見出し画像

映画 “PERFECT DAYS”

劇場が明るくなっても、しばらく立ち上がれなかった。

胸はいっぱいだし、涙は止まらないし、頭の中であの場面この場面がリフレインしているしで、もうね。

なんどもため息がもれ、つられてほほ笑み、つられて泣き、胸をいっぱいに満たしたものがあふれてはハンカチをぬらし、いつか東京で見た景色をなつかしみ、あの頃と今の生活をなぞり、音楽に酔いしれ、音と光と風にめぐる時間と季節を感じ……そんな2時間。

やかましいくらいの静けさが、まぶしいくらいの影の濃さが、これでもかと畳みかけてくる映画体験だった。


本と音楽と、木漏れ日と

本と音楽と、たまに見とれる木漏れ日のうつくしさ。

これさえあれば大丈夫、って思える瞬間がわたしにもある。

主人公・平山って、わたしとは性別も年齢も仕事も好きな音楽も生活も何もかもが違って、重なることなんて「日本に住む人間」くらいなはずなのに、なんであんなにも重なってしまったのだろうか。

その答えは出ていないし、出さなくてもいいと思っているけれど、彼は過去のいつかのわたしだったし、もしかしたら未来のわたしかもしれないし、今この瞬間にもああいう自分がいるのかもしれない。


くり返しの中に、芽吹くもの

同じことのくり返しに見える平山の毎日。

でも毎日ちょっとずつ違って、たまに思いがけない出来事があって、波がたち、揺れる。

小さな芽はちゃんと大きくなるし、やがてその根本に新たな生命が生まれるし、でもその循環の中で、抗いようもなく何かが変わって、終わって、入れ替わって、始まって、別れて、出会って、知って、忘れて、思い出して、それでも前を向いて。

平山の毎日を眺めていて、大きな波風が立たないほうがフラットでいられて幸せなのかもとも思ったし、一方で、何かが起きるからおもしろくてそれこそ人生とも思った。

平山の日々には「これこそが幸せ!」とかじゃなくて、それぞれの瞬間瞬間に、彼なりの唯一無二の幸せがスパンコールみたいに散りばめられていた。

そしてそれは、きっとわたしの日々にもあるなということを思い出した。

❝木漏れ日❞
木々の葉が風に揺れた時に生まれる
光と影のゆらぎを、日本ではこう言う。
それは、その瞬間、ただ一度だけのもの。

映画 “PERFECT DAYS”

変わりゆくを嘆いたり、慈しんだり、呆れたり、歓喜したり。

ちらちらと陽の光が見え隠れする、まさに木漏れ日のような瞬間の連続だった。


偶然を映すか、カメラを覗きこむか

わたしね、平山の写真の撮り方が好きで。

カメラを覗きこまずにカメラを空に向けてシャッター押す、って撮り方が。

うまく撮ろうとしてないというか、カメラ越しじゃなく自分の目で見逃さまいとしてるというか、ありのままの自然を信頼しきってるというか、受け止め受け止められているというか。

で、現像してぼやけてるものは、ビリビリとやぶって捨てちゃう感じね。

なんて豊かなんだろうって。

でも平山がカメラを覗きこんで撮る瞬間もあるのね。

それはそれで、「この瞬間を逃したくない」という強い意志を感じて、平山の深い情を見た気がする。

偶然に身を任せるものと、自分で掴みにいくものと。

それは自然が見せる一瞬と、カメラが記録する一瞬にも重なるような気がした。

わたし、カメラが欲しいってずっと思ってるな、そういえば。


時計のない時間

平山って、仕事の日は腕時計をしないのね。
部屋にも時計はなかったようだし。

「音」や「光」が彼の時計になってるんだなって。

でも休日は腕時計をするんだよなあ。

あれってなんでなんだろうか。

仕事は「やるべきこと」にフォーカスする、「時間がきたらハイ終わりじゃない」、ってことなのかな。

だとすると、休日は「やりたいこと」をなるべく全部やりたいから時間を気にする、ってことなのかな。

うーむ。わからん。

でもこの腕時計のつける/つけないは、「時間」のとらえ方を考えさせるものだった。

あれから今も考えてる。


新しい夜明け、新しい1日、新しい人生

劇中に流れたいろんな音楽は、初めて聴いても名曲ってことが分かるくらい素敵な曲ばかりだった。

中でも Nina Simone の “Feeling Good” よ。

It's a new dawn
It's a new day
It's a new life for me
And I'm feeling good

Nina Simone “Feeling Good”

新しい夜明け、新しい1日、新しい人生、ですよ。

毎日わたしたちは生まれ変わってるんだって、また新しい人生を始めるんだって。

「昨日は前世」って誰かが言ってたっけな、誰だっけな。

なんかね、この曲が流れたシーンでもうほんとにほんとに胸がいっぱいになって、そのままエンドロール、終映後まで涙が止まらなくて。

久々にあんなに疲弊するほど泣いた。

見てからけっこう時間が経ってるけど、号泣の理由なんて分かりやしないよ、考えるだけ野暮よ。

ただただ、うつくしいなって思ってしまったんだよな。


「完ぺきな日々」って

タイトルの “PERFECT DAYS” =「完ぺきな日々」って、どんな日々のこと?って、今でも考えてる。

たぶん、答えは人の数だけあって、わたしにとっての「完ぺきな日々」は、わたしの心が決めるんだと思う。

かくいう3月・4月、けっこうな転換期にいる気がしてて。

たくさんの変化の中で、心もぐらぐら、お肌もゆらいでるし、身体も少し(物理的に)重めなのだけど、まあでも少し自分にやさしく生きられるようになってきた気もしてて。

平山が上を見上げてニコッとやさしくほほ笑む、あの顔がね、あれからお守りのように胸にある。

わたしも、空を眺めたり、春の木花を愛でたり、おいしいご飯をたべたり、仕事でいいパフォーマンスを発揮できたりしたときに、ああいう笑みを浮かべることがある。

そういう笑みを浮かべられた日は、それだけで「完ぺき」なんじゃないかな。

今のところ、わたしにとってはそれで及第点。

“PERFECT DAYS” とはどんな日々・暮らしなのか、まだ明確な答えは見つけられていないけれど、わたしなりのラインを探しながら、日々の暮らしをたのしんでいきたい。

毎日が “It's a new life” なのだし、毎日生まれ変わって、今日は今日の人生を生ききろう。


記事まとめ


この記事が参加している募集

映画感想文

映画が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?