Take-17:映画『グランツーリスモ(2023)』は面白かったのか?──人と人が出会うためのプログラムとは──
【映画のキャッチコピー】
『世界一過酷な夢への挑戦』
【作品の年代】
バーチャルとリアルを繋ぐドライバー発掘・育成プログラム「GTアカデミー」は2008年から2016年まで続いていたので、年代はその初頭くらいだと思われる(「GTアカデミー」は現在も「グランツーリスモ・ワールドシリーズ」という形で開催されているそうです)。
【作品のロケ地】
主要なセクションのロケ地はハンガリーの首都ブダペスト。
ペシュト県、モジョロードにあるハンガロリンクというレース場を、フランス、サルト州ル・マンにあるサルト・サーキットなどに見立てて撮影されている。
また日本でのシーンも大半はハンガリーで撮影されている。
またアラブ首長国連邦のドバイランド内のドバイ・モーターシティ内にあるドバイ・オートドロームでも撮影。
そしてオーストリアのシュタイアーマルク州にあるレッドブル・リンクでも撮影されている。
日本では新宿西口のヨドバシカメラ前や飲み屋街の思い出横丁などで外観撮影もされてるみたいですね。
【原題】
『Gran turismo』
「Gran」は「素晴らしい」、「turismo」は「観光」の意。
皆様、よき映画ライフをお過ごしでしょうか?
N市の野良猫、ペイザンヌでございます。
さてこちら『グランツーリスモ』は公開当日に足を運んでまいりましたが……なんというか今回の感想は完全孤立状態マイノリティ確定な気がします。大絶賛の方は正直読まぬ方がいいかも、くらいな。
(;^ω^)
しかし…自分に嘘はつけぬので正直に…
「まあまあでした…」ボソッ
この「まあまあ」という言い方が的を得てるのかわかりませんが……
例えば先日、こちらは別の映画ですが周りのレビュー群があまりよろしくない作品を観に行ったんですよ。
ただ、その映画、自分的には「え? なんだ、そこそこ面白いじゃん!」と思っちゃいましてね。
この「まあまあ」と「そこそこ」。
実は自分の中では、わりかし近しいところにあります。
万人受け、大勢が絶賛してるけれど──自分的には「まあまあ」。
酷評が多くコキ降ろされてるけれど──自分的には「そこそこ」といった使い方でしょうかw
なのでこの『グランツーリスモ』も、普通に楽しめたし、また多くの人が楽しめるんだろうな……と、そこは当然ながら感じました。
むしろ普段それほど映画を観ない人でも楽しめるように計算されて作られてるのではないか?──くらいにも思えましたね。
感覚的にディズニーの作品を観ている気持ちかも……。
技術、迫力、そして努力、師弟関係、親子愛、ストレートな感動!
何よりコレが実話ということが多くの人の涙腺を緩ませたのでしょう。実際凄いことだと思いますし、ボク自身直前まで観るのをためらっていたのですが一番「観てみたい」という興味を引き出したポイントはそこでした。突出したゲームオタクはいかにして本物のレーサーになれるのか──という部分であります。
ゲーム『グランツーリスモ』の開発者である山内一典氏が2004年、ニュルブルクリンクで欧州日産のダレン・コックス氏(映画でオーランド・ブルーム演じるダニー・ムーアのモデルですね)と会ったときのこと。
「グランツーリスモのプレイヤーは実写のレーサーになれるかな──」と聞かれ「なれるよ──」と答えたそうです。
先ほど「ディズニー映画を観てる感覚になった」と書きましたが、実はボク、前回『リトル・マーメイド(2023)』の感想を書いた時、サブタイトルに【──「私もなれるかな?」「きっとなれるよ」こそがディズニー映画の理想──】と、つけております。その辺が「あ、自分の中のピースがピタリとハマったな……」というか。
レース映画にしては近年の『フォードvsフェラーリ(2019)』や名匠ロン・ハワード監督、クリス・ヘムズワース主演の『RUSH/プライドと友情(2013)』などで描かれてたような「泥臭い部分」があまり描かれてないことも、その気持ちに拍車をかけます。
まあ、レーサーの粗野さや、一般社会からの四面楚歌、レース資金、スポンサー確保問題などですかね。
そんなこともあり脚本というのか、ストーリーの運びに自分は少しノレなかったんですよね。絶賛されてる方とは裏腹。右肩上がりにテンションが上がることは、最後までとうとうありませんでした。
当然そこは個人差がある部分なのですが、覆せない事実なので正直に書かせて頂きました。好きな方本当にごめんなさい。
どこまでが実話ベースとなってるのかはわかりませんが、たとえ全て事実だとしても妙に「でき過ぎ感」が強く、ついぞ主人公に感情移入できず最終ラップに突入してしまったなというか。
「観たい」と興味をそそられた部分が前半1時間くらいで終わっちゃったなというか……後半は普通に単なるレース映画になっちゃったな……てのがまず一つ
もうひとつは主人公が最初から「なんとなくヤレそう」というか……デュフフとまでいかずとも、ジャック・ブラックのようなもっともっとオタクぽい人が主役の方が「映画としては」面白いのでは?──などと思ったり……まあこの辺は勝手な個人的願望の部分が強いんですけどねw
実話が絡むのでそうはいかないことも重々承知です。
レースにおいても、ギリギリ鼻差の勝負てのを三回くらい見せられ「またか」って感じだったんですよね……クライマックスのル・マン24時間耐久レースの頃には「どうせまた……ギリギリの逆転を見せられるんでしょ?」と少しテンションも下がってた自分もいました。
エピソードに関しては「師匠ジャック・ソルターの過去」や「順風な時のクラッシュ」など……やはりこの辺も、どこかで何度も見たような既視感が拭えず。
とまあ、ここまで書いたのは、あくまで「ストーリーのみ」の話なんですけどね……
それに自分にとっては「どこかで見たような既視感」だとしても、映画を見始めたばかりの人や、まだまだ数を観てない若い方々にとっては「初めてのこと」「初めての感動」ということだって当然ありますからね。
その辺りはいつの時代も世代交代と共に必ず起こり得る「映画におけるジェネレーション・ギャップ」というところでしょう。
自分は何度も体験したけど、必ず初めての人もいる。
ここは大事な部分なので今一度自分にも戒めますね。考えてみれば、さながら劇中のヤンとジャックのようでもありますねw
ゲームを通じて実戦・リアルへ……という設定は、少年が防空司令部のコンピューターにアクセスしてしまいそれと知らずにゲームのように扱ってしまう映画『ウォー・ゲーム(1983)』などが最初パッと頭に浮かんでしまいましたが、いやむしろ『スター・ファイター(1984)』やね、これはと。
『スター・ファイター』はまさにアーケードゲームで最高得点を獲った少年が宇宙戦士としてスカウトされ……という無茶ぶりなSF映画ですが、ストーリーの構造はかなり似ておりますw
映画『グランツーリスモ』はそこから、まるで『キングスマン(2014)』のようなエリート選抜試験が行われたり、『ベスト・キッド(1984:2010)』のような師弟関係のエピソードへ突入したりと。
主人公の師匠であるジャック・ソルターを演じたデヴィッド・ハーバーに文句はありませぬが、キャラ的にはこれまたどっち付かずというか「ジャッキー・チェン映画」の赤鼻の師匠みたいに突き抜けてユーモラスというわけでも『セッション(2014)』や『フルメタル・ジャケット(1987)』スパルタ師匠でも鬼軍曹でもなし。実はここももうひとアクセントあってもよかった気がするな──という願望が。
まあ、これもまた実際の人物だから仕方ないところでしょうけど。
認めてはいるものの頑として主人公を褒めない──とか、もう少し頑固さがほしかったかも──てのを自分は求めちゃいましたね。
けっこう早い段階で二人とも和解し、認め合っちゃう。「ん〜、ちょっと分かり合うの、早くね?」とか心の中でそっと呟いたりもしてましたw
結果、最終的に『ベスト・キッド』のラストバトルのようにムワッとする瞬間的な「うおっ」という震えも自分はなかったんすよね。まあ空手やボクシングのように一瞬で全てが決まる!──といった競技ではなくレースという長時間かけて勝負する競技なので仕方ないっちゃ仕方ないのですが。
今回は少しネガティブな意見をいろいろ書いてしまったかもしれませんが、逆張りでもアラ探しでもなく、ボクがひねくれてるだけなので……本当に申し訳ない限りです。
どうしても自分は「映像的に」の部分よりも「脚本的」なところを映画に求め、重きを置いてしまうので、少しその辺りが納得いかなかっただけであります。視覚的・音響的には皆様と同じく十分楽しめました。
ちなみに開発者でもあり、今回の映画のエグゼクティブプロデューサーも務めた山内一典氏も学生時代に映画を撮っていたらしいですね。インタビューでこう答えている記事がありました。
この「映画を作るうえでの教科書みたいな──」の下りをどう取っていいかは微妙なのですが、なんとなくここからも「無難な映画」という意味合いが含まれてる……気がしないでもないんですよね……
ボク自身も決して「面白くない」と言ってるわけではなく「まあまあ」とか「理屈抜きに楽しめる」とかそんな無難な言葉を選ぶことになってしまったのもその辺に近しいような気がして引用させて頂きました。
監督は『第9地区(2009)』『チャッピー(2015)』などのニール・ブロムカンプ。
予告の時はこの監督名すら出ておらず、全くフィーチャーされてなかったので少し驚きました。まあこれまでの作品カラーとはかなり違ってるのも関係してるのかもしれませんけどね。
ブロムカンプ監督は今回、なぜここまで方向転換したのだろう? という疑問はずっとありましたね。ボクもどちらかといえば彼の「異色」そして「ダーク」なカラーが好きだった方なので。
ある意味、明るくメジャーな「俺にもこんな映画が撮れるんだぞ」という挑戦だったのかも……と思ってましたが、つい先日そこについて述べておりましたので、そちらも載せておきます。
「カウンター」という言葉を使っておりますが、まあ、大きくは外れてないかもですね。
監督自身はスティーブ・マックィーン主演『栄光のル・マン(1971)』をかなり参考にしてるようです。
さて、先に引用した記事の中で山内一典さんは、このゲームプレイヤーからレーサーを育成する「GTアカデミー」は「人と人が出会うためのプログラムだった」とも言っております。その理念は本当に共感するというか素晴らしいことであり、そう考えるとボクなどは、この映画の元となった実話こそ、むしろ映画より面白く感じてしまったんですよね。
「事実は映画より奇なり」──そこがこの『グランツーリスモ』で最大の魅力を感じた部分なのであります。
この映画を通じ、また誰かと誰かが出会うことになるのかもしれません。そんなことを願いつつ──
では、また次回に!
【本作からの枝分かれ映画、勝手に12選】
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