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3/28月:承認欲求には他者への貢献を。

人間というのは他者から承認されることで初めて、幸福感や充実感を得ることができる生き物である。

人間の承認のされ方には複数のパターンがあり得るだろう。例えば、その人が持っている能力が認められること、個性や性質が認められること、物事への取り組み方やその結果や成果が認められること、などである。

そこで、私自身にとって幸福感や充実感を得ることができるような承認のされ方とは、一体どんなものだろうか、と考えてみた。するとわかったのは、私にとっての一番の承認とは、その持てる能力を認められることではなく、自分が貢献したいと思える人たちへの貢献が認められることである、ということであった。

もう少しフランクな言い方をするならば、私は「すごいね」よりも、「ありがとう」と言われる方が充実感を得られるのだということだ。この感覚が、これまでの経験とうまくマッチしているように思う。

研究の世界では、その業界の中では「すごいね」を求められ、それをうまくアピールすること、できることが是とされているような気がする。ここにきてそこになんとなく馴染めない感じがしているのは、おそらくその自分自身の価値観との齟齬があるからだろう。

研究をしていても、「研究してくれてありがとう」と直接的にはなかなか言われないものだ。むしろ真の研究者は「ありがとう」と言われることなど求めていないだろう。言い方が悪いかもしれないが、それは、自分自身の狂気的な知的好奇心を満たすため、究極の自己満足のために研究をしているだろう。

一方で、私が無意識的に求めていたのは、その持てる能力に対する承認ではなく、他者に貢献すること、感謝されることによる承認だったのである。先生や先輩方からの言葉をあまり嬉しいと感じないのは、おそらく、研究の世界での評価軸が研究への取り組み方・プロセスや成果によるものに寄っているからであり、一方で後輩たちからの言葉を嬉しいと感じたのは、彼らに比較すれば私の能力が高いことは彼らにとっては当たり前で、それよりもむしろ感謝を伝えてくれたからだ。

しかし、この「ありがとう」による承認というのは、どんな人間であっても喜びを得る感覚を持っているのではないか。たかが程度問題に過ぎないのではないか。

それだとしても、より「ありがとう」による承認を欲しているということは、私の個性の1つなのだろうと思う。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。