見出し画像

共有地の悲劇

目次

[ 1 ]「共有地の悲劇」とは?
[ 2 ]「共有地の悲劇」の論点整理
(a)新古典派の考え方
(b)共有地の制度的条件を重視する考え方
 ①オープン・アクセスの条件
 ②利己的動機
 ③過剰利用・枯渇の可能性
[ 3 ] 個人的な総括・感想


序 

 経済学の用語に「共有地の悲劇」という言葉がある。「共有地の悲劇」という概念は、海洋資源・電波の周波数の割り当て・二酸化炭素の排出量などについて研究するときにも応用される考え方である。
 今回の記事は、宇沢弘文(著)「社会的共通資本」(岩波新書)のpp.78~87の内容を中心にまとめ、「共有地の悲劇」について考える。

[ 1 ]「共有地の悲劇」とは?

 1968年、ガーレット・ハーディンという生物学者が、『サイエンス』に、「共有地の悲劇」("The tragedy of the Commons")という論文を寄稿した。それは、1833年、ウィリアム・ロイドという人の文章を引用したものだった。
 ロイドが考えたのは、共有された牧草地に関することだった。
 共有の牧草地があれば、牧草がある限り、みんな自分の家畜を連れてきて牧草を食べさせようとする。これ以上家畜が牧草を食べれば、共有地の環境が悪化するということがわかっていても、ひとりひとりにとって便益がある限り、新たに参入してくる人が止まらない。やがて、修復できないほど、環境が悪化してしまう。
 ロイドは同じことが、労働市場でも起こると考えた。みんなが同じ労働市場に押し寄せてくると、人員が過剰になって、労働者の賃金が下がり、労働者階級が貧しくなっていくのではないか?
 ハーディンの理論は、ロイドの議論を精緻化したもので「持続可能な経済発展」(sustainable economic development)という現代的課題を考察する際に、中心的な役割を果たすことになった。

[ 2 ]「共有地の悲劇」の論点整理

 「共有地の悲劇」を巡る論争には2つの流れがある。

(a)新古典派の考え方

「共有地の悲劇」は、希少資源の私有制が欠如していることに由来するという考え方。
 この考え方に基づけば、「私有化」を徹底させるか、「国家権力による統制」か、という二者択一の形になる。
 「私有化」による解決を目指すならば、共有地を分割して、それぞれの部分を個人の責任に帰するようにする。誰が所有するかは市場メカニズムに任せる。
 「国家権力による統制」による解決を目指すならば、共有地全体の管理を国にゆだねることになる。

(b)共有地の制度的条件を重視する考え方

 (a)の考え方は、アダム・スミスの「見えざる手」の働きにまかせるという考え方で、レーガン・サッチャー・中曽根の政治思想に象徴されるものであった(電電公社、国鉄の分割民営化など)。
 それに対して、「制度的条件」に注目した人々は次のように考えた。

 「共有地」という概念が暗黙の前提としていることに注目した。暗黙の前提は次の三点である。

①オープン・アクセスの条件

共有地は、誰でも自由に利用できるという前提条件。
しかし、現実に存在する共有地は、たいてい、特定の集団や地域住民が使用するものであって、そこに属さない人々は使用することができない。
漁業権のようなもの。

②利己的動機

共有地が利己的動機に基づくという前提条件。
しかし、共有地はそこに住む人々によって使用されるので、実際には、そのコミュニティの行動規範による制約がある。
日本の入会権のような制度。

③過剰利用・枯渇の危険性

共有地は必ず過剰に利用され、やがて枯渇してしまうという前提。
しかし、現実には、有形無形のルールがあって、再生可能な場合に限られる場合もある。
伝統的な焼き畑のような制度。

[ 3 ] 個人的な総括・感想

 共有地とは、古くて新しい問題である。思い出してみると、学校の歴史の時間にも「共有地」と「私有地」というものを学んでいる。
 公地公民、班田収授法、三世一身法・墾田永年私財法、荘園、版籍奉還、農地改革、基地問題など。

 近年、SDGsという言葉がよく用いられるが、考え方自体には、まったく新鮮味を感じていない。
 よく「地球の環境を守れ!」みたいなことを主張する人がいるが、そういう言葉を聞くたびに、「なんて傲慢な人なんだろう?」と思う。
 私たちこそ、自然に守られているのだ。人類が宇宙に旅立つことができるようになって、まだ、100年も経っていない。人類が宇宙に行くために、どれ程の時間がかかったか?
 人間が普段の状態のまま存在することができるのは、地球上にいるときだけである。地球そのものが、大きな宇宙船なのだ。
 「環境を守ろう!」ではなく、「宇宙船地球号のルールをみんなで作ろう!」みたいな標語のほうがいい。
 今回の記事は、宇沢弘文先生の著書から多く引用した。
 私事になるが、私は大学生の頃、宇沢先生の「ミクロ経済学」の集中的講義を受講したことがある。
 その頃(今もだが)、数学も経済学も苦手で、講義の内容がほとんど理解できず、せっかく先生に名前を覚えていただいたのに、ずっと「わかりません」としか返事をすることができなかった。
 卒業したあとに、先生の著作を読んで感銘を受けた。
 あとで知ったことだが、経済学部の学生ならば誰でも知っている、ノーベル賞経済学者のスティグリッツも、宇沢先生の「弟子」であることを知った。
 あの頃、もう少し真面目に勉強しておけばよかったなぁ、と今頃になって思う。「無知」はほんとうに高コストである。
 数年前、宇沢先生は亡くなった。晩年まで、環境問題に取り組まれた。環境問題と経済発展の両立を目指した宇沢先生の理論は、とても素晴らしい。まだまだ先生から学ぶことは多いと思う。
 

この記事が参加している募集

新書が好き

SDGsへの向き合い方

記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします