モンテ・クリスト伯、フランスが誇る文豪デュマの手によるこの作品。皆さんご存知でしょうか。もうね、とにかく面白いんです。「無実の罪で監獄に送られたエドモン・ダンテスは14年の月日の後そこを脱出し、隠された秘宝を手に入れた後、復讐のためにパリへ向かう……」子供の頃児童版で読んだな~と思って、完訳版を読んでみたらやっぱり最高に面白くて止まらなくなってしまいました
(私が読んだのは上記の講談社文庫から出ているやつです)
さて、大人になってから完訳版を読むと、色々と印象も変わるもの。特に各種キャラクターの細部がわかって「あ、こういうキャラだったんだ」と再発見することも多いのですが、なんと言っても私がここで皆さんにご紹介したいのは、ユージェニー・ダングラール嬢です。
ユージェニー・ダングラールのここが凄い!
誰!?って皆さん思ったかもしれませんが、主人公であるダンテスをはめた悪徳会計士、ダングラールの娘です。
児童向け版だとマジでほとんど登場せず、私が読んだ矢野徹(あのSF翻訳家の矢野さんです!)の翻訳版だと、確か一行だけ
「もともとこの結婚を気に入っていなかったダングラールの娘は、荷物をまとめて友達ととっとと家出してしまった」
とだけ書かれてただけの存在だったんですが、全訳版だとなんていうか、婚約破棄される悪役令嬢的ポジションなのに、そのままパワフルに突っ走って最高のエンドを迎えるキャラになってているんですね。
もう、これは実際に見ていただきましょう。
ユージェニー嬢が初めて登場するのは、全訳版の3巻、劇場に現れたモンテ・クリスト伯を巡っていろんな登場人物が交錯するシーンです。
こうね、美人だけど、きつい感じの見た目って設定なんですね。既に悪役令嬢ポイントを稼いでいます。
男勝りな性格のきつい美人。あと多彩です。なんかもうキャラ立ってきたな。
重要人物、ダルミイー嬢の登場です。学校の友人であり、一緒に音楽を勉強しているんですね。ふむ。続けて。
ユージェニー、一応婚約者であるアルベール君にもツンとした態度を取りますし、パリの社交界中が注目しているモンテ・クリスト伯爵にも興味を示しません。モンテ・クリスト伯爵に対してこのそっけない態度を取れるのは大物ですよ。
で、こんな感じで初登場パートは終わり、その後はちょくちょく会話のみでの登場になります。ちなみに、ユージェニー、性格のキツさは何度も言及され、マクシミリアン君にも「美人だけれど、冷たくて好きになる人はいないだろう」みたいに評されています。
ヴァランティーヌにこぼした内容を見る限り、そもそも結婚が嫌いで自分一人で自立して生きたいと考えている様子。なんていうか、現代的な考えを持っているキャラクターです。
だんだんと変わってくる風向き
ユージェニー嬢、最初はアルベール君と結婚する予定でしたが、父親のダングラールは財産に目がくらみ、アンドレアというイタリアの貴族と結婚させる方向に徐々に切り替えていきます。
ちなみに、このアンドレア君、モンテ・クリスト伯が用意したニセ貴族だったんですが、そうとは知らないダングラール。アンドレア君を家に呼び、ユージェニーとくっつけようとします。
しかし……
ん?
風向き……変わってきたわね。
まて、落ち着こう。オタクはすぐ百合カップルにピアノを連弾ひかせたがるけど、まだね。こう匂わせているだけだからね。落ち着こう。
突然、ダルミイー嬢との関係が盛られてきて驚いただけだからね。落ち着こう。
なお、この空間に不躾にもアンドレア君は混ざろうとします。これは許されない。覚えておけよ!この野郎!
ここにうっかりやってきたのが、婚約者のアルベール君、婚約者の前で別の男と一緒に居るところを見られてしまうわけですね。お、修羅場か?と思いきや、アルベール君もユージェニー嬢は性格がキツくていやだなぁと思っているので、それほど問題にはならない。以下アルベール君のセリフ。
それにしても、仮にも婚約者から「高慢ちき」なんて単語を使われるのは凄い。悪役令嬢にしか許されないでしょこんな形容詞。ユージェニー嬢もユージェニー嬢で、婚約者に対して完全に眼中にない感じを出しています。
アルベール様、婚約破棄ですわ!
その後、モンテ・クリスト伯の暗躍によって、アルベール君の父親、モルセール伯爵の過去のスキャンダルがあらわになり、いよいよユージェニー嬢は婚約を破棄して、偽貴族のアンドレア君と結婚させられそうになります。
しかし、結婚は嫌なユージェニー、アンドレア君のことも露骨に嫌いな様子。
ちなみに、作中のヒロインの一人、ヴァランティーヌ嬢とはなんだかんだで仲は良いようで、アンドレア君と結婚することが決まった時にはまっさきに報告に来たりしています。
とにかく自由を渇望するキャラクターであることが解ると思います。それはそうと、「スキャンダルで名誉を失ったアルベール君なんかと、結婚しなくて良かったですわ~~!」というなかなか凄いセリフをはいています。
ユージェニー嬢、ついに動く!
さて、いよいよ無理やり結婚させられそうになった段階で、ユージェニー嬢、ついに動きます。父親であるダングラールを呼びつけて、はっきりと「私は結婚したくありません!」と宣言するんです。
従順で親孝行な娘として振る舞おうとして、自分を抑えようとしたがもう限界ですわ~!とついに爆発して、怒涛の長台詞で語りだします。このお嬢様言葉で畳み掛けるようなセリフがめちゃくちゃいいんだ。
わたくしは、美しくて、頭がよくて、才能に恵まれて、お金持ちというわけですわ~~!!
見て下さい、このお嬢様カウンターがカンストしそうなセリフ!!素面でこんなこと口走るキャラクター、十九世紀のフランスからトンデモねぇやつがやってきたもんだぜ……!
しかもその後、父親に「馬鹿者!私がお前に金をやらなければお前は破産してしまうぞ!」と脅されこの返し、
ここまで自信満々だともはや好感が湧いてきます。なんだこれ。このシーン、ダングラールもかなりぶっ飛んでて、自分の娘にズバリ「お前が金持ちと結婚すればワシの銀行は破産から逃れられるのじゃ!」とダイレクトに伝えます。もっとオブラートに包め。
しかし、ユージェニー嬢は「お父様はわたしを300万フランの担保にするおつもりなのでしょう?」と冷静に受け止め、なんと結婚を了承します。
ただし、そこには条件がありまして、「結婚証明書に署名した後はわたしが何をしても自由」という約束を取り付けるんですね。果たしてユージェニー嬢は何を考えているのか……?それはしばらく後で明らかになります。
二人の逃避行
そして、結婚契約書への署名の日、大々的なパーティが開催されます。
なお、事実上の結婚式みたいなこの会場でも、ダルミイー嬢は隣にいる様子。19世紀のフランスでは一般的だったんでしょうか?いくらなんでも仲が良すぎるような……いや、まあ先を急ぎましょう。
ところがパーティは突然の警官隊の乱入で中止。ここで、アンドレア君がニセ貴族であったことがバレ、さらに殺人容疑で警察に追われていることが判明してしまいます。ダングラールの面子は丸つぶれ、アンドレア君はそのまま姿を消してしまいます。
大混乱になったパーティ会場でユージェニー嬢がとった行動とは……。
ユージェニー嬢の計画とは、家出でした。しかし、目の前で結婚相手が詐欺だったことがバレ、面目丸つぶれになったと思いきやこの思い切りの良さ。モリモリ好感度を稼いでいきます。
「黙っていて! 男なんてみんなけがらわしいわ。わたし、男の人を憎む以上の気持ちになれて喜んでるわ。今じゃ、軽蔑を感じてるんですもの」
結婚詐欺にあったあと、このセリフを出せるのメンタル、凄い。
お嬢様が家出する時に宝石とかをパクっていくシーンからしか取れない栄養を摂取できるわけですね。てか、当初の計画だと結婚式の夜に脱出する予定だったんですね。ロックすぎる。
わたくしが絶望に沈んでいると思っているのかしら?甘いですわ~~!なテンションで突っ走るのマジで見ていて凄いんですよね。あと、普段から男装していたことが解るのもポイントが高い。
「でも、そのきれいな黒い髪が、女という女が羨ましくて溜息をついたそのすばらしい編下髪が、そこにあるような男物の帽子にうまくおさまるかしら?」
友人に対する褒め言葉の語彙が強すぎる。そして極めつけの、
「ええ、きれいよ! あなたはいつだってきれいよ!」
えっ、これは幻覚……? オタクが書いた同人誌じゃなくて、これ公式なの?なんで結婚誓約書の調印式がぶち壊しになってから数ページでここまでの濃度をぶち込んでくるの?
百合エンジンのアクセル、踏みっぱなしでもう止まらない。
「あなたって、ほんとに素敵なんですもの。まるでわたし、あなたにさらわれていくみたいだわ」
解ったデュマ。
わかったよ。俺の負けだ。とんでもないよ。
描写一個一個のインパクトが強すぎるよ。なんなんだこれ。
「モンテ・クリスト伯」がパリの新聞で連載されていた時、たった2日だけ休載したことがあったそうです。その時はまさに、パリ中ががっかりした。みたいな逸話があるんですが、多分このあたりが新聞に載った時のリアタイ勢はマジで大騒ぎだったんじゃないかと思います。
私がパリに住んでいた百合厨だったら、新聞を読んだ瞬間にうわああああああ!!と大声を上げてカフェを飛び出してセーヌ川に飛び込んでいるレベルですよこれは。デュマ、連載の路線変更した?
「デュ、デュマさん!無茶です!こんなの!もう連載が変わっています!大体このシーンは本筋と関係ない!」そう進言した小説工場の新人は、セーヌ川に棲む殺人オマール海老の餌となった。偉大なるアレクサンドル・デュマの下には日和見主義者は必要ないのだ!
この後もユージェニー嬢は大活躍。馬車を乗り継ぎ、パリを抜け出します。抜け目のないユージェニーは、追手をごまかす方法まで心がけています。
わたくしは賢いのですわ~!なんて言ったらめちゃくちゃ馬鹿っぽいですけれども、ユージェニー嬢は自称しつつ本当に賢いから凄いですよね。2,3ヵ国語は喋れるしな……。
こうして、パリを抜け出た二人ですが、ここから先、また一波乱あります。
運命の悪戯か、結婚誓約書の調印式会場から逃げ出したアンドレア君が偶然同じ街に逃げてきていたのでした。もう後のないアンドレアは、警察から逃げるために煙突に入って身を隠すのですが、こともあろうにそれは二人の泊まっているホテルの部屋に続いていたのでした。
うっかりバランスを崩して落下するアンドレア君。そして……
ん?ちょっとまって、いま何か見えたような……。
これ、幻覚じゃないの?
幻覚……いや、現実だわこれ。
とんでもないよ、デュマくん。
ちなみに、これで、本編におけるユージェニー嬢の登場は終了です。この後は、ダルミイー嬢と一緒にイタリアに無事到着できたようですが、得にその後は語られません。まあでも本編での活躍を見る限り、何をやっても成功しそうな所はあります。めでたしめでたし。
セーヌ川は今日も澄み切っていた。
デュマはユージェニーをどう考えていたのか
以上、ユージェニー嬢の凄さを解ってもらうためにいろいろと書いてきたわけですが、いかがでしたでしょうか。とにかくめちゃくちゃキャラが立っているのをおわかりいただけたでしょうか。
嫌味な貴族令嬢と思わせておいて、自立した女であり、逆境にもめげず、夢を負って家出する女。これは人気でますわ。バチバチに輝いている逃避行のシーンは、本筋とほとんど関係ないことを考えると、デュマも相当気にいっていたキャタクターだったのかもしれません。
しかし気になるのが友人であるダルミイー嬢との関係。人の性的指向をあれこれ推察するのは、大変失礼な行為だと思いますので断定したくはないんですけれども、男の人が嫌いだったり、結婚が嫌だったり。男の人より女の子の方が好きだった……と考えるとそれっぽいキャラでもあるんですが、デュマはどういう意図で書いていたのでしょうか?
いや、実は色々と気になる描写はあります。例えば、初登場時の劇場での一幕、モンテ・クリスト伯と一緒に居るエデを見てのセリフ
リュシアンの「実際、お嬢さんほど同性に対して公平なかたはありませんね」のセリフがちょっと意味深なんですよね。もしかして、ユージェニーの興味のことを知っているのでしょうか?
更に続くシーンもちょっと気になる。
「むしろ、あれがなかったら、もっと美しく見えるでしょうがね。だって、形の美しい首筋や手首が見えるでしょうからね」
「わたしは、美しいものはなんでも好きですわ」
ダイヤモンドよりも、首筋や手首が見える方が美しい。と言うユージェニー、モンテ・クリスト伯には一切興味を示さないのに、美しい女の子には興味を示す。うーむ。読み返してみると、やっぱりちょっと人と見ている所が違う感じはします。
そして最後の登場シーンでも、明確にユージェニー嬢とダルミイー嬢は一つのベッドで寝ています。なお、描写をよくよく読むと解るのですが、ベッドが2つある部屋を取っておきながら、わざわざ1個しか使っていません。「十九世紀のフランスでは仲のいい女の子同士が一つのベッドで寝るのは当たり前だったんだよ!」と力説されれば「そうかな……そうかも……」と納得してしまいそうですが、実際のところどうだったんでしょう?
当然、当時のフランスの状況的にはあんまり大っぴらには出来ないわけで、そこも含めてデュマは匂わせるだけに留めておいたのか、それとも、ただの友情の表現として書いていたのか……どういう意図があったのかは、もはや解ることがありません。
ただ、デュマとしてはこのキャラクターに幸せになって欲しいと思っていたんじゃないかなと思うんですよ。モンテ・クリスト伯、今回読み直して気がついたんですが、親世代は自分のやってきたことの報いを受けるわけですが、子供の世代は(エドゥワール坊やを除き)大体皆助かって、自分の人生を自分の力で切り開いていくんですよね。
モンテ・クリスト伯は、日本でいう幕末時代に書かれたお話ですが、そういう未来に対する希望は現代においても輝きを失っていないと思います。