見出し画像

「大きな物語」を凌駕する「小さな物語」伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』&伊坂作品を好きな人にオススメの翻訳小説

激しくいまさらながら、伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』を読んで、やはりうまいなあ~と唸らされてしまった。

伊坂作品は、以前『アヒルと鴨のコインロッカー』『重力ピエロ』などを読み、そのときも「これほどまでに複雑な構成の物語のなかで、これほどまでに愛すべき登場人物たちを、これほどまでに軽やかな文体で描いてみせるとは……!」と感心したのだけれど、翻訳小説を読む比率が高くなるにつれて、(伊坂幸太郎を含めた多くの日本人作家の)新作になかなか手が回らなくなってしまい、映像化が話題になったタイミングで『アイネクライネナハトムジーク』『グラスホッパー』『マリアビートル』を読む程度に留まっていた。

そんなこんなで読み逃していた『ゴールデンスランバー』を、ふとkindleで読んでみたところ、案の定止められなくなってしまった。

2008年本屋大賞受賞作であり、何度も映像化されている作品なので、あらすじ紹介は不要かもしれないが、ひとことで言うと、「ごく普通の若者がいきなり首相殺しの犯人に仕立てあげられる物語」である。

「仕立てあげられる」ということは、真犯人ではないってこと? それってネタバレでは?? 

と思われるかもしれないが、事件の経緯を描いた本編より先に、「事件から二十年後」という後日談が配置されていて、物語の主人公である「青柳雅春」が首相殺しの犯人ではないことが明確に語られている。

この構成の妙こそが伊坂幸太郎の巧みさであり、「犯人でないのに、どうして犯人に仕立てられたのか? いったいなにが起きたのか?? そもそも「青柳雅春」とは何者?」と読者の興味と期待がいっそう高まる仕組みになっている。

本編においても、構成の妙が光っている。青柳雅春がひたすら逃亡する合間に、本編とは関係がないように思える過去の回想が挿入される。それは大学時代の友人の森田森吾や後輩のカズと交わしたくだらない冗談だったり、元恋人の樋口晴子との何気ないやりとりだったりする。
そうして青柳雅春がいよいよピンチに陥ったときに、それらのささやかな挿話――すでに語られた物語――が鮮やかに蘇り、青柳雅春は命の危機を脱出するのである。

そもそも、首相暗殺の真相というプロット自体、この小説のなかでも語られているように、JFK暗殺事件という元ネタがあり、これまでにもさんざん世界中で語り尽くされてきた「大きな物語」である。その「大きな物語」に対抗するのが、学生時代との友人とのくだらない冗談、元恋人との何気ないやりとりというのが、この小説の肝である。

物語を象徴するものであり、タイトルにもなっているビートルズの「ゴールデン・スランバー」は、「Once there was a way to get back homeward」という歌詞ではじまる。
歌詞の内容について、青柳雅春と森田森吾はこう語っている。

「昔は故郷へ続く道があった、そういう意味合いだっけ?」
「学生の頃、おまえたちと遊んでいた時のことを反射的に、思い出したよ」
「学生時代?」
「帰るべき故郷、って言われるとさ、思い浮かぶのは、あの時の俺たちなんだよ」

この小説は、首相暗殺という「大きな物語」の犠牲にされかけた青柳雅春が、大学時代の友人たちとの「小さな物語」によって救われる物語だとも言える。この物語の本筋は、首相暗殺の犯人に陥れられたことではなく、大学を出て、いったんばらばらになった仲間たちとの絆の復活なのではないかとすら思えてくる。

さて、伊坂作品を好きな人にぜひ読んでほしい翻訳小説を考えてみたところ、ハーラン・コーベンがまっさきに思い浮かんだ。

両者には以下のような共通点がある。

1:緻密に計算された複雑なプロット(語り手や時系列を適宜入れ替えながら物語が進行し、最後には伏線がきれいに回収される)
2:仲間との絆といった善なるものへの信頼
3:殺し屋(『ゴールデンスランバー』で言えばキルオ)のようなタガが外れた強烈なキャラクター

こう書くと、2と3が矛盾しているように思われるかもしれないが、実際に伊坂幸太郎の小説を読むとわかるように、2が根底にあるから3が生きてくるのである。

ハーラン・コーベンの小説も、上記の特徴をすべて押さえている。
『偽りの銃弾』は、主人公である元特殊部隊パイロットのマヤが、夫殺しの容疑をかけられるところからはじまる。

戦地から帰ったばかりのマヤの身辺には次々に不気味な事件が起き、自分のPTSDなのか、夫に続いて自分の身も危険にさらされているのかわからない。そこでマヤが家に隠しカメラをつけると、なんと、死んだはずの夫の姿が映っていた……これは妄想ではない。マヤは事件の真相を探るべく動き出す。

という筋立てだが、とにかく1が際立っている。これ以上余計な情報を入れずに、物語の世界に浸ってほしい。

上記の2、3の要素が強いものとしては、マイロン・ボライターを主人公とするシリーズがある。

デビュー作『沈黙のメッセージ』は、スポーツエージェントであるマイロン・ボライターが、自らのクライアントであるアメフト選手にかけられた疑惑を晴らすべく捜査に乗り出す物語である。
このシリーズの魅力は、複雑に構成されたプロットもさることながら、相棒のウィンや元女子プロレスラーの秘書エスペランサといったクセ者揃いの仲間たちとのやりとりである。

まっすぐな心の持ち主のマイロンは、上記の2のとおり善なるものを象徴する存在であり、一方、血と暴力を愛するエキセントリックな相棒のウィンは、まさに上記の3、タガが外れた強烈なキャラクターである。

マイロン・ボライターシリーズは、日本での翻訳が途絶えていたが、去年ウィンを主役に据えたスピンオフ、その名も『WIN』が翻訳刊行された。

大金持ちの一族に生まれ、容姿端麗、頭脳明晰、他人を痛めつけることが大好物で、セックスも好きだが心の交流には一切興味なしというウィンが、ふとしたことから奇妙な殺人事件に巻きこまれ、自らの家系に秘められた謎に足を踏み入れる……というミステリー。伊坂作品と同様に、いったん読みはじめたら止められなくなるのはまちがいない。

ようやく涼しくなってきた秋の夜長、「ゴールデン・スランバー」などビートルズを聴きながら、緻密に構成されたミステリーに耽るのもオツなものではないでしょうか。

(と言いつつ、ビートルズではありませんが。斉藤和義が伊坂幸太郎と何度もコラボしているのは有名な話ですが、この「いたいけな秋」が映画『ゴールデンスランバー』のために作られた曲だったとは知りませんでした。
昔、ライブで弾き語りバージョンを聴いたことがあるけれど、年齢を重ねてひさびさに聴くと歌詞が胸にグサグサ刺さる)


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?