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長生きについて

子供の頃は、自分は間違いなく長く生きられるという自信がありました。

別に身体がすごく丈夫だったというわけではなく、毎日のように鍛錬していたわけでもないのですが、若くしては絶対に死なないであろうという確信があり、なおかつ、120歳くらいまではフツーにいけんじゃね?くらいに本気で考えていました。

当時はまだ祖父母も健在で、葬式に参列したという経験もほとんどなかったから、というのもありますが、それ以上に、とあるテレビタレントの姉妹の存在が影響しています。

そのテレビタレントとは、もう30歳未満の方はご存知ないかもしれませんが、きんさん、ぎんさん、という、双子の姉妹のおばあちゃんです。

1992年に満100歳を迎えられたのですが、おふたりとも矍鑠としておられ、元気すぎる100代のおばあちゃんとして、CMにバラエティ番組に引っ張りだこ。

一躍、時の人となり、それを幼少時に見ていた自分は、人間って100歳でもこんなに元気でいられるんだ……、と感動を覚えたのです。

実際にはそれは人それぞれだし、若くして亡くなる方もおられ、2022年現在の日本人の平均寿命は84歳。

100歳を迎えるまで生きられる人はほんのひと握りで、きんさんぎんさんはそういう家系に生まれ育ったというのが現実です。きんさんぎんさんのお子さんもまた長寿なのだそうで、長女の年子さんは現在108歳、三女の千多代さんは104歳なのだそうな。パネェな。

ただ、我が家の家系で考えると、おおむね平均寿命のところで亡くなっており、順当に行ったらば人生は80〜90年。世紀を跨ぐことはできていますが、1世紀まるごと生きるというのはどうやら無理そう。 

ドラえもんが製造される2112年9月3日まで粘れれば良いのですが、現在の医療技術ではおそらく不可能。せいぜい、どこでもドアの初期型のクソデカいやつ(映画『のび太のひみつ道具博物館』に登場)のメディア発表をテレビニュースで視られるくらいのものだと思われる。

自分が未来に期待していることといえばそれぐらいで、子供の頃には他人事だった、税金やら年金やらその他の諸々についての不安事は一生涯ついて回るのだろうし、例のアレで世界中が振り回されたように、また新種のウイルスが現れるかもしれない。

なので、これから生きていく上での希望など、いってしまえば何も無い。ではなぜ生きているのだろうか。

もはや哲学ですね。いちおう自分もニーチェさんの著書を過去に3回ほど読んだ身ですが、3回とも理解はできていません。やはり神様を殺さないと、あの境地には達せない。

あるいは、孫悟空さんみたいにいっそ神様と友達になっちゃうというのも手かもしれない。……まあそれ以前に、うちは仏教徒なのですが。

神様とも仏様ともジーザス・クライストさんとも面識がないので、死後についてはなんともいえませんが、この30数年を生の世界で生きてきた(どういう日本語だそれ)中で、ひとつだけ明確にわかっていることがあります。

生きているというのはめんどくさい。しんどい。だるい。

この字面だけだとおまえは何か病んでいるのかと心配されそうですが、大丈夫です、お気遣いなく。ただ、意味もなく大声を発する子供のように、生に対してなんの躊躇もなく感謝できるかというと、そうでもない。

じゃあ死にたいのかといえば、死にたくはない。電車が来る直前にホームに飛び込むのも、ビルから飛び降りるのも、首を括るのも、想像するだけで冷や汗が出る。やはり死はイヤだ。

たまにサウナに入った後にこの世ならざる桃源郷のようなものが見えることはあるけど、結局は現実の世界に戻ってきてしまう。やはり遠くに行くには自分はまだ早いのだと、本能が察知しているようなのです。

それこそ孫悟空さんみたいに、普段は死んでいるので天国にいるものの、下界で天下一武道会をやっている時だけ面白そうだから戻るというような生活をしてみたい。生きながら死にたい。あるいは、死にながら生きたい。

というようなことを今朝、身体は寝たまま、頭は起きた状態で考えました。起きながら寝れねえかな。


サウナはたのしい。