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「かわいい」は心を守る鎧

ルッキズムは現代病だ。

いや、もしかしたらもっと昔からあるかもしれないけれど。
少なくとも今は、皆が心の何処かで「かわいい」に夢見て、「かわいい」を手に入れたくて、「かわいい」のせいでたまに心がザワザワして、向上心と諦めを半分ずつ持ちながら生きているんじゃないかと思う。

なんで「かわいい」にそんなに価値を感じるのか?
なんで「かわいい」に羨望の目が向くのか?

あくまで一個人の考えではあるけれど、一つの仮説が思い浮かんだので聞いてほしい。


多分それは、「かわいい」が、ほんとのほんとに、自分を守ってくれるからだと思う


心を何かに攻撃されたとき、最後の最後で自分を守ってくれるもの―――それは「自尊心」だ。
「自分はこうなれるはずだから大丈夫」という、「希望」とも言い換えられるかもしれない。

もちろん、「かわいい」だけが自尊心を潤してくれる唯一の要素ではない。

でも、「性格がいい」とか、「頭がいい」とか、「仕事ができる」とか…そういう目に見えないものは、すぐに見失ってしまう
目の前に“形”としてあるわけじゃないから、いつの間にか所在が分からなくなりそうで不安だ。

でも「かわいい」は、見たままの形でそこにある。
そういう意味で、自尊心の拠り所になりやすいんじゃないだろうか


私が個人的に推している「マリマリマリー」というYouTubeチャンネルで、「就活のアピールポイント全部顔のやつ」というオリジナルアニメが上がっている。


面接官に「長所を教えてください」と言われて、他の就活生が特技をアピールする中、一人だけ自分の顔だけをひたすら推すヤバい奴がいる…という面白ネタなのだが、じつは「かわいい」に憧れる人は皆、この自信が欲しいんじゃないだろうか。

つまり、世間の荒波に揉まれても、堂々と立っていられる自信が

自分の「すごさ」なんて全然実感できない世の中で、ましてや他人に自分を満足にアピールすることがこんなにも難しいこの社会の中で、「かわいい」がその自信を支えてくれるかもしれないと、淡い期待(あるいは確信に近いもの)を抱いている人は少なからずいると思う。


少し時代錯誤的かもしれないけれど、太宰治の小説『皮膚と心』で、なるほどと納得した箇所があるのですこし引用したい。


だって、女には、一日一日が全部ですもの。男とちがう。死後も考えない。思索も、無い。
一刻一刻の、美しさの完成だけを願って居ります。生活を、生活の感触を、溺愛いたします。
女が、お茶碗や、きれいな柄の着物を愛するのは、それだけが、ほんとうの生き甲斐だからでございます。刻々の動きが、それがそのまま生きていることの目的なのです。


女に思索が無い、というのは今の時代かなり同意しづらいけれど、
「一刻一刻の、美しさの完成だけを願っている」
「刻々の動きが、それがそのまま生きていることの目的」
というのは、感覚として分かる気がする。

もっと決定的なのはこれだ。

女の生涯は、そのときの髪のかたち、着物の柄、眠むたさ、または些細のからだの調子などで、どしどし決定されてしまうので、…

これは、正直すごく共感できる。

着ている服がかわいいかとか、髪型が決まってるかとか、
「今、この瞬間の自分がいかに素敵か」
で、すべてが決定されていくような感覚
が私には確かにある。

本当に太宰は、こういう絶妙なめんどくさくて少し恥ずかしい心情を、的確に書くのがうまい…。


『皮膚と心』は短編で、『女生徒』というタイトルの短編集に収録されているのでぜひ。

太宰の真骨頂、女性の語り口による告白を集めた短編集
「幸福は一夜おくれて来る。幸福は――」多感な女子生徒の一日を描いた「女生徒」、情死した夫を引き取りに行く妻を描いた「おさん」など、女性の告白体小説の手法で書かれた14篇を収録。

〈Amazon紹介文より〉


今回は「かわいい」が心の鎧になるという話について語ってきた。


目に見えるもので自信をつけようとすることは、人によっては深遠さに欠けるように見えるのかもしれないけれど、生きていく上で必要なことだと私は思う。

なぜなら人は自分の価値を信じていないと生きていけないから。

そして結局は、「分かりやすく自分の価値を証明してくれるもの」を、皆求めている
移り変わりが早くて、他人の生活が透けて見えて、すぐに自信が失われてしまう今の時代はなおさら。

心の鎧があれば、攻撃された時、振動は伝わるけど致命傷にはならない。

そうやって生きやすさを得ようとする心理が、きっと多くの人の中にあるんじゃないだろうか。






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