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ミスター・イングランド氏の憂鬱

 エリザベス女王が亡くなった。そしてイギリス留学経験のある知り合いのことを思い出した。彼のことを仮にミスター・イングランド氏と呼ぼうか。

 一度酒席でイギリスが話題に上り「イギリスの~」「イギリスがさぁ~」と誰かが口にするたびに「イングランド」「イングランドな」とミスター・イングランド氏が言い直すのでひどく興ざめした覚えがある。

 この点ぼくはファジーである。日本人相手なら講演や授業、酒席では「北朝鮮」というし、在日朝鮮人が相手なら「共和国」という。あるいは「北の」「南の」というのがシンプルでわかりやすい。日本国内での講演で日本人と在日朝鮮人の数差が余りない時は「今日の講演では『北朝鮮』といいますが、私の政治的な立場を意味するものではありません。わかりやすさを優先します」と断ってから話を始める。「朝鮮ってなんだ?」という違和感に聴き手の意識を持っていかれて、肝心の講演内容が響かないのは避けたい。

 この点在日朝鮮人の人は寛容で「OK」という話でまとまる。厄介なのが日本人。日本人と在日朝鮮人で、日本人の聴衆が多いイベントでグループ対談をする時にこの提案をしたところ、在日朝鮮人のパネラーふたりは「OK。北朝鮮でいいですよ」と頷いたものの、登壇予定のもうひとりの日本人が「それはおかしいやろ!だったら韓国も南朝鮮といわんかい!」とまくし立て剣呑な空気になったことがある。

 この日本人はいわゆる日朝友好団体の人間だった。日本人の方がややこしい。こういうところで、その人の立ち位置がたちまちわかる。

 在日朝鮮人からはたまにやんわりと「そこはさー、朝鮮じゃないの?」といわれるのだが「ちょうせん」という響きは蔑視の意味を加えたカタカナ書きの「チョーセン」を想起させるような気がするのと、朝鮮、朝鮮といっていても普段のくせでぽろりと「北朝鮮」といってしまいそうで怖い。音も文字数も違う「共和国」とすることで、その難からのがれているのだ。頭がよくないので。

 日本人がいう「チョソン」はダメだ。近すぎる。大嫌いなよど号メンバーが多用する表現でもあるし。

 韓国人の前では「북한」(プッカン=北韓)という。韓国本土で「朝鮮」「共和国」というのは怖い。国家保安法があるのでそこはしっかりしている。
 
 かつて金正男氏が日本人記者を前に自らの国を「北韓」といった記事を読んで衝撃を受けたことを思い出す。ただの国の呼称の問題にとどまらず、本国とは距離を置いている存在であることを金正男氏なりに強く表明したとわかったからだ。

 日本の雑誌に書くときは最初は「北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国」と断り以降は「北朝鮮」とする。文字数を考えても「朝鮮民主主義人民共和国」はきつい。在日系の雑誌は「共和国」で統一している。

 分断を固定化する意味もあるのであまり言いたくないが、韓国語と朝鮮語が出来るのはダブルリンガルではなく、トライリンガルだと思う。韓国と北朝鮮、どちらに行っても失礼なく話せるのは想像以上に気を遣う。北京空港で高麗航空機に乗った瞬間から臆面もなく「共和国では」「偉大なる首領様は」「偉大なる将軍様は」「偉大なる元帥様は」とスイッチを切り替えて話せる努力と才能は認めて欲しいと思うのだ。

 ミスター・イングランド氏に問いたかったのは、さてそこでなぜ君は「イングランド」という呼称にこだわったのかということだ。そこに意味はあるのか。通じにくさと違和感を犠牲にして、イングランドとする意味は?ただ正確な呼称はイングランドだぜ。イギリスなんていうのは日本人くらいだぜ~。などというマウンティングの意味だけだったとしたら、正直がっかりだ。

 初めて北朝鮮に行って帰ってきた時に、以前通っていた韓国語教室のクラスメートから「話を聞かせて」と誘いが来た。「北韓報告会を開こう」というメールのタイトルを見て、がっかりした。場所は新大久保の韓国居酒屋という点でさらにがっかりした。

 そんなところで北の写真なんて見せられるわけないだろ。そして日本人であるあなたが「北韓」ということばを敢えて使う意味は何かと。
 
 このあたりの機微がわからない人と北の話をしてもなぁと思ったのだ。もう20年近く前の話。

■ 北のHow to その154
 北朝鮮の人、韓国の人はイギリスのことを英国영국=ヨングク)といいます。中国は(중국=チュングク)。日本は日本。(일본=イルボン)。意外とシンプル。米国のことは美国(미국 ミグク)ですが、米帝(미제=ミージェ。米国帝国主義者の略)ともいいますし、日本も場合によっては日帝(일제=イルジェ。米帝と同意)と呼びます。国の呼称ひとつでとても気を遣うのです。

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