岡本太郎の明朗で熱い言葉 - 人生哲学
芸術家、岡本太郎のエッセイから、明朗で熱い言葉を集めました。
岡本太郎は若い時代にパリへ渡り、10年以上滞在。シュールレアリスムなどの前衛芸術に触れ、哲学や民族学を学びました。帰国後は1970年の大阪万博で「太陽の塔」を制作しています。
彼は純粋であることを目指し、孤独を大切に生きました。以下の言葉は、1960-70年頃に雑誌や講演で発表されたものです。
人間は、孤独になればなるほど人間全体の運命を考えるし、人間の運命を考えた途端に孤独になる。
だから人間一人ひとりが孤独でなければいけない。
芸術を愛する者は、「人間全体の運命」という大きなものに向かうのです。
孤独とは、しょんぼりしたり、がっかりしたり、自分の身を引くことじゃない。"ぜんぶ" の上に覆いかぶさり、みんなの運命、全人類の運命を背負い込む。それがほんとうの孤独だ。
とんでもない気概です。
世界即己れ。
しかし、孤独になっても、むしろ社会との関係は保っていると言います。
これまで日本では、純粋の保ち方として逃げることが是とされてきた。単独者が純粋だと思われてきた。
でもそれはちがう。純粋とは逃げることじゃない。
そうじゃなくて、みんなと対決すること、挑むこと、闘う孤独者であること。それがほんとうの純粋だとぼくは思う。
そういう心の持ち方を、岡本太郎は12,3歳の頃からしていたと言います。さらに、
胎内生活をしているあいだは、自分の意志で生きることはできない。それでも生まれるときには、"オギャー!" っと出てくる。
万国共通語だから何語かわからないけれど、この "オギャー!" は、「オレは生きる!」
という意味だと岡本太郎は理解します。そして、
ふりかかってくる災いは、あたかも恋人を抱き入れるように受け入れる。
それが人間の高貴さだと考えます。
そうすると、今の世の中は、
ほんとうに生きているやつがいないんじゃないか。
官学的ポーズにはまるか、大衆主義者、あるいは外国だけに価値の基準を置くイカレ文化人。みんな安心して、またいささか不安気に、どこかに寄りかかっている。
では、その中では芸術家(や芸術を愛する者)は生きにくいのかというと、
己れをごまかさずにつらぬけば、案外なんとかなるものだよ。嫌みにならないし、むしろそれが魅力になるからね。
自分が正しいと思うことを平気で行動に移す、つまり己れを明朗に打ち出す。そうすれば、どんなに抵抗があっても、みんなが明朗になり、みんながやる気になる。
楽観的でさばさばした哲学です。
最後に、社会に警告も発しています。
むしろ、"生きがいある人生をオリてしまった" チャッカリした大人の方がずっと無分別なことをやるし、理屈にあわない主張をゴリ押ししたりする。
岡本太郎の言う「永遠」の青春を生きるひとや、若者よりも、世に馴染んで群れた大人が危険なのです。
『自分の中に孤独を抱け』岡本太郎、青春出版社、2017(文庫)
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