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「書」報せん レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』

1.お薬の内容(どんな本?)

名称:小説含有文庫本
『長いお別れ』ハヤカワ文庫
成分:/ハードボイルド/探偵/ギムレット/友情 
内容量:531ページ
製造年月日:一九七六年四月三十日 初版発行
ご注意:アルコールを服用している方はギムレットが飲みたくなります
症状(こんな人におすすめ)
不運が続いている人、孤独を強く感じている人、ナーバスな人、不安を抱えている人

2.あらすじ

コーヒーをつぎ、タバコに火をつけてくれたら、あとはぼくについてすべてを忘れてくれ――妻を殺したと告白して死んだテリー・レノックスからの手紙にはそう書かれていた。彼の無実を信じ逃亡を助けた私立探偵マーロウには、心の残る結末だった。だが、別の依頼でテリーの隣人の失踪を探るうち、マーロウは再度事件の渦中へと……ハードボイルドの巨匠が瑞々しい文体と非常な視線で男の友情を描きだす畢生の傑作。(裏表紙から抜粋)

3.効能・効果(書評・感想)

※ネタバレあります。

 どうも。最近ナーバス、空条浩です。大きな変化やどうにもならないことが急にやってくると、自分の人生をうまくコントロールできてないなーとか、振り回されてるなーって思うじゃないですか。自己肯定感や自信も無くしちゃうし。そんな時、会いたくなるんですよ。僕の中のヒーロー、フィリップ・マーロウに。

 ハードボイルドと言えばレイモンド・チャンドラー、その代表格の小説と言えば『長いお別れ』ですよね。「ギムレットには早すぎる」というセリフが有名だと思います。僕がなぜ困ったときに彼に会いたくなるのかと言うと、彼の生き様が実に参考になるからなんですね。

 物語のはじまりは〈ダンサーズ〉という高級レストラン(?)で、酔いつぶれたテリーに出会ったところ。そこをマーロウが面倒を見たのをきっかけに、二人は意気投合。一緒に〈ヴィクター〉というバーに行って、酒を飲む仲になります。

 ある日テリーがマーロウの家にやってくる。「メキシコまで車で連れて行ってくれ。訳があって電車やタクシーは使えないんだ。五〇〇ドル出すから頼むよ」。手には拳銃。明らかにただ事ではない。そう、あらすじにもあるように、テリーは事件に巻き込まれているんですね。マーロウはそこで「落ち着いて、コーヒーを飲もうぜ」となんでもないようにふるまう。

 火を強くして湯を管のなかに上らせ、すぐまた火を弱くした。それから、コーヒーをかきまぜて、蓋をすると時間計を三分に合わせた。ずいぶん几帳面じゃないか、マーロウ。いや、コーヒーはいつものとおりに沸かさなければならないからね。たとえ、おそろしい形相の男の手に拳銃が握られていようとも(P38)

「緊張した雰囲気のなかでの行動はどんな小さなことでも演技になる」と、コーヒーを入れるマーロウ。そういえばイチロー選手も試合前は必ず同じことをするらしいです。自分をフラットな状態にする一番の方法は、毎日の習慣を普段通りに再現すること。ここでのマーロウは取り乱したり、ショックを受けたりするのではなく、まず落ち着く。そのための行動を優先する。この最善手をすぐに打つところが、カッコいいですよねえ。

 マーロウはテリーとメキシコに行きます。旅で使うような日用品を入れたスーツケースを渡して見送り、帰宅。それから妻殺しの事件について色々な人間に嗅ぎまわられ、テリーの妻殺しに巻き込まれ、ある日手紙が届く。テリーからの手紙です。

 事件についてもぼくについても忘れてくれたまえ。だが、そのまえに、ぼくのために〈ヴィクター〉でギムレットを飲んでほしい。それから、こんどコーヒーをわかしたら、ぼくに一杯ついで、バーボンを入れ、タバコに火をつけて、カップのそばにおいてくれたまえ。それから、すべてを忘れてもらうんだ。テリー・レノックスのすべてを。では、さよなら。(P114)

 メキシコでテリーが自殺した。マーロウは手紙と一緒に入っていた5千ドル札をしばらく眺めています。あまりにも珍しくて、手にしたことの無い、後光すら見えるような大金。なのに冷めた目でじっと見る。本当は優しくていいやつなのに、疑いをかけられて、心も体もボロボロで。やっとの思いで自分を訪ねてくれた。なんとかしてメキシコに逃がしてあげたけど、そのメキシコで彼は死んでしまった。ショックですよ。日用品をつめたカバンを渡したのは、死なないと信じていたから。大丈夫だと信じていたから。この後、マーロウは何をしたか? ただ、その通りにしたんです。手紙の通りにコーヒーをわかし、バーボンを入れ、タバコに火をつける。立ち昇る湯気や煙がきえたら、それを捨てる。その一連をただ実行した。

 ここがですね、胸が痛くなるんですよ。一連の動作が、淡々と、詳細に描かれてるんですね。ドライに描写すればするほど、マーロウの胸の内が浮き彫りになってくるような気がするんです。テリーからの手紙を読んで、悲しい、やるせない、と言う思いが。無力感もあったかもしれない。そしてあの時のようにコーヒーを注いだ後、ぼそっとつぶやく。

五千ドルのためにすることにしては、充分ではないような気がした(P115)

 テリーの死についてあきらめきれないマーロウは、この出来事のあと別の事件にかかわります。この事件がだんだんと、テリーの自殺と交差し、真相にたどり着く。そしてある日、「テリーの自殺について知っている」と言う、マイオラノスと名乗る男が訪ねてくる。見た目は身なりのきれいなメキシコ人。テリーが自殺したホテルで、部屋の番をしていたと言う。マーロウは彼と問答をするうちにこう言い放つ。

「最初から部屋のなかにいたんじゃないか――手紙を書いていたのさ」(P516)

 それに対してマイオラノスはこう返事をする。あの、有名なセリフです。

「ギムレットにはまだ早すぎるね」(P516)

 テリーは変装をして生きていた!! 再開した二人はこの後どうするか。飲みに行く? 二人でどこかへ行く? いいえ、さよならを言うんです。死んだことにしないと危険だから。最後のシーンがこちら。

「さよなら、マイオラノス君。友だちになれてうれしかったぜ――わずかのあいだだったがね」
「さよなら」
 彼は向こうをむき、部屋を横ぎって出て行った。私はドアがしまるのをじっと見つめた。模造大理石の廊下を歩いて行く足音に耳をかたむけた。やがて、足音がかすかになり、ついに聞こえなくなった。私はそれでも、耳をかたむけていた。なんのためだったろう。彼が引き返してきて、私を説き伏せ、気持を変えさせることを望んでいたのであろうか。しかし、彼は戻ってこなかった。私が彼の姿をみたのはこのときが最後だった。(P523)

 カツーン、カツーンと響く足音に、じっと耳を澄ませる。ここが、切ないんですよね。マーロウは気丈に振舞う。その一方で戻ってきてほしいと思う。理性と感情がせめぎあっているのを、静かに観察している。こんなにも知的でタフなのに、不器用な男なんですよ。

 最後の最後まで、自分の気持ちを包み隠さず、目をカッと開いて見つめる。ハードボイルドって、葉巻を片手にハットを被り、ロックグラスを傾ける。そんなイメージを指す、いわゆる「ファッション」なのかなと思っていました。でもそうじゃない。どんなに逆境に立たされても、都合の悪いことが起きても、ただありのままを丸ごと受け入れる。自分の感情すらも目をそらさずに観察する「生き様」を指すんだとこの本から学びました。逆境に立った時は、マーロウを思い出してみると少しだけタフになれる気がします。

 ギムレットには早すぎる? でもこの本を読むのは今がグッドタイミング! おすすめです!

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