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人を修理することはできない


カウンセリングをしていると、色んな方が聞いてきます。

「何が原因なんでしょうか?」
「何のせいでこうなったんですかね?」
「〜が悪かったんですか?」
「〜をなおせば、変わりますよね?」



そう言いたくなる気持ちは痛いほど分かります。
何が原因で、今の問題があるのか。
こうなった元凶は何なのか。

問題があれば、それはなにかの原因による結果として現れていると考えるのが自然でしょう。



しかしそれは残念なことに、モノの考えになっています。
人間を「修理」しようとしているのと同じになってしまいます。

人間は修理するものではありません。

ですから、「原因」を突き止めるための動きに注力しすぎていると、足を取られてしまうことが少なくありません。


でも、原因が分からなければ、問題を改善する術も得られないのではないか?




精神医学における診断は「操作的診断」といって、簡単にいえば"どのような症状が、どれくらいの期間引き続いて存在しているか"という特徴から病名をつけています。

つまり、"どんな原因があって今の症状があるか"は度外視しているのです。
(この点は、実際の臨床現場においては含みが必要になりますが...)

精神科的問題というのは非常に複雑で、原因を特定できない場合が多いために、このような診断方法を取り入れています。


つまり、原因がないと言い切りたいわけではなく、原因に気を取られるよりも「今の状態」を明確にして改善策を練る方が"better"だろうということです。





修理にはないのが「レジリエンス」


それに、原因を突き止めたところで、人間の"こころ"を機械の部品のように取り出して削ったり、新しいものに取り替えたりして修理することはできません。


人間はモノではないのです。
この点に注意しなくてはなりません。


どちらかといえば、それは植物に似ています。

植物の育ちを支えるためには、何が必要でしょうか。
それは、(原因があるにせよ、)今の状態を見極めることで生育環境を整えたり、適切な場面で適量の水をやったりすることでしょう。
そして何より、その後は「待つ」ことしか出来ません。


あるいはそれは、小さな魚に似ています。

水槽の中の魚を育てるためには、何が必要でしょうか。
それは、(原因があるにせよ、)今の状態を見極めることで水槽の水を替えたり、適切な場面で適量の餌をやったりすることでしょう。
そして何より、その後は「見守る」ことしか出来ません。



「待つ」とか「見守る」とかいうことに焦点が当たるのは、それがモノを修理するときとは違う「レジリエンス」を利用するからです。

レジリエンスとは、簡単にいえば"自分で自分を回復する力"のことです。


モノは自己治癒することは出来ませんが、人はその能力をもっているのです。
この力を利用して、この力が最大限引き出されるように促していくことが大切になるのです。


これが「修理」と「治癒」の違いでしょう。

だからこそ、「原因」よりも「いま」なのです。




原因は「その結果」必要になる


そうはいっても、自分なりの「原因」を見つけ、それが腑に落ちて納得することってカウンセリングの中でもたくさんあります。
 

「ああ、あのとき私がどんと落ち込んでいたのは、これが原因だったんですね」
「あれは私のせいではなく、環境が悪かっただけなんだって気づきました」


これが効果を持つのは、自己治癒の力が発揮された「後」です。
つまりこうした言葉が出るときというのは、すでに"なおる"過程を進み始めているか、もしくは"なおった"ときなわけです。


原因は結果として必要なときがあります。
だから原因は「その結果」なのです。




最も大切なのは、自分のレジリエンスを信じること。

そしてもし、それが自分には到底できないとしても、家族が、友人が、パートナーが、相手のレジリエンスを信じること。

カウンセラーが、クライエントのレジリエンスを信じること。

これが人間における修理です。




(忙しさに感けてアウトプットできない時は、インプットに集中するか、皆さんのアウトプットに"スキ"することに集中することにしました。)

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