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ロマンス小説を脱構築したロマンス小説 エミリー・ヘンリー『本と私と恋人と』(林啓恵訳)+現在アメリカで大ヒット中の『HAPPY PLACE』

さて、みなさんは〈ロマンス小説〉といったら、どんなものを思い浮かべるでしょうか?

地味で冴えない独身女性が、華やかな友人の彼氏として紹介された大金持ちのイケメン男性と突然恋に落ちる……
あるいは、美貌、富、みんなからうらやましがられるような婚約者まで、なにもかも手にしていた主人公が、ある日いきなり素朴で誠実な男性に心奪われる……

いま思い浮かんだのは、現実のロマンス小説にはありえないほど陳腐な例ではあるが、「正反対の者が恋におちる」というのがロマンスの常道であるように思える。それをもっとも具体化しているのが、〈田舎町ロマンス小説〉である。

〈田舎町ロマンス小説〉とは、都会でバリバリ働くデキる男が、田舎町の開発だか立て直しだかに関わることになり、そこで素朴で温かい人々とふれあって、失いつつあった人間らしい心を取り戻し、いつの間にか純真、もしくは風変わりな地元の女性と恋愛関係に至り、しかし当然ながら男には都会の恋人がいるので葛藤する……が、案の定、都会の恋人と別れ、地元の女性との「本当の愛」を選ぶ、というのが定番の筋立てである。

で、この種の小説で、毎度毎度当て馬にされて捨てられる「都会の恋人」――美人で優秀だが、人間としてなんのおもしろみもない女性――を主人公に据えたのが、エミリー・ヘンリー『本と私と恋人と』(林啓恵訳)である。

主人公のノーラは、敏腕文芸エージェントとしてニューヨークで颯爽と働いているが、プライベートにおいては、まさに〈田舎町ロマンス小説〉の犠牲者であった。幾度となく、田舎町で暮らす素朴な女性に彼氏を奪われてきた。
そんなノーラが、妹のリビーと田舎町サンシャインフォールズでバカンスを過ごすことになる。リビーは〈田舎町ロマンス小説〉のチェックリストを作り、ロマンス小説の主人公になるようノーラに発破をかける……

このチェックリストが、①フランネルのシャツを着る ②オーヴンでなにかを作る……と、まさに〈田舎町ロマンス小説〉を風刺していておもしろい。そう、『本と私と恋人と』は、ロマンス小説を脱構築したロマンス小説なのである。

もちろん、チェックリストのなかには、⑤地元の人と付き合う(最低2人)という項目もある。ところが、サンシャインフォールズでノーラが出くわしたのは、同じようにニューヨークで働く編集者チャーリーだった。かつて担当作家の小説を売りこみ、すげなく断られたこともある。チャーリーはサンシャインフォールズで生まれ育った「地元の人」である。しかし、ロマンス小説の常道に則ると、自分と正反対の相手だからこそ魅かれあうのに、似た者同士のふたりが恋に落ちることができるのか?

と、ここまでの紹介だと、ロマンス小説を風刺した楽しいロマンス小説だと思われるかもしれない。実際、楽しいロマンス小説であるのはまちがいないが、それだけではなく、この小説でもっとも心に残るのは、ノーラとリビー、そして亡くなった母親との結びつきである。

役者を志してニューヨークに出てきたものの、成功しないまま亡くなった母親、夢見がちな母親にかわってリビーの面倒をみたノーラ、母親が亡くなったショックに打ち砕かれて早々に結婚したリビー。母親との思い出に縛られて、互いに依存し合っていたノーラとリビーが、生まれ育ったニューヨークから遠く離れたサンシャインフォールズで、ここ最近使い古されている言葉ではあるが、〈自己肯定〉を手に入れる姿が胸に深く刻まれた。

もともと母親がロマンス小説を読んでいたのをきっかけに、ノーラとリビーも本に興味を抱くようになるのだが、私自身も母親の読んでいた田辺聖子に影響を受けたことを思い出した。そう考えると、翻訳ロマンス小説というと独特なジャンルのように思っている人も多いかもしれないが、日本では、田辺聖子、最近なら角田光代、山本文緒、柚木麻子……といった作家を好む人なら楽しく読めるのではないだろうか。

この『本と私と恋人と』(『BOOK LOVERS』)はアメリカで大きな話題を呼んで、Amazon.com2022年のベスト・ブックに選ばれている。
そして、エミリー・ヘンリーの最新作『HAPPY PLACE』も、目下ニューヨークタイムズ誌のベストセラーランキングに君臨している。

カレッジに入学したハリエットは、ルームメイトとしてサブリナとクレオに出会う。たまたま同じ部屋になった3人だが、運命の導きだと思えるほど気が合って、大親友になる。冷えた関係の両親のもとで育ったハリエットにとって、幸せな時間を一緒に過ごせる仲間はかけがえのない貴重なものだった。

のちにカレッジの男子学生であるパースとウィンもルームメイトの仲間になり、5人は仲良しグループとして学生時代をともに過ごす。しかし、結局薬局(古い)ハリエットとウィンが恋に落ち、それからサブリナとパースも付き合いはじめる。

カレッジを卒業し、5人はそれぞれの道へ進む。ハリエットは両親の期待に応えて、医者の卵として働きはじめる。
そして夏になり、いつものように5人+クレオのガールフレンドのキミーが、サブリナの父親が所有するコテージに集まる。そこでサブリナはコテージが売られることになったと告げる。さらになんと、パースと結婚することに決めたと宣言する。

コテージで過ごす最後の夏。みんなの思い出も、サブリナとパースの結婚も、絶対に汚してはいけない。ハリエットとウィンは、5カ月前に別れた事実をみんなに隠し通そうと決める……

ロマンス小説の風刺が含まれていた『本と私と恋人と』と比べると、こちらは正統派のロマンス小説だと言える。というか、正直なところ、男女混合の仲良し学生グループという設定には、「楽しそうでよろしいな~」と思わず遠い目をしてしまった。

だが、単なる仲良しグループ内での恋愛のいざこざ、というお気楽な話ではなく、『本と私と恋人と』と同じように、主人公のハリエットもウィンも家族のしがらみを抱えている。そして『本と私と恋人と』で、サンシャインフォールズの実家に戻っていたチャーリーと同じように、『HAPPY PLACE』のウィンもモンタナの実家に戻っていて、田舎と都会というテーマが設定されている。

といっても、チャーリーとウィンはかなりタイプが異なる。頭がよく、ノーラと丁々発止のやりとりを交わすチャーリーとちがい、ウィンはかなりの男前(学生時代はプロムの王子様だったようだ)であるようだが、それほど優秀ではなく、ハリエットやハリエットの同僚たちにひけめを感じている。『本と私と恋人と』でチャーリーの当て馬的役割を果たすシェパードに近いのかもしれない。読書会などで、ロマンス小説に出てくる男性のなかで誰が好みかという話をしても盛りあがりそうだ。

なにより、『本と私と恋人と』のノーラやリビーのように、『HAPPY PLACE』も、過去の思い出に縛られるのをやめて、新しい世界へ足を踏み出すハリエット、サブリナ、クレオの姿がまぶしい。
学生時代の楽しい思い出=HAPPY PLACE から卒業して、新たにHAPPY PLACE を作りあげていくということ……

これまでの人生で、HAPPY PLACEって呼べる場所なんてあっただろうか? と思わず考えこんでしまった私ですが、いや、死ぬまでにひとつくらいは HAPPY PLACE が見つけられるかもしれない、老人ホームとか、となんとか前向きな気持ちを維持しました。

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