危険生物図鑑
出会った当時の妻は16歳。
明らかに自分よりはかなり若いとは思った。
でもまさか15コもトシが離れているなんて、思いもしなかった…。
今更、それは犯罪者の言い訳にしかならないのだ。
危険生物とは
片田舎の駅のホーム
僕はサビついた線路の上に咲いた一本の薔薇を、僕はただただ、見つめていた。
その日(も)すこぶる体調が悪かった。特にメンタルを病んでいた。
保険会社に勤めていた僕は、一週間もの缶詰状態の新人研修を終え、千葉からの帰路は遠く、疲れ切っていた。
そして一番の憔悴の原因は、1カ月前に既婚女性との恋愛関係がバレて地元を追放され、そこから立ち直れずにいたことだった。
電車を待つ間、誰もいないホームのベンチにうなだれていると、一人の若い女性がスマホを凝視しながら階段を降りてくるのが見えた。
僕は特段気にせず、うつむき直して考え事をしていた。
1ヶ月前に別れた彼女のことが、頭から離れなかったのだ。
数分が経って、ふと気付いたことがあった。
さっき階段から降りてきたスマホ歩き娘が、ホームの端から端を何回も右往左往している。相変わらずスマホに視線を向けているが、時折目線をどこかにやって、何かを探しているようだった。
よく見ると、美しい娘っこだ。
僕はどうするべきか
かなり迷ったが、興味ではなく(絶対に)心配の方が優ったため
声をかけてみた。
「ウエエとああああ、…ナナ、なんか探してるんですか?」
スマホ歩き娘はこちらにギョッとした表情を向けながらも即答で返事した
「タバコ。 タバコ売ってるとこ探してるんよ。知らん?」
…ドジった。
そのワリと荒っぽい言い方におののき、僕は早々に、薔薇の棘に触れてしまったなと思った。
理解と受容の道のり
ホームでスマホ歩きタバコ探し娘が、のちに、現・僕の妻になるのであるが
どのようにして付き合ったとか、いつ結婚したとかは、書いてて幸せではあるが、なぜか胃が痛くなるのでものすごくキリキリと
またいつか。
妻は年齢こそ若かったが、見た目に反して極めてしっかりとした人間だった。
幼少期から兄姉らと共に児童養護施設で育ったことが要因としてある、と本人が言っていたが、子ども時代からかなり軍隊的な、悪い言い方をすると『刑務所的な』という時もあるほど、規律と躾、上の先輩たちからのいじめも受けながら厳しい環境で育ったと話してくれた。
「だからこそ」母親に育ててもらわなくて、本当に良かったと、今でも妻は言い切る。
妻は中学校の卒業と同時に、先に社会に出ている姉の名義を借り一人暮らしをし、働きながら夜間高校に通ったが、1ヶ月で退学。
その後、僕の住む町に働きに来ていた。
生活の規律、特にお金の管理に関しては、僕よりはるかに優れた才能を持っていた。
しかしながら、如何せんその野生的なというか、野良の狂犬さが度々発動し、「ガルルルッ!」と僕はおろか、僕の友人や先輩、家族にまで噛み付きまくった。
コミュニケーションの壁とその克服
年齢の差、歩んできた環境の違いも大きな壁として、そこにはあったのかもしれないが、あまりお互いに感じたことがないように思う。
なぜなら
それは僕が割と類を見ないクズ男だったことと、妻が乱世の中で育った闘犬であった為、「壁」そのものを取っ払ったバーリトゥードな闘いを日々繰り広げる羽目になったからだろう。
「新婚生活」というワードからしたたる甘い蜜を一滴たりとも吸うことなくスタートし、「コミュニケーション」などという生ぬるいものは僕たちの結婚生活にはなかった。
流石に子どもができると闘い自体は次第に減っていったが、それでもお互いを信頼し合うと言うような、そういう関係は自分たちには想像できなかったのだ。
総合格闘技のような結婚生活。相手の弱点を分析しながら、相手の嫌がることを探り合い、お互い技の応酬。そしておかしなもんで、その試合の中で生まれた子どもたち3人。
どう考えても複雑である。
単純に「結婚は良い」などと、生半可に独身の友人に言えるはずがなかった。
しかし近況は、明らかに様子が変わってきている。
成長と変化
決して、プラスの要因にしたくはない出来事である。
が、前回話した事件がきっかけにはなっていることは否めないだろう。
連日夫婦でBreakingDownしていた僕たちは、今はもうお互いがリングに上がることはほとんどない。
今は、いかにこれから子どもたちを社会で勝たせられるかを、それだけを一緒に考えるようになった。そして、いかにして自分たちが生き残っていけるかを戦略し合うようになった。
お互いが同じコーナーのセコンドに周り、初めて同じ視点からリング上の戦う相手(社会)を見つめている。
展望
例の事件を引き起こした第一の要因に「貧困」がある。
同じ泥沼に飛び込むつもりはない。社会のせいにするつもりもない。いち早く僕たちは脱出する。
そしてその先には、妻との共同の目標がある。
妻のような、児童養護施設で育った子どもたちには、そこを出てからも不遇な連鎖に飲まれ続ける子どもたちや若者が、どうやら一定数存在する。
妻はいう。自分と同じような、悲しい因果から抜け出せずに孤独になっている子どもが、今日もどこかにいるんだろう。
今はとても、助けになんかいけない。でもいつの日か、そういう子どもたちに、手を差し伸べれるようになりたい、またはそれを可能にする大きな箱を作りたい、と。
僕も協力したいと思う。
だが今は、とにかく今日の目の前の課題をBreakingDownする。
その前に、ちょっとサウナに行ってくる。
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