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「ささやかながら」


左の掌の皮が剥け、しばらく経過を観察していた。二、三日は赤く、肉の部分が見えている状態で、その後、今にも破れそうな薄い皮が張った。ようやく拳が握れるようになった後も、まだ少し触れると他の箇所より敏感である気がした。

今日見てみると、まだ多少赤いものの、しっかりと手相が刻まれている。生命線のすぐ左脇、二本目の生命線が刻まれている場所。線を年齢に例えると、丁度三十代頃の場所がやられてしまっている。心配ではあるけれど、何せ二本ある内の二本目、補助的な方だ。心配はない。と、言い聞かせる。


毎日、というか人生で、大きな幸せを望んだ事はない。ささやかな、明日も頑張ってみるか、と思えるぐらいのものでいい。そう思っている。自分が望んでいないからか、人に大きな幸せを与えられるとも思ってはいない。ささやかながら。そのぐらいが限界であろうと思う。

今日はそんな事を考える、考えさせられる、一日だった。




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