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19歳の今、アフリカについて私が思うこと

こんにちは、アフリカと子どもが大好きな19歳のハセガワトアです。

今回は、ずっとぼんやり思っていたことを初めて言葉にしてみようと思います。

これからいろいろなことを経験していく中で、これから書く思いや考えは変わるかもしれません。

だから、19歳の今思っていることをいつか自分でも振り返られるように、今思っていることをここに残してみます。


私が初めてアフリカに興味をもったのは、中学生の時です。

おそらく今の国連のCMのようなものをテレビで見たことがきっかけだったかと思います。

将来アフリカで学校を建てて、アフリカの子どもたちを助けたい。

中学三年生の時の私は、突然こんな夢を持ちました。

その日から、よくアフリカのことを調べるようになりました。

出てくる情報は暗いものばかり。

水がない、ほとんどの子どもが学校に行けていない、感染症が蔓延している、犯罪が多い、食べ物も十分にない、、など。

アフリカの人たちは可哀そうだ、そう伝えるような情報がほとんどだったのです。

アフリカには行ってみたいけど怖くて行けない、そう思っていました。

しかし、アフリカのことをどんどん調べていくうちに、私はアフリカの沼にはまっていきました。

深く調べていくと、どうやらアフリカには独特の音楽文化やダンス文化があったり、アフリカ布と呼ばれるカラフルな布を人々は使っていたり、明るい側面もたくさんあるようでした。

そんな側面も知っていくと、危なくても行きたい気持ちがどんどん強くなっていき、高校三年生の夏休み、ついに私は東アフリカのルワンダに行ったのです。

そこで私のアフリカに対する印象は大きく変わりました。

貧富の差はものすごくひらいていて、たしかに貧困層の生活はネットで見たような苦しいものではありました。

でも、アフリカの人々は、ただただ苦しい現実に打ちのめされているような人々ではありませんでした。

下を向いたって状況は変わらないと開き直り、日々を楽しんでいたのです。

「私がおかれている状況よりはるかに苦しいものなのに、どうしてこの人たちはこんなに元気なんだ。」

精神疾患に苦しめられてすべての夢を諦めていた17歳のときの私は、そう思いました。

同時に、発展について考えるようになりました。

所謂発展途上国と呼ばれているアフリカ諸国は、所謂先進国からみると支援の対象です。

中学生の時の私も、アフリカの子どもたちを助けたいと思っていました。

しかし、この考えは正しいのかとアフリカの現実をこの目で見たときに思ったのです。

いや、正しい正しくないでもなく、なんと言うのが最も適切かは分からないですが、このマインドでアフリカと関わるべきなのかと疑問に思ったのです。

当時の私の目には、アフリカの人々の幸福度は、日本人よりは高いように見えました。

これはより深くアフリカの人々と関わるようになった今でも思います。

また、彼らは彼らの技術や知恵を子孫に継承し、自然と上手く付き合いながら生きているように見えました。

だったら所謂先進国が彼らの生活に介入する必要があるのだろうか、逆に彼らから学ぶことがたくさんあるのではないか、そう思いました。

仮に支援を行うとしても、そのゴールはどこにあるのか、ゴールを設定するのは誰なのか、そんな疑問まで湧いてきました。

確かに、安全な水が確保できなかったり、医療水準が低かったりで、救えるはずの命が救えていない事実はありますし、教育水準の低さが原因で、子どもたちの可能性を潰してしまっているというような事実もあります。

救える命は救えた方がいいですし、子どもたちの可能性もできる限り残すべきだとは思います。

だから、そのための支援をすべて否定しているわけではありませんが、こちらの価値観がアフリカの人々と同じと考えるのは違うような気もします。

彼らは、所謂先進国のような暮らしを望んでいるとは限らないのではないかと思うのです。

アフリカでの暮らしは、普段日本に住んでいる私にとって不便さを感じる場面が多くあります。

一日の大半の時間を料理に使っていることを知ったときには、時短料理は無いのかと思いましたし、電気がないため日が沈むのとともに眠りにつくという話を聞いた時には、一日の時間が短くなるじゃないかと思いました。

でもかと言って、アフリカの人々がそのように思っているわけではないのではないかと思うのです。(主語が大きくなってしまいすみません)

彼らは、料理しながらご近所さんや家族と話すことを楽しんでいたり、夜に電気がないからこそ日が出ている時間を大切に朝から活動したりと、彼らなりに生活を工夫して楽しんで生きているのです。

だから、ここで日本人である私の価値観で時短料理グッズを寄付するのはなんだか違う気がするし、太陽の動きに従うという人間らしい生き方をしている彼らを可哀そうだと決めつけるのも違う気がしてしまうのです。

かと言って、浄水器や蚊帳があればもっとたくさんの命が救えるし、もっと学校があれば子どもたちの可能性も広がるし、でもそのために他国がそこまで介入してよいのかとも思うし、国際協力って難しいなと思います。

だからこそ、単に支援の対象としてではなく、ビジネスの仲間としてアフリカの人々を対等に見て、彼らの話に耳を傾け尊重もする社会起業家ってものすごいと思います。

彼らの生活を改善しつつ、彼らの価値観を壊さない、彼らのもとの良さを活かした取り組み、なおかつ自分も生きていける取り組みって私の脳みそでは全くアイデアが浮かびません。

私がアフリカで体調が改善した大きな要因としては、人間らしい生活リズムや効率だけを重視しないゆったりとした時間の流れがあります。

だから個人的には、そんなアフリカはいつまでも残ってほしいなと思います。

そのために、全員にとって利があり、全員が無理しすぎないような何かがいつかできたらなと思います。

そして、彼らのマインドについて研究したいなと思っています。

「どうして彼らはこんなにも元気なんだろう」

という17歳のころからの疑問を、これから解決していけたらいいなと思います。

それを調べる過程で何かが分かったら、かつての私のように日本で苦しんでいる方々に応用して活かしていきたいなとか思っています。

長くなってしまいましたが、要はアフリカの人々を、可哀そうという一言で片付けるのはどうなのか、もっと彼らから学ぶことがあるはず、国際協力って難しい、社会起業家ってすごいというお話でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回の投稿も読んでいただけたら嬉しいです。


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