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自分自身が自分の人生の主人公でありたいのです。

本当の意味で自分が生きたいように生きるためには、あらゆる側面で、自分自身が自分の人生の主人公であらなければならない。

では、主人公の役割とはいったい何だろうか。

この場合、少年マンガをもとに考えると非常にわかりやすい。

ワンピースの主人公であるルフィは、「海賊王に、俺はなる!」と言った。
Dr. Stoneの主人公である石神千空は、「石化の謎を解き人類を救う」と言った。
鬼滅の刃の主人公である竈門炭治郎は、「鬼になってしまった妹の禰󠄀豆子を人間に戻したい」と言った。
(例えに出したアニメで趣味がバレてしまうな。ただし、私はワンピースを読んだことがない。)

つまり、主人公の役割は「夢を宣言すること」である。その夢を叶えるまでの過程がすべてストーリーの一部となり、総体として物語を完成させるのである。

これに倣うと、自分自身が主人公として自分の人生という名の物語を作り出していくためには、やはり「夢」を宣言しなければならないのだ。

これは、すべての人間にできることではないとは思うし、必ずしもすべての人間がそうしなくてもよいとも思う。

しかし私は、なぜかそれに対して憧れのような、義務感のような、何かよくわからない感覚を抱えている。本当はそうできたらカッコいいなぁと思っているにも関わらず、なかなかそれができずにいることに対するもどかしさのような、いら立ちのような、自分でも不思議に思う感覚を抱えている。

夢を宣言するのは、その人間の勝手だし、自由だ。公序良俗に反しないもので、他者の権利を必要以上に奪うものでない限りは、いくらでも自由に夢を宣言すればいいと思う。

しかも、夢というのは、「宣言することそのもの」が重要なのであって、必ずしもその実現性を問われないという側面がある。どれだけ実現性が低くて、遥か遠く先の未来でも到達できるかどうかわからない道であったとしても、それが魅力的であると周りの人に語ることができれば、誰か仲間がついてくる可能性がある。

つまり、主人公が気にするべきは、夢が叶うかどうかではない。魅力的な夢を宣言し、それを人に語って仲間を増やし、死ぬまで諦めないこと。それだけである。

これを実践するにあたり、最近になってやっと、私にとってクリティカルな課題を見抜くことができたような気がしている。

それは、「自分ができることしかやらない自分」を乗り越え、「自分の力だけでは解けない課題を設定する」ことだ。これまでの自分がうまく生きてこられたのは、自分ができることを、自分にできる範囲でやってきただけだからだ。

確かに、個人的な課題であっても、ある集団における課題であっても、自分にできることを見出し適切に粛々とこなせること自体は素晴らしいことだ。

しかし、それに満足していてはその先には行けない。

自分の力だけでは達成できない大きな課題を設定するからこそ、それに必要な仕事が次々に湧き上がってくる。

湧き上がるように仕事が生まれると、自分の時間が足りなくなってくることに気づく。

そのときに初めて、自分以外の人が必要になる。人に仕事を任せたくなる。

逆に言えば、自分の力で解ける課題を解いている限り、人は集まってこない。

今の私が抱えている大きな問題は、①人生において自分だけで解けるサイズの課題を無意識的に選んでしまっている傾向があることと、②その課題を自分だけで解こうとしていること、の2つだ。

だから、もっと大きな課題を設定しなければならない。

課題なんていうお堅い言葉でなくてもいい。簡単に言えば、「欲望」だ。

自らの欲望を開放してそれを推し進めた先に、自分の力だけではどうにもならないやるべきことがたくさん生まれてくるのだろう。

主人公として自分が生きたいように生きるためには、これを実践できなければいけないのだ。

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