ピープルフライドストーリー (45) 猫 (エッセイ)


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……………………………第45回
(エッセイ)

             猫

            by 三毛乱

 猫について書くことは、なかなかに難しい…。出会って来た猫に対して、いろんな複雑で割り切れない思いや感情が胸中に澱んでいるからだ。とりあえず、昔、実家で飼っていた猫のなかの何匹かの記憶を記してみる事にしたい…。

 実家では、物心ついた時から猫がいた。いつ頃から猫がいたのか最近姉に訊いてみると、姉が生まれる前からいたそうである。
 若い頃は東京で一緒に働いていた時もある父親と母親は、結局、故郷の田舎の中に父親の母親(つまり、私の祖母)と一緒の家に住む事にした。私の父方の祖父は昭和16年に若くして結核で亡くなっていた。実家の周囲には、まだ多くの畑があり、多くの鼠が家にも出現したので猫を飼う事にしたらしい。確かに、私の幼い頃は役場からは捕まえた鼠に対する報奨金が出ていた時期があったのを記憶している。
 ともかく記憶の中では9才、10才頃に、はじめて我が家には猫がいるというのを私は意識した。その前の猫の記憶は残念ながらないのである。
 で、私の記憶では家で飼っていたのは雌の三毛猫で、ミケと呼んでいた。欲目かもしれないが、賢い顔をしたスタイルの良い猫であった。鼠もよく獲った。そのミケが、ある時、家にあったダンボール箱の中に仔猫を生んだ。今思えば、父親猫はどこのどの猫だったのか気に掛けもしなかったが、野良猫が村には何匹かいたので、その中の一匹だったのだと思う。仔猫は、まだ眼のあかない状態だった。ミケにとっては初めての出産だったのではないかと思う。子供である私と姉と妹は興味津々で何度となく覗き込んだ。
 そして翌朝、不思議な事が起こっていた。昨日の事が嘘の様に仔猫がいないのである。どこを探しても見つからない。私の母親は、猫は人間を警戒して仔猫を取られてしまうと思うと、その警戒心で仔猫を食べてしまう事がある、と言った。そういえば、私が仔猫を覗きに見た時、ミケはいささか心配そうでもあり、警戒してる顔をしていなくもなかったと思い返した。
 では本当にミケが食べてしまったのか? …分からない…。ダンボール箱に血痕などはなかった。あるいは…どこかに仔猫を運んだだけかも知れないが、それっきり四匹程いた仔猫が見つかる事はなかった。勿論、泣き声も聞こえて来る事がなかった。やはり食べてしまったのか? ミケは仔猫を食べた(?)罪悪感みたいな顔などは、まあ当然ながらしておらず…、ミケのしれっとした面持ちにも見える顔からは真相を読み取く事は到頭出来なかった。
 いなくなったという事では、客間に、掌より大きい亀が入っていた鉢があった時があるのだが、自力では越えられない高さだったはずなのに、ある朝その亀が消えていたのである。あれもミケがどこかへ咥え去ったのだろうか?…。
 そういう不思議な事があった後にも、何カ月か後にまたミケが妊娠した。今後は私達は廊下の1番遠くの奥の処にダンボール箱を置いて、仔猫が産まれても極力見に行くのを控えた。ミケは安心したのか今度は仔猫を食べたりする事(?)はなくて無事出産した。
 その後ミケが何回か妊娠出産して、合計二十匹近く仔猫を産んだのではないかと思う。我が家では結局ミケだけが妊娠してゆく猫となって、高い確率で雄猫を産んだ。
 生まれて眼が開いてなんとか歩ける様になった仔猫でも、冬の炬燵の中での熱や酸素不足でか、よろよろと炬燵から出て来て数歩でバタリと倒れ、そのまま亡くなったのもいた。もちろん、大きく育つのもいた。その中で私に1番懐いたのはミケより大きく育った真っ黒の猫のクロだった。我が家は単純に色や模様を表した名前(シロやブチなど…)で猫を呼んでいたのである。名前の明確でない猫もたくさんいたのだった。
 クロは色艶のいい雄猫だった。私は気候の良い時期に寝ているクロをスケッチブックに数回描いた事もある。冬、テレビを見ながら炬燵に何人かいると、必ずと言って良い程に、クロは私の膝に被せた掛け布団の上に乗っかる。炬燵で横になってると、1番高い腰の上に乗って座って眼を瞑る。それと、私は高校生まで祖母と一緒の部屋で就寝していたのだが、クロは真夜中にやって来て、布団に潜り込むより、仰向けに寝ている胸の部分の布団の上で眼を瞑るのを好んだ。大人猫の重さで夜中に何度も私は眼を覚ました。我慢できない時だけ私の体を動かしたりしたが、時々クロが眼を瞑りながら喉をグルルルルルル……って鳴らしたりするのを聞くと、私は体を動かすのは益々できない心情になって、そのまま再び眠りにつく事が何匹もあった。まあ、若い体力があったからこそ、クロを乗っけたまま体をずっと動かさずに眠る事が出来ていたのかも知れない。
 そして、クロ以外には、チャと呼ばれた茶色の雄猫の事を記さなければならない。チャも大きく育った猫だったが、チャはミケが新たに産んだ仔猫数匹が元気に歩けるようになると、邪険とまでではないが、いつも避けるような行動をした。私はそれを見て、今から思うとギョっとするのだが、中学生くらいの私は3㎏程のチャを摑まえて、『どうして仲良く出来ないんだ』と言いながら柱にチャの頭をゴツン、ゴツンと打ちつけた事がある。本ト、今思うと自分ながらギョっとする事を私はやっていたのだ。あの世というのが本当にあってチャと逢う事もあったならば、あの事を真っ先に謝りたいと思う…。
 …ともかく、ミケは我が家で1番長く飼われて、1番長生きした猫となった。百m先には小さな林がその頃まだあったりしたが、ミケが1番出歩く回数が多く、歩き回る範囲も広く、1番健康だったのかも知れない。
 私が高校三年生の頃、ある場面を見た。私は家の中にいてミケが家から出かけるのを見ていた。すると、隣りの家の犬がワンワン叫びながら駆けて来た。
 隣りの犬は二~三年程飼われている毛並みのあまり良くない白色の雑種の中型犬で、人間年齢だと20~30才程で、いつも家の外で首からの鎖で固定された範囲の中で、お決まりの様に長時間ワンワン鳴き叫んでいた。うるさく響くので、私は秘かに『バカ犬』と呼んでいた。今思えば、犬が悪いのではなく、飼い主の犬の飼い方が出来ていなかったのだろう。その犬が、どういう訳か、その時は首の鎖から解き放たれていて、その喜びなのか、ワンワンうるさく叫びながら、我が家への道を駆け上がって、歩いているミケに一目散に近づいて来た。
 どうなるのか…、と思った。
 だが、ミケは悠揚迫らざる態度で変わらず歩いていく。『バカ犬』はミケの顔近くにワンワンキャンキャンうるさく叫ぶのを止めなかった。ミケは急に後ろ脚だけで立つと、私も見た事のない様な恐ろしい顔になって、シャーッといううなり声を立てて犬の顔へ猫パンチの構えで威嚇した。犬は予想もしていなかった猫の態度に、びっくりした顔となり、隣りの家の方へすぐに逃げ帰った。自分の仔猫を食べた事も(たぶん)ある20年近く生きていてもカクシャクとした猫のミケにとって、隣りの青二才の犬などは怖くも何ともなかったのであろう。
 ミケは何事もなかった様に悠々とその後も歩いていった。

 いつからか、ミケは妊娠しなくなっていて我が家からミケの子供は次第にいなくなっていった。我が家から人間の子供も遠くに住んでいなくなっていった。あとは、老いていくミケと父親母親祖母が残る事になった。
 私が20代の中頃に実家に久しぶりに帰ると、ミケが老衰で亡くなってた事が知らされ、ミケを15分程で歩いて行ける海岸沿いの林に埋めた事を祖母から聞いた。その時、ああそうか、これまで祖母が亡くなってきた猫の始末もしていたのだ、と今さらのように感じたのだった。その林の中には、戦前のずっとむかしむかしの明治とか大正時代に村で死んだ者の火葬場の跡があったのだが、明治の末に生まれた祖母はその辺りの近くにミケも埋めたのかも知れなかった。
 あと、母親と父親からは、過去に増えた猫をこっそり遠くへ何匹か捨てに行った事もあると笑い話のように話すのを聞いたのは、あれはいつだったか、その時私は「えっ?」とビックリして声を上げてしまった。そんな事があったのかと知り、私は我が家の歴史も、我が家の猫の歴史も深いところは実は何も知らないのではと、改めて思った。
 90才近くで祖母が亡くなり、その後に実家は長年父親母親だけとなり、10年前に父親が、去年は母親が亡くなった。実家は今だれも住まなくなり、全国的に問題となっている空き家の一つとなってしまっている。
 もしかしたら、猫が多くいた時期が我が実家の最盛期だったのかも知れない。
 そして、実家の猫の歴史と言ったらミケを筆頭に挙げなくてはならないし、人間年齢では80~100才程まで生きたミケを、80を超えた祖母が埋葬したのはなかなか似合っている景色であり場面であるのではないかと、個人的には思っている。
 祖母は、夫が30ちょっとで亡くなって、その後借金までして子供達を育て上げ、長男が結婚してからは長い年数に渡り世間によくある様な嫁姑問題で争った末に、次第に家の中の権力を嫁に譲ってからもカクシャクとして腰も曲がらず、頭も呆ける事なく、小さな畑仕事や他家から頼まれた着物の針仕事などに勤しんだりしていた。
 そんな祖母がもんぺ姿で、天気の晴れた日に、新聞紙に包まれたミケの遺骸と小さなスコップを持って、海岸沿いの林への道のりを歩いていくのが脳裏に浮かぶ。
 祖母はミケと共に遠くの林の中に入っていく。
 その私の想像できる光景には、いつも音のない風が吹いている。

           
                終

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