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“Just leave it !!” の考え方で、生きるのはたぶんラクになる 【4/4】【ワーホリ、その後 #009】

※本記事は全4回の第3回です。【→ 第1回第2回第3回

“ピピピピピ……”

ノートパソコンから聞こえる、ビデオ通話の受信を知らせる音。通話ボタンをクリックすると、画面の中に彼女と息子くんの姿がパッと映し出された。

わぁ、大きくなったねぇ! 思わず声をかける。

3年前のインタビューでは1歳で、まだぽにょっと丸みを帯びた体つきだった息子くん。4歳になったいまでは体つきがスラッとして、すっかり小さな少年になっていた。「こんにちは!」と日本語で挨拶をしてくれた彼に、「こんにちはー」と返す。確かな時の流れを思う。

今回のビデオ電話による追加インタビューは、互いのリスケに次ぐリスケでようやく実現した。私や娘が体調を崩したり、彼女や息子くんが体調を崩したり。育児中の予定はなかなか思いどおりに進まない。だからこそ、ついにつながったこの時間がとても嬉しい。

夏まっさかりの日本に対し、南半球にあるオーストラリアは真冬。7,000キロ以上の距離と1時間の時差、さらには季節まで飛び越えて、空間がつながっている。

そんな不思議な感動を胸のうちに覚えながら、“リモートでお茶”くらいのゆるい空気のなか、彼女の近況を聞いてみた。


■ 育児を中心に、暮らしのバランスを探る

「最近はね、息子は週に2回、保育園に通ってるよ。山のふもとにある保育園でさ、日常的に山に散歩に連れて行ってくれるの。岩場みたいなところがすぐ裏にあって、こうやってみんなで登ってて。毎週そんなところ連れて行くとかは、私じゃできないからさ。それをやってもらえるのはいいかな〜と思ってるよ」

そう言いながら見せてくれたのが、上の写真。確かに岩場だ。特別な日の遠足じゃなくて、ごく日常的な散歩として、このダイナミックさ。毎日が本物のロッククライミング。なんともオーストラリアの郊外らしくて、いいなぁと思ってしまう。

子が手を離れる時間、彼女は週に3件、知り合いの大邸宅へハウスクリーニングの仕事に出ているそうだ。「もうめちゃくちゃ広いからさ、掃除機かけるのに1時間とかかかるよ」と笑う。仕事、おもしろい?と聞いてみると、とっても正直な答えが返ってきた。

うーん、飽きる(笑)。やっぱり、毎週同じところ行くから。それに、掃除しなくてももう十分きれいなんだよね。だからなんだろう、物足りない感じはある。刺激はない。」

悪びれるふうでもなく淡々と語る感想を聞いて、思わず“冷静だな!”と思う。現状を冷静に見つめてそのまま伝えてくれるというか、無理してキラキラ感を演出しようとしない、肩のちからの抜けっぷりが、聞いていてとても気持ちがいい。

それでも彼女がいまその仕事を続けているのは、なんというか、バランスが今の暮らしにちょうどいいからなんだろう。子育てを中心とした暮らしと、その仕事で得られる社会とのつながりや収入などが、現状、ちょうどいい。

「なんかもうずっと、何か腰を据えて何かやってみたいと考えているんだけど、それがわからなくてさ」と言う彼女。でもいろいろと話を聞いていると、いまはこどもとの時間を大切に暮らしを組み立てている時期として、それはそれでいいんじゃないかな、と思えた。

あと1年もすれば、日本でいう小学校のように、毎日通う学校がはじまるそうだ。何かがやりたい、という気持ちを持って、情報収集を続けてさえいれば、そうして時間ができたとき、きっと何かをはじめるんだろうな、と感じている。


■ 自分たちの手で、家づくりの真っ最中

↑建設途中の「離れ」の様子。父が手を動かして自分たちの家をつくる日々を、息子も間近で見て育つ

「暮らしを組み立てる」といえば、まさに紹介しておきたいことがある。

それは、彼女が自分たちの手で、家づくりの真っ最中だということだ。彼女の旦那さんは日本でいう大工のような職業なので、文字通り自分たちの手で、トンカンやりながら家をつくっている途中なのである。

3年前に私が遊びに行った貸家は、オーナーが帰ってきたため引っ越しとなり、いまは旦那さんの実家に住んでいる彼女。そこから車で40分くらいのところに土地を買い、その土地の中に「母屋」と「離れ」、2つの建物を建てるのだという。

「離れのほうは途中までできていて、母屋はまだ手つかずなんだけど。夫がいろいろこだわって、普通の家よりも分厚い断熱材を使ったり、コンクリートじゃなくて、麻をもとにしたヘンプクリートっていう素材を使ったりと考えているんだよね」

ちなみにヘンプクリートとは、麻の破片と石灰を混ぜたもので、建築材料や建築用断熱材に使われる素材だそうだ。高い断熱性や調湿性、防虫性、耐火性などさまざまなメリットがあり、近年ヨーロッパを中心に注目されているのだという。

「そういうイレギュラーに次ぐイレギュラーで、なんだか珍しい建物になっちゃいそうだから、市役所でなかなか書類申請が通らなくて。トイレやお風呂の整備をするのは、市役所の許可が降りないとできないんだよねー。もうね、いつできるのか全然わかんない。壮大な夢と、お金と、時間がかかってる(笑)

すでに開始から2年ほどが経過して、あきらめたような苦笑いでそう言う。壮大な夢ありきで動いているのは、はたから見ているととても楽しいなと思うけれど。間取りもすべて、夫婦で考えたものを、プロに図面化してもらったりして進めてきたのだそうだ。

というか、彼女はあまりに向こうの感覚に慣れて淡々と語っているけれど、日本の一般的な感覚でみると「自分たちで間取りを考えて、その家を自分たち家族の手で実際に建設し、そこに住む」ってこと自体が、けっこうびっくりなことだと思う。そう伝えると「うん、びっくりするよね」と、もはやびっくりしたふうもなく、応じるけれど。

「あ、写真こんな感じ。冬にすきま風が入ってくるの嫌だから、自分たちでシリコンをピーッってして加工したりして。この前は、バスルームのドアをつけた。あとは、キッチンとかまだ入ってないから、住むにはまだまだ時間がかかりそうだよー」

あいかわらずそんな淡々としたテンションで、現場の写真を見せてくれたりしながら、気負わずに話は続いていく。

「これなんか、夫の中では傑作らしい。コンポストトイレ。ソーラーパネルと、ファンもつけたから臭くないよ!って(笑)」

コンポストトイレとは、微生物の働きで排泄物を分解して堆肥にするトイレのことだ。水で流すのではなくて、おが屑のようなものを入れたところに用を足す。堆肥に再利用できるという点でも環境配慮型であるし、オーストラリアでは特に水が貴重なので、節水の工夫としても理にかなっている。

いろいろと写真を見せてくれている中に、息子くんが現場で遊んでいるものもあった。

そう、現場にはもちろん息子くんも出入りしている。自分たちが暮らすための家を、自分のお父さんがリアルタイムで作っている、それを当然のように横で見ながら育つのは、彼にとってとても大きな経験になるのだろう。

自分たちが住む家は「つくる」ことができるもの。身の回りのたいていのものは、自分たちの手で「つくる」ことができるもの。そんな価値観が自然と備わってゆくことを想像して、うらやましく思ってしまう。


■ 完成しなくても「あり」の感覚

新しい家ができたらまたいつか遊びに行きたいな、今度は家族連れで。そう言ってみると、彼女はこんなふうに言った。

「ね、来てほしいよ。でも家はいつできるかわからないし、もしかしたらできる前に違うところに引っ越したりとかしてるかも(笑)。できあがるといいけどねぇ……そのときもう50歳くらいになってるかも」

長すぎでしょ!と思わず突っ込むが、彼女は相変わらずひょうひょうと返す。

「わかんないよ、どうなるか。家づくりを途中で終わらせちゃうひと、こっちではけっこう見てるから。わりと普通のことっていうか」

ああ、確かに言われて見れば、それもまた、日本とは異なる感覚なのかもしれない。えっ、家ってそんな簡単に建てられるものなの?!というくらい、始まるのは簡単で、ただ、なかなか終わらない。どっちもどっちな気がするけれど。個人的には「完成しなくても、とりあえずやってみたらいいよ」って考え方は好きだ。

「そうそう。いまハウスクリーニングに行っている家でもね、昔の家がまずあって、それを増築して片側に広げた、みたいなところがあるんだけど。そのひとたちのオリジナルプランだと、真ん中の接続部分あたりに大きいドアをつけて、玄関をつくるつもりだったんだって。でも結局そこに玄関はつくらないまま、もう10年経ってる。新しく広げたほうの、簡易的な引き戸みたいなところを玄関がわりに使ってて」

なるほど。そういえば、私もそんな話に聞き覚えがある。かつてオーストラリア郊外の家庭に転々とステイさせてもらっていたころ、もうその家に住んでいるけれど「この部分はまだ作っている途中」みたいな家があった。オーナーも別に隠すことなく、「ここにはこういう棚が入る予定でね、まだ作っていないんだけど」と教えてくれる。ああ、別に最初っから「完成!」させなくても、住みながら作っていけばいいのだなー、と妙に納得したのを覚えている。

「日本は、半年くらいでぜんぶバババッ!って完成しちゃうから、私からしたらそっちが当たり前だと思ってたんだけどさ。ああ、玄関なしで10年いけるんだー、みたいなね(笑)」

どっちがいいというよりも、“あ、それも『あり』なんだ”と思える気づき。大丈夫、別にそれでも生きられるわ、と思える感覚を体のなかに持っておくと、何かが予定通り進まなかったとき、人生はだいぶ楽になるなぁ、と思うのだった。

「家の物件を見てても、途中で投げ出しちゃったやつ売ってるなぁ、っての結構あるよ。古い物件をリノベーションしようとしたけど、途中でプロジェクト中断したから売ります、みたいな。たとえばバスルームだけリニューアルしてて、他はまだ汚いまま手付かず、とか。日本でその状態で売りに出したらだれも買わないよねって思うようなもの。オーストラリアは人件費高いから、人に頼むより、自分でやって、まあまあの出来になるならそれでもいいかな!って思うひとが多い気がするよ」

そのあたりの感覚は、聞いていると、だいぶ自由だなぁと思わされる。よくも悪くもフットワーク軽く、さらには気長にのんびりやってみようとする土壌が、向こうにはあるのかもしれない。

あとで家の建設途中の写真を送ってもらったとき、彼女からのメッセージにはひとこと「エンドレスプロジェクト……」の文字が添えられていた。100%完成!という状態にはいかなくても、とりあえずそこで生活ができる70%くらいの状態まで、プロジェクトが進むことを、友人として願っている。あとは住みながら、それこそエンドレスで改良を続けていけばいいよね。


■ 追い詰められそうなら、スッと離れてもいい

ところで、同い年の彼女に言われて初めて気づいたのだが、私たちは今年、いわゆる“新社会人”になってから10年の、節目の年だという。

「10年同じところで仕事を続けるって、すごいことだなぁ、いいなぁって思うんだよ。自分にはできないことだから、尊敬する。ほんと、ずうっと働き続けている人ってすごいなぁって思うんだよ。わたしなんかちょっと働いて、あとはオーストラリアでぼうっとしてるだけだし」

そう言う彼女の尊敬の念はとても素直なものだ。そのうえであえて、ちょっと聞いてみたい。オーストラリア郊外で、牛や馬に囲まれながら、日本でイメージされる“日常”とはちょっと違う毎日を送る身として、日本の20代30代に伝えてみたいことってないだろうか?

そう尋ねると、うーんと考えながら、それでもぽつりぽつりと、言葉を紡いでくれた。

「なんだろうね……。SNSとかで日本の友だちを見てるとさ、それが当たり前だと思ってやっていて、それが楽しいとか楽しくないとか関係ない、というひともいるんだよね。仕事はすごく嫌なんだけど、辞める勇気がないからそのままやっている、とか。それで、追い詰められちゃったり、逆に攻撃的になったりするひととかもいてさ。

わたしは業界的にも、転職がわりと当たり前のところにいたけど、そうじゃない業界もあるよね。たとえば保険の一般職についた友だちで、結婚もしていないし彼氏もいないんだけど、仕事だけ一生懸命やっていたら、『気づいたら10年経っちゃった』みたいな言い方をするひともいて。別に、本人が満足なら全然いいんだけれど。そうじゃなくて、ちょっとでも嫌だなと思うなら辞めればいいじゃない、って思うんだよねやっぱり。

3年前のインタビューでも「そのまま置いておけばいい」っていう話があったけどさ。“自分じゃないとできない”って思ってる仕事も、実際は別にそんなことないし。それを、自分は特別だと思いたくて、自分しかできないと思ってやっていたりとか。でも意外と、自分が急にいなくなっても、後からやってきたひとが簡単にできたりとかするわけじゃん?

もし『自分がいなくなったら周りのひとが大変だから辞められない』とか思っているひとがいるなら、全然そんなことないのになぁって思う。そう思って苦しんでいるひと、結構いるんじゃないかな、責任感が強いひとほど。まあでも、そうやって考えるから、きっと辞めたりとかしないタイプのひとなんだろうけど」

誤解のないように補足すると、もちろん彼女は誰に対しても「辞めるが吉!」と言いたいわけでは決してない。彼女が言うとおり、本人が満足しているならそれでいいのだ。周りのひとが困るから……というシチュエーションも、なんというか「もう、私がいなきゃダメなんだから、しょうがないな〜」と、それ自体がモチベーションになるタイプの方だっていると思う。それはそれでいいのだ。

「でもたぶん、そういうふうに思えるひとって少なくてさ。それを“苦しく”感じるひともいるわけじゃない? でも、そんな苦しんでまでやる必要って、ないじゃん。そういうのが、もっと、自然に考えられたらなって思う。

20代だと、初めて入った会社でビシバシ鍛えられて、それはあくまで一個の方法なんだけど、『それしか通用しない』と思い込んじゃうこともあるよね。たぶん、わたしもそういうところがあったと思うんだけど。会社ってこんな忙しいの、みたいな。でも、それだけがすべてじゃないっていうのはさ、外に出てみないとわからない。20代なら何度でもやり直しがきくしさ。なんでもできるし、って思うよね」

日本のようすを外から一歩ひいて見られるからこそ、FacebookなどのSNSで入ってくる友人のつぶやきに、いろいろと感じるところもあるという。

かつて日本のITベンチャー企業で必死に働いた経験もあり、いまはまったく違う異国の土地で暮らしている彼女だからこそ、持っている感覚、見えている景色がきっとあるのだろうな。

* * *

実はインタビュー後、第一弾であるもとさんのインタビュー記事を読んで、「わたしなんかで大丈夫?! だいぶ読み応えに欠ける気が」と心配していた彼女。

いや、いいのだ、全然いいのだ。むしろ、まったく違うからこそいいのだ。

わたしから見ると、もとさんがライフ&ワーク一体型の達人なら、彼女はいま、ライフのひと。ライフを中心に人生を組み立てているひとだ。

自分がやりがいを感じられる仕事に熱中する生き方をしたいひともいれば、基盤となる暮らしをたいせつに組み立てる生き方をしたいひともいる。それは人によっても変わるものであるのと同時に、育児や介護など、ライフステージによっても変わるものだと思う。

話を聞いていて、いまの彼女はいろいろと悩み迷いながら日々を過ごしているのが伝わってきた。けれど、いまはそういう時期でいいのだろうな、と思う。こどもが毎日学校へ通うようになれば、嫌でも自分の時間ができる。そうなれば、彼女はきっと新しいことをはじめるだろう。そんな気がする。

こどもを持つと女性は、自分をなんらかの形で再構築せざるを得ない。それは事実だと感じる。

ただ再構築の形は、人によって千差万別だ。出産後すぐに働き始めるフリーランスの方だっているし、育休から会社に復帰する方もいるし、家庭で育児に専念することを選択する方もいる。どんな再構築を選ぶかは、その人次第だ。

そしてそのスタイルは、永遠にそのままというわけでもない。当たり前だがこどもは成長し、自立していく過程で親の手を離れていく。小さい頃は不可能に思えた「自分のための時間」も、気づけば少しずつ得られるようになる。そういうライフステージの変化のなかで、何度でも「再構築」をしていいのだとわたしは思っている。

息子くんが学校へ通い始めて数年後、彼女の話をもう一度聞きにいかなくてはいけないな。そのときはこちらも家族を連れていこう。新しい家、できているかしら。いろいろ楽しみだ。

そんな未来への余韻を残しながら、画面越しに「じゃあ、またね!」と手を振った。

(おわり)

* * *

ユカさんのインタビューは以上です。

全4回にわたるロングインタビューにお付き合いいただき、ありがとうございました。

もし、「海外とか行ってみたいけどさぁ」とか「なんか、変えたいんだけどね」なんて言っている友人や後輩やいろいろな知り合いがいたら、ふと、こんな生き方をしているひともいるみたいよ、と、マガジンリンクを紹介してもらえたら嬉しいです。

人生はもっと自由でいい。最近わくわくしていない、今の自分の生活や仕事になんだか違和感がある、もっと他の生き方もあるんじゃないか。そんなだれかに少しでも何かが届いたなら、それほど嬉しいことはありません。

『ワーホリ、その後』。次回はまた、がらりと違う人生をご紹介する予定です。優劣なんてなにもなくて、あるのは違いだけ。多様性こそが魅力なり。

それでは、次回もおたのしみに。

追加インタビューや編集作業が終わるまで、また通常投稿に戻ります。どうぞ、ゆるやかにお待ちいただけたら嬉しいです。

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