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何か物事がうまく行かなくなったらブチギレると上手くいくかもしれない(ゴリゴリ個人談)

根菜類を食べすぎると体調が悪くなる体質なのですが、
夕飯に大根の煮物とにんじんのおやき?みたいなのを作って食べたら具合が悪いのでマクドナルドでコーヒー飲んでます。
朝一番に目を覚ますために飲むコーヒーと、
夜に眠気にあらがって飲むコーヒーが一日のうちに口にする食べ物の中で一番うまいです!

喜怒哀楽その他諸々感情って色々あると思うのですが、
私の推しは「怒り」です。
(皆さんの推し感情はどれですか?)
理由は二つあって、
自分を(私個人の感覚として)本気にしてくれるから
私に主体性を取り戻させてくれる(正気に戻してくれる)からです。

ここで言う怒り、というのはイライラを他人にぶつけるみたいなことではありません。
不満とか寂しさとか何かモヤモヤしたものが自分のスペックとかキャパでどうにもならなくて、
それをただ外に表出しているような状態、を指しません。

(あくまで)ここで私が指す「怒り」とは、何かを変えたいとか、違和感に対して自ら責任を持ってアクションを起こしてやろうとする覚悟を指します。
怒り、というのはそもそも「こうありたい」という主体的な目標や目的が無ければ発生し得ない、と私は思います。
それなのに、行動していない自分や、それを意図的に妨害しようとするような不当さや理不尽に対して、
「いつかこうなればいいな」「誰かが手を差し伸べてくれないかな」「何をやっても無駄だろう」
という責任放棄状態から、
「自分を何とか出来るのは自分だけである」
と目を冷ました状態が怒りなんかな、というイメージを持っています。

なので、怒るというのは、生きることにマジになる、ということだと、私は思っている次第です。

これは余談ですが、
私は新卒で営業会社で営業やってたんですが、明らかに小心者の私には合っていない業務内容ですぐに辞めてしまいました。
が、その時に日々の膨大なクレームや1秒ごとにタスクが増えていくみたいな状況下で、
自分を取り戻すことにやっていたことが、
ブチギレる
でした。
ブチギレると、冷静になって仕事がはかどる、という現象がありましたが、
あの頃からそういえば私はブチギレることを心のどこかで大切にしていたんだなあと思い出した次第でした。
完全余談です。思い出話してすみません。

そもそも全ての行動がどこに向かっているのか、いちいち確認する作業というのは、私にとっては必要不可欠なことです。
例えば、どこかしらのコミュニティで厳しい状況に耐える、ということをしている自分がいるとして、
その耐える、という行為はどこに向かっているのかをいちいち確認する必要がある、ということです。
3年耐えたら確実に100万もらえるからやってる、とか、
今は耐えているけど、ここを超えれば自分はこの分野の専門家になって、自分にしか任されない仕事を取りに行くことが出来る、とか、
自分がストレスを抱えながらも何かやっているのであれば、それはその価値があるか?ということを常日頃見返したい、と思います。
(もちろんこれは私独自の考えなので、これを神経質でセンスが無いと感じる人もいるでしょう。それぞれを生きましょうぜ)

というのも、私はこれを怠って、盲目的にプチストレスを享受していたことに最近気が付きました。
気がついたので、何でこれをやってるんだっけ?
自分はどうなりたいんだっけ?
を精査したところ、
これを始めた頃には考えもしていなかった新たな目標が見つかったので、それに向かって、ブチギレながら邁進するのみ、という状態です。

それをする前と後(今)とでは、そのプチストレスに対して自分に主体性を取り戻しているので、
納得感を持って取り組めるというメリットがあります。
自分の心そっちのけで、だらだらとストレスを感じ続けると、自尊心が簡単に下がります。
自尊心が下がると、自分の世界が狭まります。
なぜなら「どうせ自分なんて…」がつきまとうからです。
なので、自尊心というのは、優先順位マックス1位なみにいつも重要視していたい項目であります。
(私はよくここを忘れるので全力で優先順位の精査をしていきたいです)

つまるところ、人生が自分の手から離れているうちは、
不満がたまりやすく、人任せになり、幸せになりにくい、
と思います。
ただ、何度もしつこくて申し訳of the worldですが、これは私の主観自論であり、
他人が介入されてもストレスにならない、誰かに身を委ねることの才能がある人(そういうことを嫌味なく出来る愛されキャラの人)もいると思いますので、
そういった才能に秀でている方々の幸せのあり方と、私の幸せのあり方の方針は違う、ということは断っておきたい次第です。

話をもとに戻すと、
人生が自分の手から離れていることのデメリット(あくまで自論)を踏まえた上で、
じゃあ人生に主体的でいられることのメリットは何かというと、
自分の望みを叶えながら好きなように生きられる、ということです。
めちゃくちゃ都合が良いように聞こえますが、書き換えると、
自分を幸せにするのも不幸にするのも自分次第ということです。
自分の人生に主体的になるということは、自分以外の他の誰も自分の人生を良くはしてくれない(そりゃそうなのですが)ので、
自分がどうなろうが100%自分の責任になる、ということです。
その分、自分が欲しいものを掴みに行くことも、人生の舵を切り直して方向転換することも、誰にも文句を言われないということになります。
(自動的にそうなるのではなく、自分でその状況を勝ち取る必要はもちろんありますが)

上記をどんなに心に停めておいても、
自分を大切にしなかったり、優先順位や人間関係のチューニングを怠ったりすると、すぐにぶれてしまいます。(私は)
なので、その時は問題点をピックアップし、積極的に怒りたい。
なんでここまで自分のことほっといたんだよ、とか、
なんでこんなに自分にひどい仕打ちをしてくる奴らを見て見ぬふりしたんだよ、とか、
怒ると、本気になるし、主体性が取り戻されて、正気になれます。
という感覚が個人的にあります。
なので、明日からも引き続きブチギレて生きていきたいと思います。

最近なんだか疎外感を感じることがキャパオーバーなほどに発生していて、
キャパの範囲内だったら書物のネタになるので面白がってられるんすけど、
わりとその頻度が高すぎていつの間にかキャパを超えていたみたいです。
普通に疲れましたねえ〜
皆さんも自尊心を何より大切にケアしながら、この冬を乗り切りましょうぞ…。
私は自尊心のケアを怠ったためにダメージを負ったので自尊心高めるためのリカバリーをしまくろうと思います。
今週もブチギレて生きる!!

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