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あらましと目的【箱庭の詩】

私達は人生を生きる上で、様々な想いを抱えて生きています。

感じたこと、考えたこと、影響を受けたこと、表現したいこと────。

そのどれもが『私』達にとっての宝物です。

しかしながら、その想いは世界にどれだけ伝えられているのでしょうか?

百億分の一にも満たないのではないのでしょうか?

具体的な数値はともかく、そんな想いのほとんどが誰にも知られないまま『私』の中で腐って消えているのかもしれません。

それもそのはず、人は自分の事を話したい生き物。

話を聞いてくれる人は、とても貴重な存在です。

ましてや『文章』ともなると、読みたい人しか読みません。

会話などの音であれば耳を塞いだところで、聞きたくもない話も聞こえることがあるでしょう。

しかし、言葉を綴(つづ)った文章は、自ら読もうと思わない限り完全に遮断することができ、存在しないものとして認識されません。

つまり、文章に秘めた想いは相手の『興味』がなければ辿り着かないということです。

『興味』が湧いて、『好奇心』が疼いて、『知りたい』という気持ちを抱えて『行動』することで初めて想いがこもった文章は相手にたどり着きます。

吟味された核心にたどり着くには、そんな長考と直感が興味を引き金にして、懸命に探し求めた人にしか見つけることができないのでしょう。

ただでさえ会話でもなかなか自分の中に芽生えた想いを言葉にできないのに、文章となればなおさら難易度が高くなります。

活字の方が好きという方はもちろんいますが、会話ほど関わることが多くないのは言うまでもありません。

私達は、そんな聞いてもらうには厳しすぎる条件を持った想いを抱えているということになります。

深い話や考えを共有したいけれど、興味のない人が大半で聞いてくれる人もいなくて、『私』のなかだけで完結してしまう。

それで本当に良いのでしょうか?

そのために文章があるのではないかと考える時があります。

文章には人も時間も選ばずに、読みたいときに読んでくれて、好きな時に向き合える『自由』という魅力があります。

そう、『自由』。

『私』の中で完結し、表だって表現できなくても、心の中では常に『自由』を謡(うた)っている様々な想い。

その自由をどうしても誰かに伝えたくて、ネットの海に文章を流している同志がたくさんいます。

思った以上にたくさんいます。

私達は人生を生きる上で、自由を抱えて生きています。

その自由の中に、誰かを助け、誰かに助けられるような言葉がたくさん眠っています。

私の中では常識でも、誰かにとっては青天の霹靂がごとく人生を変える言葉かもしれません。

どんな想いがどんな影響を及ぼすかなんて、誰にもわかりません。

しかし、何らかの形で伝えなければそのまま消えていくだけです。

そんな想いを伝えずに生きるのは、『私』として存在していないことと同じなのではないでしょうか?

そのためには、まずは『書く』。

世界にどんな影響を及ぼすかは分からないけれど、たった一人でも届いてくれたら、『私』は生きていて良かったと思います。

読んでくれてありがとう、生きていて良かった、と幸せを分かち合うことができます。

心という箱庭に独りで魂という花を育てている私達一人一人が、文章という自由を経て、互いの魂を開花させることを願います。


これがタイトルを『箱庭(はこにわ)の詩(うた)』にした根拠です。

私達は本来、心の器以上の物事は思考できません。

どれだけIQが高かろうが賢かろうがこの世の問題が解決しないのは、これが原因だと思います。

心の器(箱庭)を広げることは、頭が良くなることよりも重要なのではないでしょうか。

だから想ったことを文章にまとめて、電波の海に流すことに決めました。

何処へ行くのかは分からないけれど、そこには限界がないのだと思います。

どれだけ探しても、私が求める答えは見つかりませんでした。

だったら、自分の中で見つけるしかないのだと思いました。

そして、自分から問うてみるしかないのだと思いました。

自分から問いを求めないと、相手もどう対応すればいいのか分かりません。

それだけに私は私の中で完結させていました。

「何を言ってもどうせ理解してもらえない」

そう思って閉じこもっていた方が簡単で、それを選んでいました。

しかし簡単な道を選んでいては、成長はありません。

だったら簡単な方を選ばずに、難しい方を選んでみることにします。


基本的に、想ったことを文章にするだけです。

高尚な目的も、神的な信仰心もありません。

ただ、降りてきた考えを私の中で完結させるにはあまりにももったいない。

他者と共有してこそ、文章の力を発揮するのだと考えます。

そんな重大な意味がありそうで、結局中身が空虚な想いでもきっと何か気づきはあるはずです。

それを見つけるのは、『私』達の日頃どのような気持ちで生きているかに懸かっています。

長文になりましたが、要は『多角的な目線で物事を観察することで、人生を考える』ことを目的としています。

人生を生きるためのヒントや、物事の捉え方、人間関係の向き合い方、心の成長のきっかけなど、深い関係や波長が合う人としか話さないようなことを綴る予定です。

ここまで、読んでいただきありがとうございました。

今後もたくさんの想いを文章に変えて綴ります。

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