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聞こえてしまう幻聴を乗り越えたいのです。

私にはいろいろな幻聴が聞こえる。

と言うと、精神錯乱状態なのかと心配されるかもしれないが、そういうことではない。

これは、本当の精神病の症状的な幻聴が聞こえるのではなくて、あえてわかりやすく言うなれば、自分の中にいる天使と悪魔のうちの「悪魔の言葉」といったところだろうか。自分の言動や行動、様々な意思決定に対して必ず否定的な発言をする、私の脳内にいる悪魔である。

これをなぜ「幻聴」と表現したかというと、自分自身の中から生まれるそういう批判は、多くの場合自分自身しか思っていないことが多いからだ。周りの人は決してそんなことを思っていないのに(より正確に言うと、どう思っているかわからないのに)、あたかもそう思われているかのように感じてしまうのだ。

例えば、自分自身が博士課程に進学を決めたことに対して、「何のためにわざわざ博士にまで進むの?ただ就職したくないことの言い訳として進学しただけじゃないの?」という言葉が瞬時に降りかかってくる。

これに対して、確かに論理的に反論し、自分の中で解決し納得することができることもあるのだが、一方で、合理的に対応できないものが1つだけある。

それは、いわゆる「価値観」に対する批判だ。

価値観とは論理の出発点であることが多く、それを疑ってしまうとその後の推論は全て崩れてしまう。

その「悪魔」が執拗に自分自身を問い続け、私自身の価値観にまで迫ってくる場合には、合理的な反論が難しくなる。「なぜ?」と問われても、「そういうものだから」としか答えることができない。

この状況とうまくやっていくためには、冒頭の幻聴を減らしていくか、幻聴に対して耐性をつけるか、しかない。

幻聴を減らすことができるかというと、それは私の思考の性質として、完全に消し去ることはできないだろう。私の資質であるところの「内省力」の発現を完全に抑え込むことは不可能だからだ。

では、幻聴に対して耐性をつけるためにはどうするか。

まずは、そのような幻聴が「幻聴である」ことを理解することだ。本当に誰かからそう思われているわけではなく、自分が勝手に言っているだけだということを理解できればよい。

次に、その幻聴により追い詰められた自分の価値観を許す、ということだ。この幻聴について私が苦しく感じているということは、おそらく自分自身の価値観を自分自身が許せていない、受け入れられていないのだと思う。

自分自身の言動や行動、様々な意思決定、そして存在そのものも含めて、自分自身を受け入れることで初めて、こうした幻聴からの苦しみを乗り越えられるのだと思う。

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