こどものタイムライン

きのう、夫の会社では「IT界隈に興味のある小中学生グループ」の会社見学を受け入れるという機会があった。

夫の帰宅後、どうだった?と雑談がてら話を聞いていたのだが、そのなかでわたしにとって一番印象的だったのは、ITとはまったく関係ない以下のようなやりとりである。

私「小中学生って、年齢層はまんべんなく来たの?」

夫「そうだね、わりと。一番下は、7歳の子がいて」

私「へー」

夫「でさ、うちの会社ができたのって6年前なんだけど」

私「うんうん」

夫「『6年前、みんなは何してた?』って聞いたら、『1歳でした』って」

私「わー!……そうだよなあ。1歳かあ……そうだよなあ……」

夫「こどものタイムライン、すげーってなったよね」

* * *

“6年前、何してた?”

“1歳でした!”

これはなかなかインパクトのあるやりとりである。特にわたしの場合、いま娘が1歳だから、よけいにそのインパクトを感じやすいのかもしれない。

もちろん冷静に考えれば、何も目新しい情報はない。

健康に恵まれた6年という年月があったなら、1歳は7歳になってランドセルをしょっている。そしてランドセルが大きく見えたピカピカの小学校1年生は、小学校を卒業して中学校の制服を着ているだろう。

けれどいま、おとなになって改めてその6年間を考えると、その変化の大きさにめまいがしてしまいそうな感覚を覚えるのは、わたしだけなんだろうか。

* * *

こどものときの「1年」とおとなになってからの「1年」の感覚は違う。そのこと自体は、よく耳にする話だ。

いつだったか、だれかに「自分のいままで生きてきた年月における『1年』の割合がどんどん小さくなるんだから、『1年』をどんどん短く感じるようになるんだよ」と言われて、なるほどなあ、なんて納得したこともあったっけ。

7歳なら、「1年」は自分の経験してきた時間の1/7。30歳なら、1/30っていうふうに。どんどん、小さくなっていくんだよって。

だから別にいまさらその感覚の違いにおどろくというのもおかしな話なのだけれど、抽象的に理解していても、具体的に「1歳が7歳になる」「0歳が6歳になる」って聞くのは、また違ったインパクトがあるのだよなあ。

生まれたばかりで寝返りすら自力ではできなかった0歳の娘は、1年10ヵ月経った今では歩きまわり、自分の意志で指をさしたり、声を発したり泣いたりして主張するようになった。そんな彼女の『1年』は、現時点で彼女のこれまでの人生における「1/2以上」の割合をしめている。とても大きな時間だ。

近い未来にある1年、1年の中で、また彼女はおどろくほどにいろんなことができるようになり、「自分のタイムライン」をつくってゆくのだろう。

そして彼女も、6年後には7歳になり、自分の足で学校へ通う。

* * *

6年前、わたしは何をしていただろう。

“この数年間ですべてが変わった、激動だった”。

そんなふうに思っていたけれど、1歳から7歳の変化と比べたら、なんだか急に自分の変化なんてちっぽけなことのように思えた。

変わりゆくおもしろさも、変わらない安心感も、どちらもあって愛しいと思うのだけれど、1年あったらほんとうは、おとなのわたしが思うよりずっと、いろんなことができるのかもしれない。

自分が小学校1年生だったころ、「はるか遠くのお兄さんお姉さん」に思えた小学校6年生に到達するまでは、5年。

つぎの5年間で、おとなのわたしはどんなタイムラインをつくってゆけるだろう。

可能性のかたまりみたいな1歳の君を身近にみながら、母はぼんやりと、そんなことを考えている。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。