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親のみまもり体制セットアップ回顧録①

2024年2月、私が産後2ヶ月時点で両親が入院してから2ヶ月近く経つ。
心身ともにげっそり中の私が、この記事を書いている理由は、自分が困っていた時に同じような経験をした人の回顧録や情報まとめを読みたかったら。

親が年老いてからどんなことが起きるか知りたい、そろそみまもりを始めたい、親が最近倒れたけれど全く何をしたらいいかわからない、そんな貴方の役に立ちますように。



背景情報
2023年7月、父が脳梗塞で倒れ要介護4に。要支援2まで回復した時点で退院し自宅で過ごしていた。
2023年12月、私、緊急帝王切開で出産。
2024年2月、母が手術と短期入院をする予定だったが、術後の経過がかなり悪くHCUで過ごした後、長期入院する羽目に。母の助けがないと実家で暮らせない(と思っていた)父はしばらく有料老人ホームや病院にお世話になっていたが経済的に持続可能ではないと私の方で判断。自宅で安心して暮らせるように諸々セットし3月上旬に帰宅してもらった。
現在、母はまだ入院中だが4月末に退院予定。

※私には姉妹が2人いるが諸事情あり頼れない状況のため、ほぼ1人で両親関連のロジや家の管理をしている。


まとめちゃうとめっちゃシンプルで自分で書いておいてびっくりするぐらい。けれど、ここまで来るのにめちゃくちゃ大変だった…

母の手術前

2024年1月 母が入院し手術を受けることを知った。彼女を心配する気持ちも勿論あったものの、私の中のリスク管理大臣みたいな人格が大騒ぎ。
”要支援2の父、手術で最悪の場合死んじゃうかもしれない母、何の情報もなしに入院と手術に臨まれちゃうと私、最悪のシナリオの場合なーんにもわからないじゃん!準備しないとおちおち寝てられない!”

リスク管理大臣人格が出してきたアラームに従って、両親の資産情報、病歴、保険情報、鍵してあるものの開け方、携帯の暗証番号、死んだらその後どういうフロー希望?お葬式したいと思ってる?など気になることを全部母にノートにまとめてもらった。

”そんな事まで聞いてくるなんて、ありえない!”
と母に何度も責められたが、母が平常心を保っていたあの時にノートを作成してもらった事は今でも本当に良かったと思っている。
参考リンク→コチラ

2月上旬 母の身元引受人として手術の説明の場に同席した。手術の概要とリスクを確認し書類にサイン。ここで発見したことは、母の理解能力が昔と比べて明らかに落ちていたこと。日常会話は以前と変わらない質で出来ているが、医師の複雑な説明に、母は全く追いついていない…老いを感じてショックだったなあ。

母の手術直後

母の手術自体は上手くいったようだが、母の体質や体力的に炎症が出てしまい彼女はHCUへ。私は片道1時間半かけてお見舞に行っていた。

まだ帝王切開の傷も癒えておらず、初めての子育て中で体も心も辛いのに、長距離移動しなければいけない状況に私はキレていた。予定通りに物事がいかず焦った両親も大混乱。年老いて病気になった彼らのやり場のない怒りや悲しみが産後のホルモン大爆発中の私にぶつけられたし、知りたくなかった両親のいろんな側面を見ることになった。私のメンタルは、バキッとへし折られそうだった。

しかし、そこで喧嘩だけしていたら何も進まないことは分かっていたので、喧嘩しつつもできる事をできる範囲で淡々と始めた。

大切なものを守るために

2月中、私は疲れすぎていてこの状況に対して何をしたらいいかわからなかった。とりあえず病院や両親から依頼されたことをやっていたのだが、このまま受け身でやれと言われたことをやる生活を続けていたら詰んでしまうことをふとした瞬間に確信した。

そこで、両親の要望にできる範囲で応え支援しつつ、私にとって譲れない点を伝え始めた。

1. 私が最優先すべきことは赤ちゃんと自分自身の体調であって、それ以外全てのことが劣後するので過度な期待をしないでほしい
2. 両親の貯金や年金の範囲内で、彼らが自宅で自立した生活を続けることができるよう行政と民間のサポートの組み合わせを考えるので、導入してほしい
3. 収支の見直しをしてほしい、私のお金は当てにしないでほしい(父が退職して随分経つのに、父が現役だった頃のようなお金の使い方をしているように見えた)
4. 自分の力で考え行動することは諦めないでほしいが、今は私が限られた時間と体力で両親をケアしているので基本的に私の決めたことに協力してほしい
5.ありがとうと思っていなくても、こまめに言ってほしい

これらが軽視されることを避けるために
”もし私のお願いを無視するのであれば、私は二人のケアをしない。”
とまで言った。

病気の両親にこんなことを言うなんて酷いかもしれない。
でも、そうでもしないと、私の人生が食われてしまう気がした。
自分の平常心を保つために伝えなければいけないことだった。

回顧録②では両親と私が直接関わる機会を最小限にキープしつつ、しっかり彼らの安全を担保できるように導入したみまもりサービスや、頼った機関、周りの人達について書こうと思う。





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