち出す。
実はこれ、かなりポロポロしているので、お箸では食べにくい。スプーンが良いくらい。
でもスプーンでは一気に食べ過ぎて勿体ないし、そんなおからを箸で追いかけるのも楽しい。もう何でも楽しい。


「味大丈夫?」一口食べた私に母はいつも訊いてくるけれど、大丈夫じゃなかったことはない。

砂糖が少なく、塩辛めに設定された味。
干し椎茸の戻し汁と、最後に入れた鰹節の合わさった出汁は、家庭科で習った旨みの相乗効果とやらを体現しているのだろう。
自家製ゆえに惜しみない量使われた干し椎茸を摘むと、その歯ごたえの中に、噛むほどに広がる凝縮された旨みを感じる。
そもそも原料がお豆腐屋さんのおからというだけで、尚更美味しく感じてしまうのはなぜだろうか。

むしゃむしゃと頬張っていたら、あっという間に食べてしまった。



母のおからに砂糖が少ないのは、私が甘いおからを好まないからだと知っている。
私が椎茸が好きだから、多めに入れていることを知っている。
母は本当は蒸し大豆が大好きだけれど、豆嫌いの私のために入れないでいるのを知っている。
私のダイエットがエスカレートして食べるのを拒んでいた時期から、ごま油を減らしてくれているのを知っている。

そう、つまり。
母が誰か別の人とか、自分自身のために炊いたら、きっと別のおからが完成するのである。
母が私の母じゃなかったら、このおからはこうはならなかったのである。
だからこれは、私の「母のおから」なのである。

…結局はおふくろの味補正じゃないかと言われたら、ぐうの音も出ない。

そして取り分けておいた分も、結局今日食べてしまったのは秘密である。



ああ、今日誰にも好きな食べ物を訊かれなかったのが残念だ。
訊かれたら、すぐに答えたのに。

「母のおから」

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