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負の共鳴は美しいが悲しい


あなたにはありますか?
ネガティブなアイデンティティが。

例えば「いつも人に譲っている私」とか、「いつも最後に失敗する私」とか。



心理学では、ネガティビティとか、ネガティブナルシズムとかいわれているものです。

自分の中のネガティブなイメージ(パターン)が、自分の一部として染みついていく。
そしてそれは"自分"であるために必要な要素の一つになる。


そもそもネガティブが何かを定義しようとすると難しいですが、ここでは"自分を生きづらくするもの"と考えていただければいいと思います。

つまり、"自分を生きづらくするもの"が"自分"の一部であるということ。
それは苦しく、望まない状態かもしれません。



しかし、それはすぐに消し去る、あるいは取り除かなければいけないのでしょうか。



"自分"というバランスを保つための要素として位置付けられてしまった以上、それがすぐに自分から無くなったら...どうなるでしょうか。

恐らくバランスを大きく崩し、不安定になるでしょう。(生死に関わることさえあります。)


ということは、ネガティビティというのは、自分を生きづらくしていたものであるはずなんだけれど、自分がどうにか生きるために縋らなければならないものでもあったということが分かります。




だからカウンセリング(セラピー)では、手術で腫瘍を取るようにネガティビティをスッパリ取り除くということはしません。
(というか、出来ません。出来ないということを知っていることが重要です。)


ネガティビティをその人の一部として認める。その人が生きづらい要因になっているとともに、その人がどうにか生きるためになくてはならない因子であることを理解する。
これがネガティビティを薄めていく第一歩となります。

それは「負を共有することで、そのエネルギーを弱める」と言えるかもしれません。




共鳴し合ったとき、それは悲劇になる


あなたにはありますか?
その人のネガティブな側面に惹かれ、魅力を感じ、もっとその人を知りたい!と思うことが。


恋愛で考えてみます。

いつもDVに発展してしまう。
いつもお互い幸せにならずに関係が終わってしまう。

こうしたパターンに陥るのには、ネガティビティが大きく関係していると言えるでしょう。


これは、自分のネガティビティを相手と共有しているわけではありません。
お互いのネガティビティが「共鳴」しているといえるように思います。
(ただし、"結果的に"共鳴したということであって、ネガティビティの"せいで"共鳴"させてしまった"というわけではないことに留意する必要があります)


自分のネガティビティが、相手と共鳴していないだろうか?
その人との関係が、悲劇のヒーロー/ヒロインを少しでも想像させるものだったら、ネガティビティが共鳴しているかもしれません。
(恋愛におけるネガティビティの共鳴は、昔話にもよくみられます。ロミオとジュリエットを想像すると分かりやすいでしょうか。より現代の物語では、ソラニンなんかもそうかもしれないと思っています。)




ネガティビティを慈しみ、癒す


さて、このテキストを書こうとしたのは、まさに私が他者のネガティビティに自分のネガティビティを投影し、共鳴したがっていると感じる「知人との再会」があったからです。

でも心理の専門家となったいま、その人に近づくことはありません。
別の誰かが、共鳴ではなく共有してくれる誰かが、その人のそばに現れることを祈るだけです。


ネガティビティを共有し、お互いに慈しみ癒す。
そのような関係を築くことができますように。


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