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サッカー部からバレー部員になった話

高校に入り、暇を持て余した僕の元に知らない先輩がやってきた。その理由は僕らが暇を持て余していると噂で聞いたから。

僕は同じ中学サッカー部出身の三人とつるみ、アフタースクールをゲーセンに通って過ごしていた。

そんな僕を勧誘に来たのは短髪の男子バレー部キャプテン。

身長170cm。友達なんて165cm。高校バレーでは不利になるほど小さい。そんな僕らをキャプテンが誘いに来た理由はただ一つ。新入部員が一人もいなかったから。

中学のサッカー部はそれなりに強かった。県で二番になったこともある。だけど勝ちたいと思って試合をしたことは一度もなかった。怒られないようにプレーしていたら勝ってた。勝ちたいと思って練習をしたこともないし、招待試合なんてわずらわしいだけ。今思えば生意気だが、本気でそう思っていた。

初心者バレー集団は当たり前だが先輩を差し置いて試合に出られるわけはない。それが意外と嫌で、僕らはちゃんとバレーの練習をした。それはバスケでも良かったし、卓球でも良かったんだろうけど、バレー部に入ったからバレーをした。

二年の夏が終わり、先輩が抜けると部員は僕ら三人だけになった。バレーは六人でするスポーツだから試合にも出られない。(ちなみに、マネージャーはなぜか同級生に三人いた。なんなら新入生のマネは入ったから、マネの方が多かった)

僕らは試合に出るため、一年生を勧誘した。そして同じ中学のサッカー部で同じようなルートを辿り暇を持て余していた後輩を引き込んだ。ここに全員元サッカー部によるバレーボールチームが誕生した。

そんな背景を活かそうとしたのだろう。定年間近の顧問の先生は閃いたとばかり、新しい練習を指示した。それは足でボールをあげること。バレーは足を使ってもルール上問題ない。だけど本気で足を使ってトスやレシーブの練習をしたバレー部はあまりないように思う。ちなみにこの練習は先生の「流石に無理じゃったか。ははは」で結構あっさりと終了した。

三年生になった僕らは結局、地区予選で負けた。ルーキーズのように甲子園をかけた試合ではなく、県大会出場をかけた普通の試合で負けた。中学サッカーで県の決勝戦を延長で負けた時よりも悔しかったし、充実していた。

僕らが引退をした時、バレー経験者を含む九人の新入生が入部してくれた。OB会の案内ハガキが毎年来るのだから、男子バレー部は今も続いているのだろう。

元サッカー経験者が春高に出るとか、そんな奇跡を僕らは起こすことはできなかった。だけど今のバレー部へと続く軌跡をつなぐ役割はできたように思う。

人の胸を打つ感動的な出来事や賞賛されるようなことを成し遂げるのは難しい。だけどあなたが今日した些細なこともきっと繋がっていくように思います。というよりそうであって欲しい。

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