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後輩たちにGiveできることを探していたのです。

この5月に入ってから、新たな取り組みとして、当研究室所属の学生たちに向けて毎週コラムを書いてみようと思い立った。

博士2年のとき、私が日常生活で見聞きしている後輩たちのポジティブな側面に光を当てて、それを文章化して毎月末に全員宛にメールで送る、ということをやっていたことがある。

きっかけは、私の2学年上の博士の先輩に「お前は褒めが足りない」と言われたからだ。だから、それを自分なりに実行しようと思って、上記の取り組みを1年間毎月やってみた。

そうしたら、比較的後輩たちからの評判も良かったし、不思議なことに自分としても、当時の後輩たちの卒論・修論発表については、例年よりも思い入れの強いものになった。

他者に何かを与えることによって何かが返ってくる、ということを実感して、Giver mindの片鱗を得ることができた。

そういう経験を通して感じたのは、彼ら1人ひとりについて何かしら書くのも大事だけど、もっと他にも伝えたいことがあるのでは?という思いだった。

例えば、彼らが共通して興味があったり、研究室生活の中でぶつかりそうな壁との向き合い方など、自分も同じように通ってきた道について、先輩として言えることがあるのではないか、といったことだ。

だから、それらについて文章化して届けてみようと思った。

しかしそれは、彼らにとってはある意味ではお節介であり、ある意味では老害の戯言になってしまうかもしれない。彼らが読んで面白いとか、タメになるとか、そういう文章を狙って書くにはまだ私は恐れ多い立場でもある。

だから、気をつけなければいけないのは、そのコラムに書いたことをそのまま信じろとか実行しろと言いたいわけではなく、あくまで、彼らが何か困ったときや壁にぶち当たったときに、思考のきっかけになるような何かを提供するつもりでいることだ。

そのように考えてから、後輩たちとの研究に関する議論や、日常的なコミュニケーションの中で話題に上がったことや、誰かに相談されたことで皆に共有する価値がありそうだと感じたことについて、コラム形式で書いてみている。

ただ自分でも不思議なのは、どうしてこういうことが私にとって違和感なくできているのか、ということだ。

つまり、なぜ私は、後輩たち1人ひとりに対してPositive Feedbackを返したり、こういうコラムを書いたりすることができるのか。

これは、あまり普通のことではないかもしれないようだけど、その理由は正直わからない。

色々な要素が絡んでいると思う。

後輩たちに良いFeedbackをしたいという謎の欲求があるような気がしたり。悩んでいたり苦しんでいたりする人を見ると、少しでもその状況を改善するためのきっかけを与えたいと思ったり。1人ひとりにコメントを書くと決めたら、誰に対しても同じ程度の文章量を書きたいと思うフェアネスを大事にしたかったり。私が直接彼らに話しかけて喋りで伝えるのが苦手だから、自分の思考を彼らにうまく伝えるために取れる方法がこれしかなかったり。

そういう様々な動機や条件が重なった中で、私が無理なく彼らに何らかをGiveできる方法がこれだったのかもしれない、というだけだ。


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