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何気ない日常が特別だった。これだから、飲食業は辞められない。

真っ暗な店内。その中で唯一、ライトアップされた厨房。野菜を切る音。肉を断つ音。コンロから香るガスのにおい。まるでスポーツジムのように、いせかせかとパートさんと一緒になって仕込みをしていると、いろんな音や香りと出会う。仕込みの時間はお客様はおらず、ちょっとした会話が賑やかに店内に響いている。

13年間、飲食業に携わってきたが、私は今でもこの飲食業を辞めるつもりがない。日常が感動に溢れているからだ。

日常にある飲食店での出会いは、毎回が感動ばかりなんてことはありえない。でも、その人たちと、一緒になって積み重ねてきた時間や、忘れられない思い出は、食事と共にあった。「何気ない日常が特別だった」ことに気づくのは、いつだって過ぎ去ってからだ。でも、そんな思い出が一つ、自分の中にあるだけで、今日も前に進むことが出来る。これだから、飲食店で働くことは辞められない。

今回もその中で、一つの経験をお話ししたい。私が横浜の鶴屋町店に異動する少し前、前任の店舗で店長をしていた頃の話だ。

場所は神奈川県、川崎にある店舗。2011年11月にオープンし、今では8歳の誕生日を迎えた。オープンしたての頃は、連日行列が出来るお店だった。東京都大田区の蒲田での出店が大成功となり、3か月後にオープンした京急川崎駅前店。83席のお店だったが、連日150名を超える盛況ぶりだった。その中で、あるファミリーと出会った。

そのファミリーは3人家族で、よく3人で晩御飯を食べに来てくれていた。いつもニコニコしているお母さんと、口数は少ないが、下げものを渡してくれたりする優しいお父さんが印象的だった。鳥貴族のキッズドリンクを利用されていたので、お子様は小学生だったのだろう。家が近いこともあり、週1ペースで来られることもあり、日頃から好意にしてもらっていた。

私は一度、結婚を機にこの仕事を辞めている。2013年の12月だった。結婚するからという表の理由と、新店舗のお店の売り上げが思うように上がらず、自信を失ったことが大きな理由だった。当時の記憶や感情は、もう置いてきてしまった。そして、辞めるとき、たくさんの常連さんに挨拶をした。その中の一組に、この家族が居た。

年の瀬で、あまり時間もなくバタバタと忙しい中、お世話になりましたと、たくさんの常連さんに挨拶をしていた。写真もいっぱい撮ったりなんかして、見送られるムードがすごかった。そして、常連のファミリーさんが来店。残念ながら、お父さんは仕事で来られないと言う。だから、今日は二人でお子さんとお母さんだった。オープンしてから2年が経っていた。子供さんは中学生となり、「キッズドリンクはもう飲めないんですね」と、月日の流れを驚きながら、刻一刻と迫った最後の時間を楽しんでいた。帰り際には、握手をし、これからも頑張ってね、と見送られながら、見送った。

月日は流れ、その1年後、大阪で不動産業をやっていたが、どうしても飲食の仕事がやりたくて、本当にやりたくて、たまらなくなった。昔のスタッフに連絡を取ったり、社員さんにメールをしたりし始めていた。自分の持っているもの全てを出して、全力でお客様に向かうあの時間が、最高に好きだったと気づかされた。大阪に引っ越したにも関わらず、また神奈川に戻って働きたいと、奥さんに頭を下げてお願いをした。長男が生まれて、数か月のことだった。よく考えれば、めちゃくちゃな旦那だった。それでも決意新たに、鳥貴族の現場に戻らせてもらった。

がむしゃらに働いた。役職を持たず、一社員からのスタートをさせてもらった。あの頃のお店に来ていた常連さんが、少なくなっていたことは残念だったが、また来店されたときに、また必ず来てもらえるようなお店作りに必死だった。そこからしばらくして店長へ復帰し、マネージャーへ。あの頃の想いと、熱量だけは変わらずのままだ。

2018年の1月。あの別れから、5年の歳月が流れていた。いつも通り、一生懸命働いていると、どこか見覚えのある方が来店された。そうだ、あのファミリーだった。聞けば、たまたま鶴見に同窓会あとに、鳥貴族を利用したとき、昔の話になったという。僕が復職していることを聞き、居ても立っても居られずに、家族を連れて会いにきてくれたのだった。

第一声は「おかえり!」だった。驚きのあまり、声が出なかった。もう出会ったときからは7年にもなる。30歳にもなる僕に、そのファミリーさんは、当時と変わらない目で、今日会えることを、本当に楽しみにしていたことを伝えてくれた。一緒に来ていた息子さんは、驚くことにもう高校を卒業して、専門学校に通っているという。お父さんは残念ながらこの日も仕事だった。よく大ジョッキのビールを飲んでいたお母さんが、最初に注文したのはウーロン茶。聞けば、今静岡に住んでいるという。今日、わざわざこの川崎の鳥貴族のために、3時間以上かけて車で来たことを教えてくれた。その過程を想像しただけで、もうなんだか泣けてきた。なんていうか、温かい気持ち。言葉で表現できない、心の琴線に触れられたんだと思う。もう全身から力がみなぎった。みなぎりすぎて、むしろ抜けたのを記憶している。話は止まらなかった。あれからすぐ引っ越しをしたこと。近くには鳥貴族がないこと。高校生時代の息子は、ずっと鳥貴族の焼き鳥が食べたい食べたいと言って聞かなかったこと。もう溢れて溢れて、仕事が出来なかった(笑)2時間ほどで帰られるとき「今度は父ちゃんも連れてくるね」と約束した。証拠に僕とお母さんのツーショットを息子が撮ってくれて、お父さんに送っていた。

後日、お父さんも連れて来てくれて、4人で思い出話に花を咲かせた。(また車で来ていて、今度もウーロン茶だった)8年という歳月は、こんなにもお互いの環境を変え、人生とは実に面白いものだと思わされた。日常にある飲食店での出会いは、毎回が感動ばかりなんてことはありえない。でも、その人たちと、一緒になって積み重ねてきた時間や、忘れられない思い出は、食事と共にあったんだと思う。何気ない日常が特別だっただなんて気づくのは、いつだって遠く過ぎ去ってからだ。でも、そんな思い出が一つ、自分の中にあっただけで、僕は今日も前に進める。これだから、飲食店で働くことは辞められない。

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