字幕吹替論争、ナンセンス
洋画を観る時、字幕で観るか吹替で観るか、どちらがいいかという言説を目にする。率直に言ってしまえば、鑑賞者の識字能力や外国語力、映画の性質、翻訳者や声優の技量によるケースバイケースとしか言えない。それ以上それ以下でもない。論争する必要なんかない。ナンセンス。
「地の利を得たぞ!」「ボランティア軍」みたいな珍訳・迷訳・誤訳があったり、声優的演技経験のないタレントの棒読みはとかは嫌だが、字幕と吹替そのものが良い悪いの話ではない。
たまに字幕派を揶揄するような、ある実験の話を目にする。
映画がフランス映画だったりと改変されて出回っている話だが、この手の眉唾実験には珍しく明確な出自がある。『所さんの目がテン!』である。
この番組を毎週見ていたわけではないのに、何故か偶然この回はリアルタイムで見た記憶がある。この実験には問題点、というよりツッコミどころが多々あると当時から思った。
・被験者が6人でサンプルとして少な過ぎる。
・字幕10分を見せてから続きを吹替10分に切り替えて見せるという対照実験としての不確かさ。
・被験者は映画好きと自称しているのに『ライフ・イズ・ビューティフル』で知られるイタリア映画監督・俳優のロベルト・ベニーニも、そこそこ酷評された『ピノッキオ』も知らない。もちろん『ピノキオ』がイタリア文学であることも知らない。
専門家とか目線カメラによる分析を添えてそれらしくしているが、テレビショウ的な結果ありきの実験でしかない。他に併せて行われた実験も色々と眉唾である。『発掘!あるある大事典』的な。こんな実験、まともな大学の卒研で提案しようもんなら担当教授からネチネチ言われること請け合いだ。
結局、「吹替派は英語力がなくて本当の鑑賞ができないバカ」だと揶揄する字幕派と「字幕派は通ぶっているだけで本当の鑑賞ができないバカ」だと揶揄する吹替派の不毛な言い争いでしかない。
あくまで表現の手法、手段でしかなく合う方で楽しめばいいだけの話だが、どっちも楽しめた方が得であるとは断言できる。
『金曜ロードショー』のディズニー作品視聴者投票で『ノートルダムの鐘』と『プリンセスと魔法のキス』が選ばれたが、自分は投票はしていないが、この2作品がディズニー作品の中でも好きな部類なのである。
アニメーション、ストーリー、音楽も好きだが、この2作は「英語ってすげえ!」「翻訳ってすげえ!」と私に思わせた作品なのである。
『ノートルダムの鐘』の序盤、主人公のカジモドが悪役で教育者のフロロー判事から授業を受けるシーンで吹替版では「裏切らない」「嘘を吐かない」と戒律的なことを復唱させられているのだが、原語では「Abomination」「Blasphemy」「Contrition」「Damnation」「Eternal Damnation」とネガティブな意味合いの単語をアルファベット順に教えられていて、表向きは教育しているが凄く嫌な環境であることを印象付けている。これが昔、DVDの字幕で見た時「悪疫」「冒涜」「悔恨」「断罪」「永遠の断罪」と表記されていた。
いたく感動した。ABCのイニシャルをそのまま保ったまま意味もほぼほぼ変えずに訳している。多分、翻訳者は「冒涜~永遠」までが上手く「B~E」に当てはまることに気付いて、日本語の直訳で表現しにくい「Abomination」を「悪疫」の意訳で対応できると思い付いた時、きっと物凄い脳汁が出たと思う。そんなような発見による表現をしてみたい。
『プリンセスと魔法のキス』の悪役・呪術師のファシリエがナヴィーン王子を占い、まじないと言ってカエルに変身させるシーン。
ニューオーリンズ・ジャジーな音楽と不気味なヴードゥーのサイケデリックなアニメーションと併せたヴィランのミュージカルシーンで好きなのだが言葉選びもいい。
原語では「It's the green you need」「お前に必要なのは緑だ」と言うのだが、緑はドル紙幣の色だから欧米では金銭を表す。イギリスのSF小説の『銀河ヒッチハイクガイド』でも冒頭皮肉的に「小さな緑の紙切れ」と表現されていたりする。金とカエルの色を掛けて王子を騙しているのである。「green」と「need」で韻も踏んでいるし、テーマ曲の『Never Knew I Needed』、ひいては作品テーマに掛かっている。
このニュアンスを吹替だろうと字幕だろうと翻訳し切るのは難しい。日本語版では「お前の未来には金が見える」と「カエル」で韻を踏んでいるのに翻訳者の中々の苦心が見える。
とにかく、手段や形式に縛られてマウントなんか取る目的で作品なんか見ず、"観る"なら教養を深めて鑑賞すべきなのです。そんな映画の日。
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